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釈 尊 フ ァ イ ブ の
お説教は言わないで

「釈尊ファイブ」が贈るキテレツ仏教・密教解説。限定25歳未満! 25歳以上の方には刺激が強すぎる恐れがあります…

第8話「自灯明、法灯明」 −釈尊の生き方(4)最期の旅−

マイケル そこ右、違う違う、右折だって!
ジャネット 何言ってんの、まっすぐ走れば着くのよ!
マイケル だって、カーナビが右折だって指示してるからさ。
ジャネット カーナビなんかあてにならないのよ。私、そのケーキ屋さん、行ったことあるんだから大丈夫! 私の運転に任せておきなさい!
マイケル 任せられるかよ、この間もそうやって道に迷ったんだろ? カーナビ通りに行くのが確かなんだよ。
ジャネット 私ねぇ、カーナビは苦手なのよ。「300メートル先を右方向に…」とか、そうやって命令されるの嫌いなの。ほら、釈尊の言う「自灯明」ってやつよ。「自分をよりどころとせよ」!
マイケル 知ってるか? 釈尊の言葉は、そのあと「法をよりどころとせよ」って続くんだ。いわゆる「法灯明」だな。ま、法というのは人間にとって生き方の道しるべ、つまりナビゲーションであります。
ジャネット なにそれ、「ナビをよりどころとせよ」ってこと?
マイケル そーゆーこっとー。あーっ、ほら、ナビが言ってるぞ、そこ左って!

ジャネット ナビもアンタもうるさい! ほ〜ら見なさい、ちゃんと着いたわよ。…あれ?
マイケル あれ?って、どうしたの?
ジャネット …ケーキ屋さん、つぶれてるぅ〜!!


 今から二千数百年前のインドの地で、29歳にして王子の地位と家族を棄てた青年は、瞑想の末、ついにブッダとなりました。釈尊、35歳のときです。

 初めは自分の悟りを他人に開示することに躊躇した釈尊でしたが、思い直し、かつて共に苦行をしてきた5人の修行者(五比丘)のいるサールナートに向かいます。五比丘は、苦行をやめた釈尊を軽蔑していましたが、いざ悟りを得た釈尊の姿を見て驚きます。すべての苦悩から解放された釈尊の表情から、そのただならぬ境地に気づいたことでしょう。そして釈尊の語る「中道」の教えを聞き、五比丘は釈尊の弟子となりました。

 釈尊の最初の説法を「初転法輪」といいます。説法のことを「法の輪が転がる」と表現しているのが面白いですね。

 初転法輪以後、45年の長きにわたり、釈尊は様々な人に様々な方法で教えを説きます。そのやり方は、相手によって説き方を自在に変える「対機説法」と呼ばれるものでした。信者も増え、平家物語で有名な「祇園精舎」を寄進されたりもします。

 こうして45年間、説法と修行を続けた釈尊も、ついに最期のときを迎えます。釈尊も人間です。だから当然、命には限りがあります。むしろ、死因は豚の生肉を食したことによる下痢だそうですから、いたって人間的かも(キノコという説もあるそうです)。

 亡くなる直前、旅の付き添いでいた弟子のアーナンダは「あなたが亡くなったらどうすればよいのですか!」と嘆きます。すると釈尊は、こう言うのです。

 「自らをともしびとし、自らをよりどころとし、他をよりどころとしてはならない。法をともしびとし、法をよりどころとし、他をよりどころとしてはならない。」

 こうして釈尊は、有名な「自灯明・法灯明」の教えを遺し、80歳の生涯を閉じました。

 釈尊は生前、自分が死んでも決して遺骨の供養や崇拝をしてはいけない、と教えていました。それは「他をよりどころとする」生き方だからです。しかし弟子たちは釈尊の葬儀をし、遺骨を「仏舎利」として崇拝します。

 私はこの瞬間、「釈尊仏教」は終わった、そう思っています。残念ながら弟子たちに釈尊の真意は伝わらなかったのですから。でも私には、彼らを責めることもできません。言ってみれば、彼らは「悟りきれなかった」ということ。それもまた現実なんでしょう。

 私はね、仏教の基本は「自灯明・法灯明」だと思ってるんです。誰かを崇拝したり、誰かに精神的に依存したりする信仰スタイルは、釈尊仏教とは違います。でも、それをつきつめると、宗教なんて成り立たないとは思いませんか? ふつう、宗教は崇拝や依存によって成り立つような気がしますからね。それを否定する自灯明・法灯明の精神は、その後、教団化していく仏教にとって、扱いづらい考え方だったに違いありません。

2004年10月21日 坂田光永


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