Kakasyの宇宙観

惑星状星雲
 「宇宙は、最初は針の先よりも小さかった。」 膨張する宇宙、ビッグバンの始まりを表わした言葉です。 宇宙の種の大きさは 10-34cm であると言われます。 陽子や中性子の大きさ、 10-13cm よりも更に小さいその中に、 この大宇宙のすべてが詰まっていたということなのです。 宇宙は最初、光よりも速い速度で膨張したと考えられています。 ビッグバンは今から百数十億年前に起こり、 宇宙の年令は百数十億歳であると推定されています。
 このページでは、私がイメージする不思議な宇宙観を文章化してみました。 どこまで真実なのか、まだ何百年もたたなければ分からないのかも知れません。 いわばSFの世界です。

宇宙は丸い
脳は端末だった
宇宙の正体との出会い
バードマンになれるか
宇宙の意志の実在
人類の起源
人類は地球の癌か


宇宙は丸い

 昔の人は、大地は平らであると考えていました。 したがって、どこまでもまっすぐ進んで行くなら、いつか果てにたどり着き、 そこには巨大な滝があり、海の水がこの世の底へ流れ落ちていて、 そこから先へは行くことができないと考えました。 しかし実際には地球は丸いので、まっすぐに進めば元の場所へ戻って来てしまいます。
 宇宙にも同じことが言えるのではないでしょうか。 つまり、まっすぐにどこまでも進んでいけば、いつか元の場所へ反対の方向から、 戻って来てしまうのではないでしょうか。 しかし地球が完全な球体ではないため、正確に元の場所へ戻れないように、 宇宙の場合にも正確には戻れないと思います。 また宇宙の広さや宇宙が膨張を続けていることを考えれば、 戻って来たときには途方もない時間が経過していて、 元の場所であることは判断出来ないでしょう。 宇宙が丸いかどうかは、光速という限界を越える方法が発見されるまで、 分からないでしょう。 宇宙が丸いと考えるならば、宇宙は有限であるにもかかわらず、 中心も果ても存在しないという、とても自然な結論にたどり着きます。 宇宙が丸いと言うのを専門的な言葉で表すと、 「宇宙の曲率が正である」ということになります。
 地球が丸いことから宇宙が丸いと推測する、 この考え方は演繹(えんえき)法と呼ばれるもので、 現代の自然科学が一般にとっている帰納法とは対立する手法です。 帰納法が左脳思考、演繹法が右脳思考であると言えるのではないかと思います。 なお最近の研究によれば、 銀河団は石鹸の泡のような構造で並んでいることが判明したそうです。
 ビッグバンのイメージ映像として、中心から光る物質が飛び出してくる様子を、 CG(コンピューターグラフィックス)で 表現しているのを目にすることがありますが、 宇宙を宇宙の外から見ているようで、あまりにも不自然な感じがします。 「宇宙」はすべてを意味し、「宇宙の外」という空間は存在しないのです。 「宇宙の外」が存在すれば、それも「宇宙」に含まれることになり、 明らかに矛盾しています。 「宇宙の中心」という概念はあり得ないと思います。
 純粋な数学の観念を超えて、無限という概念は、私には受け入れ難いものです。 無限の過去から時間が流れているということも、私は否定したいと思います。 私はビッグバンとともに時間が開始したと考えます。 ビッグバン以前に時間は存在していなかったということです。 時間も空間もビッグバンによって突然現れたのです。 さらには、ここで「突然」という言葉を使うことも明らかに不適切です。 それほどまでに、ビッグバンは私たちの既成概念や常識を根底から覆すものです。 -500℃という温度が存在しないように、 500億年前という時間も存在しないと私は考えています。

 米国・欧州などの共同研究グループが 1998年2月27日発行の米科学誌サイエンスに発表した内容によると、 宇宙の膨張が加速しているとの観測結果が得られたそうです。 このことは宇宙の膨張がこのまま続く可能性を示すもので、 宇宙の曲率が正であるとする私の見解には残念ながら不利な内容になっています。 研究グループはこの観測結果に基づき、 「反重力」という未知の力が宇宙空間に働いているとの仮説も提唱しました。 「真空のエネルギー」が実験で確認されたようです。 この観測結果から、アインシュタインが「人生で最大のどじ」と呼んだ宇宙定数が、 実は「どじ」ではなかったということになるそうです。 (「宇宙の正体との出会い」参照)



