法話集
露 団 団
高野山本山布教師 坂 田 義 章
(一)
真昼間の闇を照らすかドクダミの白十字の花雨に咲きをり
歌詠みの蛙の鳴声が早朝の枕許に聞こえて参ります。
蛙といえば小野道風を憶いだします。道風は蛙が柳にとびつくのを見て、「人間は努力しなければならない」と目ざめたといわれます。蛙は道風に真理をわからせようと意識して柳の枝に飛びついたのではないでしょう。蛙は蛙なりに無心にしているだけであります。その何でもない動作や景観の中に真理を感じるのは、人間の中に深い「心のはたらき」があるからだと思います。このはたらきが「ほとけの智慧」であります。
蛙の声にめざめたように、ドクダミがあちこちに繁茂して、四枚の花弁状をした苞片に淡黄色の小花をつけ、沈黙の説法をしております。そのドクダミの葉の上に結んだ露が光っていて、露団団(つゆだんだん)、楚にして艶の境地です。
露には露の詩(ポエム)があり、神秘があります。はかなしとする人もあれば、華やかなりとする人もあり、人の心の明暗強弱を物語る一つの象徴でしょう。
(二)
「夢を見る心の蓋を閉ずるなかれ」との言葉をもらって旅に出ました。どこというあてもありません。奥丹後の「伊根の舟屋の里」と決めたのは京都に着いてからでした。
雨のそぼ降る京都を発ったのは昼すぎでした。タンゴディスカバリーの車窓に映る緑の渦が旅愁を慰めてくれます。天橋立で下車します。路線バスに乗りかえ、烟雨(えんう)の橋立に心ひかれながら伊根温泉郷に向かいました。
約一時間の乗車で雨の烟(けむ)る海辺の秘境を目にしました。民家は山と海との間の狭い平地にかたまり、わずかな耕地は千枚田となって横たわっており、古い漁港は穏やかな湾のほとりを、一階は舟置場、二階は住居という舟宿がぎっしりと埋めつくしておりました。
舟屋の里めぐりは明日ということにして、宿の温泉で汗を流し、雨上がりの庭に出て見ますと、楚々として咲いている山法師の白い花が雨露をこぼしております。
伊根はよいとこ 後は山で
前で鰤(ぶり)とる 鯨とる
伊根のなかでも 耳鼻(にび)の谷地獄
入るくじらを みな殺す
押せや押せ押せ 甲崎までも
空が冴えたら みさきまで
岬 みさきは 七みさきあるが
さても恐ろし 経ヶ岬(きょうがみさき)は
海の民の祈りのうた「伊根の投げ節」が伊根の浦風とともに夜の泉郷を流れておりました。
南無大師遍照金剛 合掌
この法話は、犬飼山転法輪寺(奈良県五條市)発行『転法輪』(2003年7月発行号)に掲載されています。