仏教と現代


現代の世に「釈風」を吹かせたい
 ―心の相談員養成講習会を受講して―


釈風は消え仏道は廃れる

 「今在らゆる僧尼頭(こうべ)を剃って欲を剃らず、衣を染めて心を染めず、…釈風茲()れに因って陵替(りょうたい)し、仏道之れに由って毀廃(きはい)す」
 (いま、多くの僧尼を見るに、頭髪を剃っても欲を剃らず、衣を墨染めにしても心を善法に染めることを知らない。…釈尊の遺風はそのために衰微し、仏道はこれによりて頽廃するのである)

 ほんの一年前、高野山専修学院で授業を受けていたときのことです。『秘蔵寶鑰(ひぞうほうやく)巻中』にある憂国公子と玄関法師の問答の箇所を読んでいた私は、冒頭に挙げた憂国公子の舌鋒に触れ、急に目が覚めた覚えがあります。そして思わず「おっしゃる通り」とつぶやいてしまいました。その続きに玄関法師の反論があるにもかかわらず、私は憂国公子サイドに痛く共感してしまったのです。
大下先生が住職を務める飛騨・千光寺での講座
 私のようなハナタレ坊主が偉そうに言えたものではありませんが、これでも世襲の身。寺院の現状はなんとなく知っているつもりでした。「坊主は社会に何の利益ももたらしていないじゃないか」という憂国公子の怒りを、他人事とは思えなかったのです。

 「釈風は消え仏道は廃れる」。真言行者ゼロ年生の私の眼には、これが現実と映りました。専修学院の仲間にとっては、かなり厄介者だったと思いますね。同部屋の相方に「坊主と詐欺師は紙一重だ」とわめき散らす私の未来は、いつも暗雲まっただ中でした。


先達との出会い、語らい

 ちょうどそんな頃、飛騨千光寺住職、大下大圓先生のお話を拝聴する機会がありました。先生はスピリチュアルケアワーカーとして医療や福祉の現場に携わっておられます。先生の「釈尊や弘法大師の精神を現代の世で実践する」という姿勢に、私は強くひかれました。さらに昨年度から「心の相談員養成講習会」が開催されているというのを聞き、立ち込めた暗雲から逃れるように受講を申し込みました。専修学院を卒業してすぐのことでした。

 何を甘っちょろいことを、と思われるかもしれません。ただし誤解のないよう申し上げれば、こんな中途半端な動機の受講者は、たぶん私だけだと思います。

 多くの方は忙しい合間を縫って講義に出席されています。またホスピスの経験をお持ちの方や、時代にふさわしいお寺の展開に取り組んでいらっしゃる方など、すでに「心の相談員」として臨床現場をお持ちの方も少なくありません。現代の世にどうやって「釈風」を吹かせようか、みなさん一所懸命に苦心されている。一方、一般参加の方からは、普段は聞くことができない僧侶への疑問、批判がポンポン飛び出します。また仏教者以上に仏教の本質を突いていて、度肝を抜くこともあります。この方々も、それぞれ自分の現場を持つ先達です。講習会は、そんな先達との出会いの場でもあるのです。

 講義はおもに、受講者同士のグループワークを中心に構成されています。臨床心理学のエンカウンターを体験したり、飛騨の山奥で生と死について思いを深めたりします。同時に、その過程で先達といろいろ語り合うこともできます。これが予想以上に貴重なお土産になります。


「憂国公子」を脱皮できるか

 この講義を通して私自身は、カウンセリングや心理療法の分野に関心を持つようになりました。また、それが逆に「仏教ではどうなんだろう、これは密教ではこれにあたるんじゃないか」というような、いわゆる相乗効果を発揮し始めています。

 ただし「仏教は臨床心理学的に有効だ」というだけなら、カウンセラーになればよいのであって、僧侶をやっている意味がないともいえます。それは『密教福祉』(密教福祉研究会編)に大塚秀高先生が書かれている通りです。僧侶としての実践に裏付けられたカウンセリングでなければ、現代の世に「釈風」を吹かせたことにはなりません。

 現段階では、私はまだ評論家のようなもの。実践が伴っていない。そういう意味では、まだ私は真言行者ゼロ年生の頃と同じで、「憂国公子」を脱皮できていないのかもしれません。

 いよいよ今年は現場実習が待っています。心の相談員を実践しながら、同時に真言行を実践しないといけない。それが現代の世の「釈風」となればいいな。そう思って、今年も受講を続けようと思っています。

2004年1月21日 坂田 光永

※ 冒頭の書下し文は中川善教師『漢和対照十巻章』より、カッコ内の現代語訳は栂尾祥雲師『現代語の十巻章と解説』より、それぞれ抜粋。


この文章は『高野山時報 新春合併特集号』(2004年1月1日発行)に掲載されました。

《バックナンバー》
○ 2003年12月21日「あたかも、母が己が独り子を命を賭けて護るように…」
○ 2003年11月21日「…蒼生の福を増せ」
○ 2003年10月21日「ありがたや … (同行二人御詠歌)」
○ 2003年9月21日「観自在菩薩 深い般若波羅蜜多を行ずるの時 … 」
○ 2003年8月21日「それ仏法 遙かにあらず … 」



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