★仏教・密教が500倍わかる★
釈 尊 フ ァ イ ブ の
お説教は言わないで

「釈尊ファイブ」が贈るキテレツ仏教・密教解説。限定25歳未満! 25歳以上の方には刺激が強すぎる恐れがあります…

第18話「リンゴは“在る”のか?」 −唯識の思想−

ジャネット さぁ、今日は大乗仏教の思想の一つ、「唯識」について勉強するわよ。唯識は、アサンガとヴァスバンドゥという兄弟がまとめた思想なの。
マイケル 知ってるよ、その兄弟。すごい大胆だよね。でも、実力じゃチャンピオンのほうが上だったね。
ジャネット それは「亀田兄弟」でしょ!
マイケル でも、彼らはお坊さんなんだろ?
ジャネット 反省の態度を見せるために坊主頭にしてるのよ! 兄のアサンガはヨーガの修行をしているときに唯識思想にたどりついたんだけど、弟とは初め、考え方がまるでちがったんだって。弟のヴァスバンドゥは説一切有部のほうに属していて、大乗仏教を激しく批判していたらしいのよ。
マイケル 大乗仏教を「ゴキブリ」とか言ってたんだよな。ヒートアップしすぎだよね。
ジャネット だから、それは亀田兄弟! ま、いいわ。結局、ヴァスバンドゥは兄に説得されて、唯識派に加わるの。そして、唯識思想を集大成するのよ。
マイケル なるほど〜。で、どんな思想なの?

ジャネット …それは、けっこう難しくって…。たとえば、普段私たちはリンゴが普通に「在る」と思っているけど、それはリンゴの形が見えたり、リンゴの味がしたりするだけで、実際に在るかどうかわからない、って考え方よ。
マイケル すべては感覚で感じたもの、頭の中で作り上げたものでしかないってわけだ。
ジャネット わ、わかってるじゃない。そういうことよ。
マイケル でもさ、それっておかしくない? 本質的には感覚なのかもしれないけど、現に僕らはこうしてリンゴを売り買いしたり、リンゴが在るっていう前提で会話したりしてるわけじゃない? それが人間社会の暗黙のルールなんだよね。
ジャネット ま、そうとも言えるかもしれないけど…。
マイケル じゃぁさ、唯識ってのは、そのルールを破っちゃうことなんじゃない。それって反則だよ。いくら思想の格闘技だからって、何をしてもいいって問題じゃないよ。
ジャネット …って、あんた、無理やり亀田兄弟に持っていこうとしてるでしょ!
マイケル あ、バレた?


 中観と並ぶ大乗仏教の思想体系として、「唯識」があります。

 唯識は、マイトレーヤ(弥勒)を伝説的な創始者とし、アサンガ(無著=むぢゃく)とヴァスバンドゥ(世親)が大成した思想体系です。

 アサンガ、ヴァスバンドゥの兄弟は、4世紀ごろ、西北インドのガンダーラ国(現在のパキスタンのペシャワール地方)のバラモンの子として生まれました。アサンガは大乗仏教を学びながらも中観の思想に飽き足らず、ヨーガの実践(瑜伽行ゆがぎょう)を続けるうち、マイトレーヤから唯識の思想を伝えられたといいます。一方、ヴァスバンドゥは説一切有部に属し、大乗仏教を誹謗していました。しかし、聡明な弟を見込んだ兄アサンガが説得。弟ヴァスバンドゥは「俺が間違っていた」と激しく後悔したのち、唯識思想の体系化に着手し、説一切有部で鍛えた論理力を存分に発揮して、『唯識二十頌』と『唯識三十頌』をまとめました。これらは唯識思想の集大成と言われています。また、中観思想の修行者を中観派というのに対し、唯識の側を瑜伽行唯識派と言います。

 経典としては、初期大乗経典の『般若経』の「一切皆空」と『華厳経』十地品の「三界作唯心」の流れを汲んで、中期大乗仏教経典である『解深密経』『大乗阿毘達磨経』として確立しています。

