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思い出ノートもくじ |
牛久沼と |
冬の晴れた日、ふらりと牛久沼などへドライブしてみました。
そういえば、牛久沼にはまだ行っていないなあと、ふと思って。
佐貫あたりの風景
まだ3時くらいだったんですが、冬のことで、もう夕暮れのムード。 冬は本当に陽の落ちるのが早いですね。 日没時刻がもっとも早くなるのは冬至よりやや前。 ちょうどいま、一年のうちでもっとも日没が早い時期。
泊崎大師堂
はっさきたいしどう、と読むんだそうです。 とまりざきかと思いました。ちょっとびっくり、すぐには読めないな。 平安期の有名な僧、空海(弘法大師)は、 平安初期の大同年間(806〜810年)にこの地を訪れ、 千座護摩を納めたと伝えられているそうです。 その場所に建てられたという泊崎大師堂は、牛久沼に突き出した 岬のような部分の高台にあり、牛久沼を眺めるのに絶好のポイント。 ここは、つくば市茎崎(くきざき)。
泊崎大師堂から牛久沼を眺める
おりしも夕暮れ色に少しずつ染まった空の色が沼に映って、 なかなかしっとりと、いい感じ。沼のむこうは佐貫駅のあるあたり。 もみじがまだまだいい色。 牛久沼は小さかった。大師堂から眺めきれる範囲に、こぢんまりと水をたたえていました。しかし、それはそれでよいものです。 水平線の彼方にロマンや憧れがあるとすれば、 こちらは、いつもそこにあって、目の届く範囲で変化を感じられる 日常そのもの。 沼のほとりで、日々淡々として大きな変化はないけれど、毎日満ち足りてのんびりゆっくりと暮らすような、そんなイメージが湧きました。 とはいえ、周囲25.5km、面積3.49km2というから 沼としてはまあまあ大きいと言えるのでしょう。 龍ヶ崎市、牛久市、つくば市、藤代町、伊奈町の3市2町に接しています。
万博記念公園
つくば市といえば、なんといっても1985年に開催された 万国博覧会、『EXPO’85』のイメージが強いですよね。 会場跡地のほとんどは、現在工業団地となっていますが、 一部が万博記念公園として残され、開放されています。 つくば市民となってはや1年半、初めて万博記念公園を訪ねました。 つくばでの万博開催当時中学1年生だった私は、 残念ながら万博には来ませんでした。 主人は来たので、銀の柱が並ぶオブジェに見覚えがあるらしく、 「これ、でんでん館の近くにあったような気がする」といいます。 このオブジェの足下には、記念に開催概要が書かれていて、 当時の会場地図もあります。この地図を見たら当たりでした。 あとで調べたら、銀の柱が並ぶオブジェのようなものは、 「科学の門」というそうで、開催当時のまま残されている様子。 主人が「でんでん館」といったパビリオンの正式名は「でんでんINS館」。 でんでん、とは、今は民営化されNTTとなった電電公社のこと。 これまた足下の開催概要を見ると、開催中、もっとも入場者数が多かった日は9月15日で、30万人(!)を超えたそうです。 いくら会場が広いとはいえ、相当な混雑だったことでしょう。 現在、つくばののどかな田舎ぶりを思うと、近代的なパビリオンが並んで大勢のひとが詰めかけた熱気に、なんだか不思議な感じがします。 いま、公園や工業団地となった会場跡地は静かで、当時の熱気を想像しがたいですが、たしかにそういうことがあったんですよね。 1985年・・・そんな時代もあったんですよね、しみじみ。 そのころの私は、中学1年生、部活一色で、たぶん、ほかのことは なんにも考えてないくらいでした。 近所のおじさんが、万博へ行って来たと行って、「水戸の梅」をおみやげに もらったのを思い出します。 園内は広い芝生の土地があり、フリスビーなどをして遊ぶ 家族連れの姿が。広々として遊ぶにはとてもよさそうですが、 昼間ならもっとにぎやかなのでしょうか?。 |