脳は端末だった

 コギト・エルゴ・スム(cogito, ergo sum われ思う、ゆえにわれあり)。 これは、デカルトが「方法序説」の中で述べた有名な言葉です。 自分の意識がとらえるあらゆる物事が単なる幻想にすぎず、 実在していないかもしれないと疑うことはできても、 そのように疑っている自分自身が実在することは、疑う余地がないということです。 私は、高校の授業でこの言葉を学んだとき、大変感動しました。 これは紛れもない真実だと思います。
 現代科学の常識的判断では、 意識とは脳内の電気化学的反応の副産物でしかないと考えられています。 この考え方は、デカルトが達した結論とは、大きくかけ離れています。 「脳あるがゆえにわれあり」であり、「物質あるがゆえにわれあり」となるからです。 物質がないと「われ」が存在しないという、唯物論的思想が裏に隠れています。 脳死移植の思想はこの延長にあり、 脳が死んだ肉体は所有者のなくなった肉体であると考えるわけです。 この思想を進めていくと、 殺人は罪でないという極端な結論にまで到達してしまいます。 生き残った人の思い出の中に、死んだ人が残っているといった言い訳によって、 かろうじて道徳的秩序を保つしかなくなるのです。 唯物論を信じる人たちには、「人を殺す経験をしたかった」と語った少年を 心の底から説得することはできるでしょうか。 「死んだ人には謝らない」という少年の言葉は、 唯脳思想の究極の論理に裏打ちされているように思われます。
 私の職場の机の上には、1台のノートパソコンが置いてあります。 しかし私は普段、N5と呼ばれるコンピューターを使用しています。 N5を使用するために、ノートパソコンのキーボードとディスプレイを利用します。 どうしてそんなことができるかと言うと、ノートパソコンとN5とは、 イーサーネットと呼ばれるケーブルでつながっているからです。 N5がホストコンピューターで、ノートパソコンが端末という関係になっています。 私が使用するデータファイルも実行ファイルもすべてN5の中にあります。 しかしN5は大きすぎるので、机の上には手軽なノートパソコンが置いてあるのです。
 私は演繹(えんえき)的思考により、 脳は端末にすぎないと考えています。 端末は、それ自体が高度な機能をもっているため、複雑です。 脳の研究は大変難しいでしょう。 しかし端末であるとするなら、どれだけ脳の仕組みが解明されても、 重要なデータファイルはそこには見つからないはずです。
 それなら、ホストコンピューターはどこにあるのでしょうか。 私は、別の宇宙にあると考えます。 地球の有限な地表面と火星の有限な地表面とがつながっていないように、 この物質の宇宙(有限であろうと前に書きました)とはつながっていない 別の宇宙があると思います。 別の宇宙では、この宇宙で成り立つ法則は、通用しないと思います。 地球と火星とでは電波で情報をやり取りできますが、 宇宙と宇宙との間では当然電磁波は無意味です。 地球と火星との間で音波が通じないようなものです。 情報のやり取りのメカニズムは、物質的アプローチでは解明不可能です。
 別の宇宙の存在は、 宇宙のビッグバンを説明する「インフレーション理論」にて予言されています。 宇宙は唯一であるという意味の「ユニバース(universe)」に対して、 多数の宇宙が存在する「マルチバース(multiverse)」と呼ばれています。
 われ思うゆえにある「われ」は、肉体が生じる前から存在し、 肉体が滅びた後にも存在し続ける「われ」という実体です。 現在の「われ」とは、ホームディレクトリであり、 カレントディレクトリであるのです。 そして、肉体を持つ以前の「われ」は、下位のディレクトリに分かれていて、 普段はのぞくことができません。 (Windows などではディレクトリのことをフォルダと呼びます。) 「われ」は肉体によって、この物質宇宙と一時的に結び付いているだけなのです。 そのときに、脳は端末としての働きをしているのです。 常識で身を固めた学者が頭から否定する、数々の不思議な出来事のいくつかは、 これで説明が付いてしまうはずです。



