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デカルト
自己責任
大東亜共栄圏
宛名

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2004.7  

デカルト

 哲学者デカルトは「われ思う、ゆえにわれあり」という言葉を残した。 自分の回りのものは幻影で、本当は存在していないかも知れないが、 そう思っている自分自身は確かに存在している、という意味である。
 古来より人は誰しも、自分が今見ているものは、実は幻影ではないか、 という感覚に捕われることがある。 現在のリアルな映像技術は、益々その混乱を深めさせることになった。
 佐世保の小6同級生殺害事件の加害少女はバトルロワイヤルIIに傾倒して、 自分でもストーリーを作っていたという。 殺人を娯楽に変えるマスメディアに洗脳され、 いたいけな少女は幻影と現実の境界を見失ってしまったのではないだろうか。
 「われ思う、ゆえにわれあり」だけでは、自分自身の存在までしか説明しない。 デカルトは、自分の回りの世界が実在する説明は、人間を超越した意識(神)に委ねた。 仮想現実の中に漂う現代人に存在の根を取り戻させるのは、 純粋な宗教性だと思うのである。



2004.5  

自己責任

 イラク人質事件の被害者に対して自己責任を問う声が目立っていた。 彼らの自分勝手な行為が多くの人たちに迷惑をかけたとして、 非難しようということのようである。
 私は事件発生の当初から彼らが無事に帰ってくると確信していた。 誘拐犯人は何をするか予測できない凶悪犯との見方もできるが、 別の角度から見れば、イラクのことを本気で考えている愛国者ともいえる。 イラクの人々の痛みを肌で感じ、身の危険を顧みず、 イラク人のために尽くそうとする人質被害者と犯人とは共通する志があるからである。
 人質被害者の行為を責める政府要人は、 イラクの人々の痛みを感じていたであろうか。 人質になった被害者のことを本当に心配していたであろうか。 心配していたのは、人質が殺されたら消滅するであろう 自分たちの政治生命ではなかったのかと思うのである。
 そういう意味では、人質被害者は確かに権力の座にある人たちに 大変な迷惑をかけたと言えるに違いない。



2004.3  

大東亜共栄圏

 国際貢献・人道支援という大変響きのいい言葉に包まれて、 戦後初めて重装備の自衛隊がイラクへ送り込まれた。
 そこで思い出されるのが、 60年以上前に盛んに叫ばれていた大東亜共栄圏というスローガンである。 これは、欧米に植民地支配されていたアジアに、 共存共栄の新秩序を作ろうという希望にあふれる言葉であった。
 しかし、国際貢献・人道支援に優るとも劣らぬいい響きの言葉が、 もたらした結果は周知の事実である。
 靖国神社で手を合わす小泉首相の祈願するところが何であるかは想像するしかないが、 自民党が長年進めてきた憲法9条の廃止に一歩近づいたことには、 否定のしようがないであろう。



2002.3  

宛名

 インターネットの普及に伴い、Eメールを使うことがよくありますが、 アドレスの前に添えられる宛先の名前に敬称を付けず、 相手を呼び捨てにしている人が多いのには閉口します。 郵便物の宛名には敬称を付けて、○○様とするのが日本では常識のはずです。
 呼び捨てが日常化した原因として、Eメールのソフトウェアが外国で開発され、 日本語の敬称が取り扱いにくいためと、Eメールを使うのが若い人中心であって、 敬語や敬称といった日本語の常識に無頓着であったためと推測されます。
 若い人は気にならないかも知れませんが、自分の名前が呼び捨てにされると、 私は良識のない無礼な人物と感じてしまいます。 逆に宛名に様を付けてくれる人がいると、 常識をわきまえている人との印象を受けます。
 仲間内であるならともかく、相手が年輩者であったり、 仕事の取引先であったりした場合には、特に敬称には気を付け、 相手に不快な思いをさせないようにした方がよいと思うのです。


BALCONY   ときめきのバルコニー