仏 教 と現 代

千人の垢を流して見えるもの


 2010年11月、平城遷都1300年祭で賑わう奈良に団体参拝に行きました。

 奈良への団体参拝で私がいちばん見たかったのは、法華寺の「から風呂」でした。

 法華寺はもともと、光明皇后の父親である藤原不比等の邸宅でした。光明皇后は、全国の国分寺・国分尼寺建立、奈良での大仏鋳造をおこなった聖武天皇の妻で、熱心な仏教信者であるだけでなく、政治的にもかなり積極的に聖武天皇を支えた人物です。その光明皇后が、自ら相続した藤原氏の土地に建てたのが、法華寺でした。

 そこに、ほったて小屋のようにして「から風呂」は建っていました。風呂といっても、湯船につかるタイプではなく、いわゆる蒸し風呂です。そしてこの建物は、もちろん当時のものではなく、江戸時代に再建されたものでした。

 どうしてこの建物に関心があったのか。それは、「光明皇后が千人の垢を流した」という逸話を伝える場所だからでした。

 あるとき、光明皇后は法華寺で、「千人の人の垢を洗い流す」という誓願を立てます。千人の体を洗うというのは相当な労力のはずです。やっと999人がすみ、ようやく最後の千人目というところで、全身に血膿をもつ重病人があらわれました。皇后は勇気を振りしぼって背中を流し、さらに自らの口で膿を吸い出しました。するとその瞬間、その病人は光り輝き、「我は阿しゅく仏なり」と言葉を残し消え去ったというのです。

 この千人の垢を流したという逸話は、仏教説話としてすばらしいと思う反面、実は多少の違和感も持っていました。

 千人目の病人は、阿しゅく如来が姿を変えていたということですが、これは「重病人も仏なんだから大事にしなさい」という教えを示しているのでしょうか? もちろん、社会では阻害されがちな弱者を率先してケアするというのは、大事な視点でしょう。けれども、「重病人=仏」というのを強調すればするほど、「重病人と健常者とは別物」というレッテルを貼ることにもなりかねません。まるで「障害者=天使」というレッテルを貼って、逆に障害者を追い詰めることとよく似ています。

 奈良への参拝旅行の中で、光明皇后の違った側面も耳にしました。例えば、国分寺・国分尼寺建立や大仏鋳造などの大事業は、目的とは裏腹に、国家の財政を破綻させ、結果的に庶民を苦しめました。また皇后が寺院建立をすすめたのは、身内の藤原氏の安泰のためという、非常に個人的な動機だったともいいます。

 それでも、光明皇后が千人の垢を流したという逸話には、何か意味があるはずです。おそらくこの逸話は、多くの人に行動のヒントを与えたのではないでしょうか。実際、鎌倉時代の叡尊、忍性ら真言律宗の僧侶は、ハンセン病患者をケアしました。叡尊は法華寺を再興しています。明確に光明皇后を意識していたに違いありません。

 私は、こう考えるようになりました。決して千人目の重病人だけが仏だったわけではない。999人の垢を流したからこそ、千人目になって、ようやく人間の「内なる仏」が見えてきたのではないか。

 おそらく999人の人々も仏だったと思います。しかし垢がついていたのは自分の心で、999人の体を洗い流したからこそ、心の垢がとれて、千人目でようやくその人の仏性が見えた、ということではないでしょうか。

 光明皇后の実像は分かりませんが、その逸話はきっと、現代の私たちの行動にもヒントを与えてくれると思うのです。

2010年11月21日 坂田光永


《バックナンバー》

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○ 2010年8月21日「奈良、歴史『再発見』」
○ 2010年7月21日「身延山と日蓮」
○ 2010年6月21日「ボクも坊さん。」
○ 2010年5月21日「仏法は汝らの内にあり」
○ 2010年4月23日「葬式は要らないか」
○ 2010年3月21日「再びオウム事件と仏教について」
○ 2010年2月21日「立松和平さんの祈り」
○ 2010年1月1日「排他的、独善的な仏教にならないために」
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○ 2009年11月21日「排他的?独善的!」
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○ 2009年9月23日「笑いとため息」
○ 2009年7月21日「臓器移植と『いのち』の定義 続編」
○ 2009年6月21日「臓器移植と『いのち』の定義」
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○ 2009年4月21日「アイアム・ブッディズム・プリースト」
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○ 2009年1月21日「『伝道師』としてのオバマ」
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○ 2008年10月28日「会津をめぐる」
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○ 2008年4月21日「聖火の“燃料”」
○ 2008年2月28日「妖精に出会う」
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