宇宙の正体との出会い

 たまたま立ち寄った書店で、偶然手に取った本の題名は「宇宙の正体」、 副題は「アインシュタインの大いなるミス?」とありました。 アインシュタインとは、私にとって魅力的な響きを持った名前なのです。 この本では、最新の宇宙論が一般向けに解説してあります。 素人の私には大半は理解を超えた内容でしたが、 最先端の宇宙論の研究成果に触れることができたという満足だけは残りました。
 先に私は、宇宙は丸く曲率が正であろうと考えましたが、 アインシュタインの一般相対性理論によれば、正の曲率をもつ宇宙は、 いずれは収縮することになると、この本には書いてありました。 ビッグバンの逆をいくビッグクランチ(大収縮)です。 始まりのあった宇宙に終わりがあるというのは、 ごく自然なこととして受け入れられるのではないでしょうか。
 我々のいる天の川銀河にある星と、 銀河の対や銀河団にある個々の銀河の動きを天文学的に測定すると、 宇宙は光を出す物質が提供する量の少なくとも5倍ないし10倍の物質をもっている ことになるそうです。 存在はしているが、まだ探知あるいは確認されていないこの膨大な質量は、 「ダークマター(暗黒物質)」と呼ばれ、 ダークマターはほぼ確実に「ストレンジマター(奇妙な物質)」から成るそうです。 ストレンジマターとは、我々が今知っているどの物質とも異なるものです。 身の回りに豊富に存在しているにもかかわらず、
スーパーカミオカンデのような大規模な装置を使って、 ニュートリノをようやく検知できるように、 ダークマターの検出も極めて難しいのです。 ただしニュートリノ自体は、ダークマターの候補からはずれるようです。
 私が読んだ本は、「宇宙の正体」 (ドナルド・ゴールドスミス著,松浦俊輔訳,青土社発行,2600円)です。 原題は「EINSTEIN'S GREATEST BLUNDER?」です。 インフレーション理論とか宇宙背景放射など、 興味のある人にはわくわくする内容になっています。 ちなみに副題(原題)は次のような意味です。
 1917年にアインシュタインは、自分の一般相対性理論の方程式が、 宇宙は拡大しているか収縮しているかのいずれかだということを意味するということに 気づいて当惑した。 当時は誰も、宇宙が本当に拡大しているのではないかと思ったりはしなかったので、 アインシュタインは自分の方程式に、 今では「宇宙定数」と呼ばれる新しい一項を加えた。 宇宙定数があれば、拡大も収縮もない宇宙の数理モデルが存在しえたのだ。 何年もたって、エドウィン・ハッブルが、 宇宙は拡大しているということを発見したとき、 アインシュタインは宇宙定数を、その人生で「最大のどじ」と呼んだ。



