2013年 光明院 秋の参拝旅行
京都「八重の桜」ゆかりの地参拝旅行 報告

 日頃より寺門の護持発展にお力添えいただき、ありがとうございます。
 このたび、光明院檀信徒の皆様とともに、京都への日帰り参拝旅行にお出かけしました。ご参加いただきありがとうございました。

1.日時 2013年10月10日(木)

2.目的地 京都(同志社教会、新島旧邸、金戒光明寺)

同志社教会
新島襄が1876年に設立した同志社大学。このキャンパス内に教会施設があります。同志社大学は京都御所のすぐ北、旧薩摩藩邸に建てられています。

礼拝堂(チャペル)は1886年竣工。日本にあるプロテスタント派の煉瓦造りの礼拝堂としては、現存する最古のものです。昼休みにはオルガンが演奏されていました。

正面に写るのはクラーク記念館。2階の礼拝堂は美しく修復され、パイプオルガンが設置されていました。写真左手は、ご案内くださった同志社教会執事の加藤良太さん。
新島旧邸
襄と八重は1875年に同志社英学校を開校。後に旧薩摩藩邸に移ってからは、2人の自宅になりました。この部屋は礼拝や応接で使われ、八重の演奏したオルガンもありました。

新島襄の書斎。襄が使った机が当時のまま残っています。机上には、鉱物に強い関心を持った襄が好んで触っていた石ころが、再現して置かれていました。

新島旧邸の外で記念写真。洋風の外観に、セントラルヒーティングや土間のないキッチンなど、当時としては画期的な特徴を備えています。トイレも洋式でした。
金戒光明寺
法然上人最初の念仏道場、金戒光明寺。比叡山で修行した法然上人は、阿弥陀如来の御名を唱える念仏によってすべての人が救われると説きました。写真は御影堂。

徳川秀忠の菩提を弔うために建てられた三重の塔。「日本三文殊」の一つとされます。

幕末の1862年、京都守護職を拝命した松平容保と会津藩士は、金戒光明寺を本陣としました。境内には、戊辰戦争で戦死した藩士たちが祀られる会津墓地があります。


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