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釈 尊 フ ァ イ ブ の
お説教は言わないで

「釈尊ファイブ」が贈るキテレツ仏教・密教解説。限定25歳未満! 25歳以上の方には刺激が強すぎる恐れがあります…

第5話「シャカ?ブッダ?シッダールタ?」 −釈尊の生き方(1)その時代−

マイケル 北野映画では、よく「主演 ビートたけし」ってなってるよね。同じ人物でも名前を変えるのって、かっこいいな。
ジャネット そうよね、作家でもペンネームを使い分けてる人がいるみたいだし。
マイケル アレなんてそうじゃない? ほら、お釈迦さん。釈尊って言ったり、シャカ、ブッダとか、いろいろ芸名がついてんじゃん。
ジャネット 芸名じゃないわよ! お釈迦様に失礼でしょ!
マイケル あれ? 芸名じゃないの? じゃぜんぶ本名ってこと?
ジャネット 本名は「ガウタマ・シッダールタ」。なんでもガウタマは「最上の牛」って意味で、シッダールタは「目的を達成する人」って意味らしいわよ。
マイケル なにそれ? 牛? はっはー、変な名前!
ジャネット こら! 牛はインドじゃ聖なる動物なんだから、ありがたい名前なのよ!
マイケル そうなの? じゃ、アンタも今日から「牛」って呼んでやるよ。やーい、牛!
ジャネット もーっ! …って、何言ってんだろ、私。


 釈尊の本名は、サンスクリット語で「ガウタマ・シッダールタ」、パーリ語では「ゴータマ・シッダッタ」と言います。ジャネットが言うとおり、ガウタマ(=最上の牛)・シッダールタ(=目的を達成する人)という意味です。

 しかし釈尊には、このほかにもいろんな呼び名がありますよね。釈尊の名前と意味を列挙してみましょう。

 つまり、シャカ族出身のガウタマさんは、悟りを開いて「ブッダ」となったわけです。最初からブッダだったわけじゃ、ないんですねぇ。

 そもそも釈尊は、ヒマラヤ山麓のカピラヴァストゥに城を置く、シャーキヤ族の首長の家に生まれました。29歳のときに出家し、35歳のときにブッダガヤーの菩提樹の下で悟りを開き、ブッダとなります。サールナート(鹿野苑=ろくやおん)で最初の説法を行って以降、多くの人々に教えを説き、45年間を布教と修行で過しました。そしてクシナーガル(クシナガラ)で80歳の生涯を閉じたということです。当時としては、けっこう長生きですね。

 誕生の地ルンビニー、菩提の地ブッダガヤー、初転法輪の地サールナート、入滅の地クシナーガルの4つは、四大仏跡と呼ばれています(カピラヴァストゥの場所については諸説あるようです)。

 釈尊の生きた時代というのは、どんな時代だったのでしょうか。

 インドと言えば、カースト制度ですよね。バラモン(聖職者)階級を頂点に身分・職業が細かく定められている制度です。ところが当時の北インドは、このカースト制度が少しゆるんだ時代でした。農業・商業・工業が盛んになり、商工業者がだんだん社会の実権を持つようになってきたわけです。相対的にバラモンの権威が下がりますから、当然カースト制度も揺らいで、自由な風潮が生まれ、様々な非バラモン思想も登場するわけです。釈尊はその代表的な思想家だったのです。

 語学の勉強も少しだけ。

 インドでは当時も今もたくさんの言葉が使われています。現在では、北方インドの諸方言を総称して「ヒンディー語」と呼ばれています。

 仏教でよく登場するのは、サンスクリット語(梵語)パーリ語の2つです。サンスクリット語は仏典理解には必須の言語なのですが、日常生活には用いない、文語専用の言語でした。逆にパーリ語は日常の口語に近く、スリランカやタイ、ビルマなどでは現在もパーリ語経典が使われています。

 いわゆる「お経」はもともと、サンスクリット語やパーリ語の散文です。それが中国に伝わって、ある言葉は意訳され、ある言葉は音訳され、例の漢字ばっかりの「お経」になりました。ところが日本に伝わるときには、なぜか中国語(漢字)のまま伝わったんですね。日本語に訳さなかったのは、つくづく悔いの残ることです。

2004年10月21日 坂田光永


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