バードマンになれるか

 わが家には64ビットの最新鋭(発売当時)のコンピューターがあります。 惜しいことにそのコンピューターはゲームにしか使えません。 初めて買ったゲームソフトはフライトシミュレーションソフトで、 そのゲームでは翼を持った
バードマンになって、 架空の島の上を自由に飛び回ることができます。 鳥になって大空を自由に飛び回りたいというのは人類の昔からの夢で、 このゲームはバーチャルリアリティーの空間でその夢をかなえてくれます。
 鳥はなぜ空を飛べるのでしょうか。それは翼があるからです。 それでは鳥にはなぜ翼があるのでしょうか。 進化論を信奉する人は次のように説明するでしょう。 「ある種の恐竜が空を飛びたいという願いを持って、前足をバタバタ動かしていた。 その恐竜は翼があれば空を飛べることを知っていたから、 前足が翼になって欲しいと思ったのである。 その恐竜自身は空を飛ぶことはできなかったが、 前足をバタバタ動かすことをその子供に教えた。 子々孫々とその行動を繰り返して数百万年たつと、 その子孫の体表は羽毛に覆われはじめ、前足は翼の形に近づいてきたが、 まだ空を飛ぶことはできなかった。 それでもあきらめず、その恐竜は前足を動かし続けることを子孫に伝承していった。 さらに数百万年たつとその恐竜はついに鳥の形になっていて、 自由に空を飛べるようになったのである。」 数百万年というところは数千万年かも知れませんが、 実にすばらしい論理展開(?)には感心するばかりです。
 人間がバードマンになりたいなら、この恐竜に見習うべきです。 バードマンになりたいとの願いを込めて、 両手をバタバタと動かして飛び上がり続けるのです。 そのとき手のひらを大きく広げていると、指と指の間に水かきのようなものができて、 こうもりのような翼になってしまうかも知れません。 子々孫々とそれを伝承していくと数百万年後の人間の子孫はバードマンとなり、 自由に大空を飛び回れるようになります。 そのころのテレビ番組では、猿が次第に人間に変わり、 さらに次第にバードマンに変わっていく様子が、 コンピューターグラフィックで表現されるようになるでしょう。
 恐竜が鳥に変わっていったという進化論者にとって不都合な新説が出ました。 鳥類の最古の祖先とされる始祖鳥は 恐竜から進化したという説がこれまで有力でしたが、 米ノースカロライナ大学のアン・バーク博士らの研究グループは、 鳥類の翼を恐竜の前肢の指の化石と比較した研究から、 鳥類と恐竜は独立して進化した可能性が高いとの新説を打ち出し、 1997年10月24日発行の米科学誌サイエンスに発表しました。 これまで発見されている獣脚類の前肢の手の部分の化石を分析したところ、 5本の指のうち2本が退化し、 親指、人さし指、中指の3本が残っていることが分かりました。 一方、鳥類の受精卵から成長する過程の胚(はい)を 生物発生学の手法で分析した結果、翼が成長する過程で3本の指の痕跡があり、 人さし指、中指のほか、恐竜と異なり、親指ではなく薬指の名残があったのです。
 恐竜が鳥に進化していったと言うのと同じように、 人間がバードマンに進化していくと言うのは、 どう考えても荒唐無稽な愚かしい仮説に過ぎないようです。 空を飛ばない動物が徐々に進化して、鳥になっていったとするならば、 まだ空を飛べない時点での何の役にも立たない無意味な翼の時期があります。 その動物は将来自分の子孫が翼を使って空を飛べるようになると 代々信じ続けるといった高度な精神活動が必要であるのに、 現在の鳥にそのような精神活動は認められず、 さらに重要なことは、 信じたからといってその通りに自分の体が変化していくことはないのです。 進化論者のバイブルとも言える「種の起源」の上巻第6章で、 ダーウィン自身が(翼ではなく)眼について次のように語っています。 「異なる距離に対して焦点を調整し、異なる量の光を受け容れ、 また球面収差と色収差とを補正する等の あらゆる真似のできないからくりを有する眼が、 自然淘汰によって形成せられ得たと想定することは、正直のところ、 はなはだ馬鹿げたことのように思われる。」 眼でないものが漸進的に完成された眼に変化していったとするならば、 眼として機能しない途中経過の眼は、 完成された眼という目的なくして存在意味がありません。 偶然の中に目的という意志が存在していると考えなければならない矛盾は、 進化論がいかがわしい教義であることを露呈しているようです。



