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釈 尊 フ ァ イ ブ の
お説教は言わないで

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第12話「いい加減」 −釈尊の教え(4)中道・足るを知る−

ジャネット ちょっと、またこんなもの買って!
マイケル いいんだよ、健康食品なんだから。いくら食べても体に悪くないんだよ。
ジャネット それにしても、こんなにたくさん買わなくたって…。
マイケル 俺は健康を心がけてるんだ。うがいは欠かさずやってるし、シャンプーも発がん物質が入ってないのを使ってるし、毎日2回ビタミン剤も飲んでるんだぞ。
ジャネット それがやりすぎだって言ってんのよ。このあいだ買った健康キットだって、すでにほこりかぶってるわよ。
マイケル とにかく俺は、常に健康に気を使いたいんだ。あー、なんかイライラしてきた。たのむから、いい加減にしてくれよ!
ジャネット そう、それそれ、「いい加減」。あんたこそ、やりすぎないで「いい加減」にしなさい。
マイケル うるせー! なんだか、健康に気を使いすぎて、病気になりそう…。


 突然ですが問題です。

 右の写真をご覧ください。これは「石庭」で有名な京都の龍安寺にある、手水鉢のつくばいです。何やら字が書いてありますね。

   五
 矢 □ 隹
   疋

と書いてあります。いったい、どんな意味でしょう?

 答えは後ほど発表するとして、ここでは仏教的生き方である「中道」について解説します。

 「中道」とは読んで字のごとく、右でも左でもない「道の中ほど」という意味です。すなわち、両極端な生き方をせずに、「何事もほどほどがよい」という考え方です。

 どうしてそんな考え方が導き出されたかというと、それは第11話で説明した「縁起」と関係があります。

 縁起とは、「物事は単独で存在しているのではなく、関係性の中で存在している」、「世の中はすべてつながっている」ということでしたね。ということは、私が何かをすれば、必ずそれは誰かに何らかの影響を与える、ということになります。もし、私が極端なことをすれば、誰かへの影響も極端になります。

 例えば、お金に困っている人がいました。その人に、私が極端な大金をあげたとします。私は善意です。でも、もらったほうは、大金に目がくらんで気がおかしくなってしまったり、他人からねたまれたりするかもしれません。善いと思ったことも、極端になると逆効果です。だから、なるべく極端は避けて、ほどほどにしておきましょう、ということです。

 第7話で紹介したとおり、釈尊は、極端な苦行を捨てて静かな瞑想に入り、悟りを得ました。これなども、一般に善いとされている修行が、極端になってしまうと意味がなくなってしまうことを示しています。「中道」はいろんなことに通じるようです。

 「中道」に近い言葉に、「足るを知る」という言葉があります。

 足るを知る、つまり、ちょうどよい加減を知る、ということです。

 先ほどの問題の答えは、この言葉を示しています。まん中の □ を漢字の「口」(くち)と見立てて、「吾唯足るを知る」(われただたるをしる)と読むのです。

 何事もやりすぎはよくありません。もちろん、不足もよくない。ほどほどがいいですよ、という考え方です。例えば「欲」がそうです。食欲が旺盛すぎると肥満になってしまいますが、食欲を抑えすぎると飢えてしまうでしょう。ただ、欲というのは往々にして過剰になりがちですので、「少欲」を心がけるぐらいがいいのです。これを「少欲知足」といいます。

 ジャネットの「いい加減」という言葉も、「中道」、あるいは「足るを知る」と同じ意味で使っています。

 ただし、「ほどほど」、「ちょうどよい」、「いい加減」というのは、口で言うほど簡単ではありません。人によって食べる量は違いますし、第7話で書いたとおり、釈尊の苦行がまったく無意味だったかどうかは微妙です。はたしてどれぐらいが「いい加減」かは、結局はケース・バイ・ケースなんですね。


2004年11月21日 坂田光永


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