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八代宮 |
| 1619年加藤正方によって築城された八代城は一国一城の制度に反して熊本城とともに特例として置かれた珍しい城です。薩摩の島津を押さえるためだったとも言われます。1672年落雷により焼失し現在は石垣を残すのみです。石垣の石は八代に多い石灰石により作られ白鷺城の別名もあります。 市内地図へリンク |
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| 八代城跡にある八代宮は懐良親王、良成親王が祀られています。懐良親王が西征将軍だったことから「将軍さん」として市民に親しまれています。正月には初詣で賑わいます。 |
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松濱軒 |
| 元禄元年、八代城主松井直之が母のために建てた茶室が「松浜軒」です。当時は八代海の真っ白な砂浜や緑の松を見ることができたものでしょう。松浜軒の名もそれに由来しており、美しい庭園には、5月になるとカキツバタ、6月になると肥後ショウブが咲きほこります。 |
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肥後国(現在の熊本県)は、豊臣秀吉の九州攻めの後、天正15年(1587年)7月に佐々成政が、翌天正16年(1588年)に肥後国北部と葦北郡の一部を加藤清正が、肥後国南部の宇土・益城・八代と天草を小西行長が治めました。
小西行長は宇土に本城を構えるとともに、八代においては九州攻めの際に豊臣秀吉が宿泊した八代城(現在の古麓城跡)を廃して、天正16年頃、麦島に新しい八代城を造り、城下町とともに古麓から移転しました。この城が麦島城です。
この麦島城は元和5年(1619年)麦島城は地震のため崩壊しました。その後建て替えられたのが上の八代城です。 |
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