宇宙の意志の実在

 私はコンピューターのソフトを制作する仕事をしています。 このような職業は1960年代にはほとんど存在せず、 当時は、将来コンピューターチップが広く普及し、 そのためのソフト作りが世の中を支える重要な産業になるなどとは、 ほとんど誰も想像できなかったことでしょう。
 コンピューターソフトはつき詰めると、 ON と OFF、すなわち1と0のビットの組み合わせから出来ています。 (実用的にはビットを4つ組み合わせて16進数で表記されることがほとんどで、 さらに意味不明な16進数もいくつか組み合わせて、 意味を持ったコンピューター言語に翻訳して表記されます。) でき上がったコンピューターソフトの1と0の数字列は、 ランダムで無意味な数字の並びにしか見えません。 たとえばコインを投げた時の裏表で1か0かを決めることができます。 コイン投げで得られる乱数でコンピューターソフトを作ることは可能でしょうか。 気の遠くなる程の回数を繰り返せば、いつかはすばらしいソフトができるでしょうか。 私は「できない」という方に賭けたいと思っています。 ただしこのようなばかばかしいことを実際にやってみようと思う物好きな人間は 見つからないでしょう。
 私も含めて正常な人がコンピューターソフトを作るときには、 乱数表のようなものは使いません。 私がソフトを作るときは、 まず第一にどのような働きをするものを作るのかをじっくり考えます。 次にどのような仕組みでそれを実現するのかを考えます。 それから初めて実際の制作に取りかかります。 何も考えずに、でたらめにキーボードをたたいて、 すばらしいコンピューターソフトを書ける人はいません。
 コンピューターソフトウェアという概念は近年になって構築されたものですが、 これよりももっと複雑で高度なソフトウェアが、 実に36億年ほど前の生命発生の太古から存在していました。 それは細胞の核の中に存在する遺伝子(DNA)です。 DNAは4種類の塩基配列の鎖状二重ラセン構造になっていて、 A・T・G・C(アデニン・チミン・グアニン・シトシン)の4文字で書かれた デジタルプログラムと言えます。 人間の細胞にある遺伝子ひとそろいはヒトゲノムと呼ばれ、 約30億文字に相当する情報が記憶されています。 現在「国際ヒトゲノム解析機構」が設立され、各国が協力して、 全遺伝子の解明をめざす壮大なプロジェクトが進行しています。 また多数の民間企業も遺伝情報の解読に乗り出し、 遺伝子特許を取得して莫大な利潤を獲得しようと血まなこになっています。
 遺伝子のソフトウェアは誰が書いたのでしょうか。 唯物論者は誰も書いていないと言うでしょう。 偶然の産物だと主張するでしょう。 これは乱数でコンピューターソフトを作るのと同じ発想です。 気の遠くなる程の回数を繰り返せば、 いつかはすばらしいソフトができると主張するのと同じことです。 原理的にそんな時間のかかる実験はできないので、 誰も証明できないにもかかわらず、既成の事実であるかのごとく主張します。 ある生物学者は次のようなうまい表現をしました。 「生命が偶然に発生する確率は、 印刷工場の爆発によって大きな辞書ができる確率に等しい。」
