”球磨川”のうつりかわり(4)
【昔の水運】
いかだ流し(昭和初期)
仮屋の倉庫あと
上る帆掛舟
球磨川は急流であることから水運としての働きも大きく、相良藩などは八代の河口近くの植柳元町に港を借り受け、米や木炭を大阪などへ運び出す基地としたほどです。「仮屋」(かりや)といいます(中写真)
明治になり上流から「いかだ」で木材が運ばれ、八代市は全国でも有名な木材の集散地となりました。