 私は自らソフトウェアを作っている体験上、 遺伝子のソフトウェアは人間を遥かに超えた高度な叡智がなければ、 書くことができないと確信します。 宇宙には物質を伴わない意志が存在しているということです。 この意志、この意識は昔から色々な言葉で表現されてきました。 最もポピュラーな表現は「神」です。 しかし「神」という言葉は、 「八百万(やおよろず)の神」とか「オリンポスの神々」など 様々な別の意味を持っているので適切な表現とは言えません。 どこやらの国の総理大臣が「天皇を中心としている神の国」と言った、 その「神」ともかなり違います。 私はとりあえず素直に「宇宙の意志」と呼んでおきます。
 旧約聖書の創世記に次のような記述があります。 「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。 そこで人は生きた者となった。主なる神は東のかた、エデンに一つの園を設けて、 その造った人をそこに置かれた。そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、 そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた。 主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、 人のところへ連れてこられた。」 敬虔なクリスチャンは文字通りこの言葉を理解するため、 猿が人間になったと主張する進化論者と対立します。 アメリカでは、 神がこの世を創造したとする「天地創造説」を唱えるキリスト教保守団体などが 進化論を教えないよう各地の教師に圧力をかけているため、 強い危機感を抱いた全米科学アカデミーは米国有数の生物学者を集めて 教育者向けの「進化論教本」を作成し、 宗教界からの攻撃に対する反撃キャンペーンを行ったそうです。
 創世記が書かれた時代には、遺伝子という言葉も概念もありませんでした。 上に引用した創世記の記述は、遺伝子レベルの話であると私は考えます。 「土のちり」とは人間以外の(必ずしも猿であるとは考えませんが)遺伝子を 指しているのです。 私が高度なコンピューターソフトを開発するときには、 以前に開発した似通ったソフトを再利用することが多くあります。 1から作るより遥かに効率がよく、間違いが少ないからです。 宇宙の意志が新しい種の生物を作る場合にも同じように、 似通った遺伝子を元に、自らの設計に従って変更を加えると考えるのが自然です。 遺伝子は代々伝えられ、徐々に変化していきますが、 種を越える変化は一度も観察されたことはありません。 新しい種の誕生は、偶然の組み合わせによって徐々に起きるのではなく、 宇宙の意志の設計に従って一度に起きるのであると私は考えます。
 上の創世記の引用のなかで「人」というのは男性のことで、 男性の一部を取り出して女性を作ったという表現は、 フェミニストの人には反感を買いますが、これは染色体のことを指しているようです。 男性の持つXY染色体の一部のX染色体だけを取り出して、 XX染色体の女性を作ったという解釈が正しいと思います。 染色体という言葉も概念もなかった創世記が書かれた時代には、 「あばら骨」という言葉が用いられても不思議はありません。
 科学が発達していなかった時代に書かれた聖書を、 使われている言葉通りに捉えるのは間違っていると思います。 おぞましい宗教裁判で、多くの優れた科学者が殺された事実を思い出すべきです。 逆に唯物論的進化論は「偶然」という「神」を信仰する邪悪な宗教であると 私は考えています。 宇宙の意志、宇宙の意識、宇宙の叡智は唯物論とは対立します。 聖書は宇宙の意志を反映していると思いますが、 言葉遣いが古くさくて、現代科学とは合わなくなってしまっているようです。



人類の起源

 人類は形態的にも遺伝子的にも類人猿に似ているため、 類人猿と同じ祖先から進化したものであるというのが有力な説です。 盲信的な進化論の信奉者は、 現存する類人猿の一つ(例えばチンパンジー)が人間に進化したのだと考え、 動物園で猿を見て「ご先祖様だ」などと言います。 進化論の学者はもちろんそんなことは言いませんが、 現存しない未知の猿がチンパンジーやペキン原人や人間に分かれて、 徐々に進化していったのだと考えます。 ペキン原人が人間に進化したと思い込まされている人も多くいるようですが、 進化論学者はペキン原人が人間に進化したなどとも言っていません。 ところが祖先とされる未知の猿は、進化途中のものも含めて、 化石としても未だに発見されたことはなく、 この説が真実であると証明することはできていません。 したがってこの説が嘘であるという主張を否定することが出来ないのです。
 人間とチンパンジーの遺伝子は98%以上の部分で共通しているそうですが、 2%以下の違いとはいえ、膨大な遺伝子情報の2%はやはり膨大です。 遺伝子に関して更に言えば、蝿と人間の遺伝子は実に8割が共通しているそうです。
 オックスフォード大学のハーディ教授は、 「人間は水中に棲む生物から進化した」ということを 潜水クラブで冗談で話したところ、これが結構話題になったそうです。 意外にもこの水生類人猿説(アクア説)は、 人間と類人猿との違いをうまく説明できてしまうのです。 人間はクジラやカバなどの水生ほ乳類と同様に、 体毛よりも皮下脂肪によって体温を保っています。 また、人間の背中の毛は類人猿と異なり、 泳ぐ時に抵抗が少ないように正中線に向かって斜めに集まっています。 体毛のほかに二足歩行や言葉なども、水生類人猿説はうまく説明します。 米亡命キューバ人のホセ・フェレラスさんは、 1998年6月6日に156.8mの素潜りに成功し、潜水世界新記録を更新しました。 人体は水中に適した構造になっているのです。
 潜在意識に踏み込む能力を身に付けた人は、 自らの知らないはずの過去にさかのぼることが出来るようになります。 そういう能力を持った人は、史実はもちろんのこと、 歴史に残っていないアトランティスの出来事も、 ありありと記憶に蘇らせることが出来ます。 前に述べたように、 この現象は端末としての脳がホストコンピューターの別のディレクトリに アクセスしたということで説明がつきます。 そして記憶を人類の起源にまでさかのぼらせたとき、 人類が地球外起源であるという驚くべきことが判明しました。 人間の体内時計の1日は25時間で、地球の自転周期と食い違っているという事実は、 人類の母星の自転周期が25時間であったことを物語っているようです。
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ラザホージウム
ドブニウム
シーボーギウム
ボーリウム
ハッシウム
マイトネリウム
ウンウンニリウム
ウンウンウニウム
ウンウンビウム
ウンウンクアジウム
ウンウンヘキシウム
ウンウンオクチウム
Rf
Db
Sg
Bh
Hs
Mt
Uun
Uuu
Uub
Uuq
Uuh
Uuo
 人類の祖先が太陽系外の惑星から地球へ移住することは、 現代のロケットの原理では不可能です。 アインシュタインの相対性理論は、 ロケット推進では光速を超えられないことを証明しているからです。 しかしある風変わりな研究者は、 重力加速度を用いれば相対論に矛盾することなく 光速を超えることができることを示しました。 重力は力ではなく副次的な現象で、 宇宙空間は何もない真空ではなくエネルギーが充満していて、 ある方法でそれを取り出すことができるということです。 「真空のエネルギー」です。 重力場を制御する反重力リアクターには、元素115を用いる必要があるそうです。 1998年の理科年表には元素112のウンウンビウムまでしか載っていませんでした。 2000年の理科年表には元素118のウンウンオクチウムまで追加されましたが、 元素113と115と117は飛んでいます。 (ウンウンニリウム以降は変な名前です。しかも元素記号はUunと3文字です。) 元素115は一般には公表されていない物質のようです。 光速を超えると質量は虚数になってしまいます。 私の理解を超えることですが、 複素数の質量を扱う物理学が必要になってくるようです。

 最も重い元素ウンウンオクチウムは、2002年に、 ねつ造であったことが判明しました。 また、ウンウンニリウム以降は正式な元素名でなく、仮名称だそうです。 0から9までの数字は、英語で、nil, un, bi, tri, quad, pent, hex, sept, oct, enn と呼びますが、元素番号をそのまま英語読みにして仮名称にしているわけです。 ということは、反重力リアクターに必要な元素は、 一一五、つまりウンウンペンチウムということになります。

 ヒトとチンパンジーとの間のDNAの共通部分は約98.5%とされていましたが、 実際は約95%だとする研究結果を、 米カリフォルニア工科大のロイ・ブリッテン博士(生物学専攻)がまとめ、 2002年9月23日発行の米科学アカデミー紀要に発表しました。 1.5%の違いが、一気に5%に拡大してしまったわけです。



人類は地球の癌か

 旧ソ連のノーベル賞作家ソルジェニーツィン氏は、 かつて『ソ連は人類の癌だ』という題名の手記を著しました。 この表現からヒントを得て、『人類は地球の癌だ』という言葉が浮かんできました。 「今地球は病気だ」と言われます。病名は癌です。かなり進行しています。
 米商務省統計局によると、1999年7月19日に世界人口が60億人に達したそうです。 1960年には30億人であった世界人口が、わずか39年で倍増したということです。 少なくとも21世紀の半ばまでは増加し続けるものと予測され、 今でも統一ドイツに等しい人口8000万人の国が毎年できている勘定になるそうです。 人口の際限ない増加は、癌の増殖そのもののように見えます。
 人類は地球から生命力を徹底的に奪い取り、地球全体に害毒をまき散らしています。 癌細胞が宿主を徹底的に痛めつけ、挙げ句の果てに宿主を死に至らしめ、 そして自らも死滅していく様子は、人類の姿と酷似しています。 癌細胞が転移していくように、人類は次の転移先の惑星を求め、 宇宙開発を急いでいるように見えます。 手近な転移目標は火星です。 火星テラフォーミング(惑星地球化計画)が真面目に検討されています。 まず苔などの原始的な植物を火星に送り込むことから始めて、 徐々に火星を地球と同程度の環境に改造し、 西暦3000年ころには火星に移住するという壮大な計画があるそうです。
 壊滅的な森林伐採、地球温暖化の促進、オゾン層の破壊、大気汚染、水質汚染、 海洋汚染、……人類はとめどなく地球を傷つけていきます。 この狭い日本においてでさえも、残されたわずかな自然を徹底的に破壊していきます。 長良川河口堰、諫早湾干拓、……必要性を失った大工事が、 自然を愛する人たちの切実な声を圧殺してまで強行されてしまいました。 この先にあるもの、それは地球の死とともにもたらされる人類の死です。 人類の死滅後、長い時間を経れば地球は再び蘇ることがあるかも知れません。 人類に与えられる不治の病や異常気象による災害は、 実は地球の免疫機構が働いたものかも知れません。 しかしそれに屈することもなく人類は増殖を続けます。
 人類の癌としての性格を有する根源は、経済というシステムにあります。 経済システムの発明は、 他のどんな発明にも及ばない最大の利便性を人類にもたらしました。 しかし一方で経済システムが人生を支配することもあります。 人間の道具にすぎないお金に、人間が逆に使われているという現実があります。 人口の爆発とともに、今日では、 経済システムは人類にとって制御不能なまで巨大化しています。 経済システムが人類の欲望を煽(あお)った果てに、 今日の環境問題が現れています。 現代日本の景気低迷の問題と環境破壊の問題は、 全く逆の方向性を持つ、矛盾した問題となって現れています。 従来の経済システムを環境調和型のシステムに移行させていくことが、 緊急の課題となっているのです。
 しかし人類は単なる癌細胞なのでしょうか。 人類が欲望のままに動くだけの存在であるとするなら、Yes です。 しかし、決してそうでない人々も存在しています。 あたり構わずゴミを捨てる人々がいる一方で、 自発的に他人の捨てたゴミまで拾う人々も現実にはいるのです。 人類は決して均質なエゴイストの集まりではありません。
 癌細胞と人類のたった一つの決定的な違い。 それは、一部ではあるにせよ、人類が現状を認識し、 未来を予見する知恵を持っていることです。 癌細胞には、自分たちの存在自体が、 その存在の将来を否定していることを認識できませんが、 人類にはそれが可能なのです。 そこに人類の存在理由があります。 人類は宇宙の意志と調和する真の知恵(智慧)を持つことができる可能性を 有しているのです。 宇宙の意志を具現させることこそ、 人類がこの世に生命を与えられている理由だったのではないでしょうか。 瀕死の地球を前にして、 今こそ人類が真の智慧に目覚めなければならない時が来ています。 人類は単なる癌細胞として死滅していくのか、 それとも宇宙の意志を具現する存在として調和のもとで生き残るか、 まさにその分岐点に立っているのです。

 このページを締めくくるにあたって、宇宙と人間との関係の真の姿を解き明かした 精妙な文章の一節を引用したいと思います。
 人はこの世界に生まれることで、誰もが「宿命」を背負うことになります。 そして、その「宿命」に呑み込まれては苦しみ、不自由にならざるを得ない。 それはしかし、宇宙が人間に、私たち一人ひとりに、 自らが抱える闇や矛盾の種子を預けていると 考えることもできるのではないでしょうか。 そして一人ひとりがその内なる宿命の闇と向かい合い、それを浄化し、 使命の光へと転換して世界を照らすことで、 宇宙自体が深化を果たそうとしていると言えるのです。
 人は自己を浄化し深化することと、宇宙を浄化することを同時に行っています。 「宿命から使命への歩み」において、 個人としてのミクロの浄化と世界・全体としてのマクロの浄化は、 二つにして一つの道となるのです。
 重要なことは、こうした「個の深化と全体の調和」のシステムなど、 人が考えてつくり出せるものではないということです。 宇宙は、それだけの責任と使命を、私たち一人ひとりに与えているのです。 換言すれば、まさしく宇宙は人間にその深化を預けており、 その責任と可能性を抱いている存在こそが人間であると言えるのです。
「希望の原理」(高橋佳子著/ 三宝出版)より
『世界は深化の鍵を人間に預けている』


BALCONY   ときめきのバルコニー