 ではその思想の中身について、簡単に紹介しましょう。

 唯識を一言で言うと、「ただ識(心)だけが存在する」ということになります。

 たとえばここに、リンゴがあるとします。…いや、本当に“在る”のでしょうか。私はただ、リンゴのような赤い形を眼で見て(視覚)、甘い香りをかぎ(嗅覚)、口にいれるとリンゴの味を感じ(味覚)、さわるとつるつるしているように感じている(触覚)だけです。五感によってリンゴを感知して、頭で「これはリンゴだ」と認識いるだけで、本当にリンゴが“在る”とは言えません。では、何がそう認識させるのか。それは「心」です。そこで、心はある、と言うことができます。

 中観派は、あらゆるものが「」である、と説きました。その結果、「なーんだ、なんにも無いんだ」、と虚無主義に陥った修行者が多かったといいます。もちろん、中観とはそんな虚無的な思想ではありません。しかし、結果として誤解された「空」の思想を、軌道修正する必要性が出てきました。そこで、唯識派は「とりあえず、私たちは外界をいろんなやり方で認識しているわけで、そのこと自体は認めようじゃないか」と言いました。外界を認識しているのは心だ、だから、とりあえず、心はある、というところから出発してみよう、というわけです。

 そして、説一切有部の論理も援用しながら、心の仕組みへと深い考察を進めていきました。

 それが、下の表です。

識の名称 意味・役割
前五識 眼識 視覚(見る)
耳識 聴覚(聞く)
鼻識 嗅覚(におう)
舌識 味覚(味わう)
身識 触覚(触れて確かめられる感覚)
第六識 意識 言葉を用いて上の五感を確かめ、考える
第七識 末那識 我執のある無意識の表層(エゴ)
第八識 阿頼耶識 心の中核、一切を生じる種子(しゅうじ)を有する

 前五識や第六識(これらを前六識といいます)は、感覚器官の働きと、それを束ねる意識のことです。それに対し、第七識・第八識は、いわゆる無意識というやつです。唯識は、無意識に注目した思想として、心理学的にも注目に値します。

 唯識派は、無意識を2段階に分けてとらえました。まず末那識とは、自我に執着する心、自我意識のことです。言い換えればエゴです。自分にこだわるあまり、いろいろなトラブルの原因にもなりますが、生きるエネルギーを生み出す根源でもあり、善とも悪とも決めつけることはできません。

 そして、末那識のさらに深層に位置し、前六識や末那識を生み出しているのが、深層心理の中核に位置する阿頼耶識です。

 唯識派は、阿頼耶識の働きを次のように説明します。

(1)過去の業(ごう)の結果を貯蔵する

 阿頼耶識は、過去に得た様々な経験の影響を貯蔵していきます。そのため、蔵識と呼ばれることもあります。私たちの見たもの、感じたことは、意識の上では忘れ去られていきますが、無意識の世界では消滅することなく蓄積されていきます。それを蓄積し貯蔵していく蔵が、蔵識=阿頼耶識というわけです。貯蔵した経験の影響=業は、忘れた頃に別の在り方で顔を出すかもしれません。

(2)外界のあらゆる諸現象を生じる

 阿頼耶識は前六識や第七識(末那識)を生み出します。そして、これら七つの識(心)を使って外界のあらゆる諸現象を認識します。先述したように、唯識とは「識(心)だけが存在する」という考え方です。ですので、外界として存在するとされているものは、実は「心」が自ら生み出したものなのです。「ここにリンゴがある」という言い方は、唯識の立場から言えば「心がここにリンゴを認識している」に言い直されます。「ここにリンゴがある」かどうかは問題ではありませんので、「心がここにリンゴを生み出した」とも言えるのです。このように、外界のあらゆる諸現象は心が生み出しています。その根源が阿頼耶識なのです。

(3)輪廻転生の主体となる

 唯識派は、「輪廻転生をする主体は阿頼耶識だ」と考えます。というと、いわゆる霊魂のようなモノがあるのか、と考えがちですが、そうではありません。『解深密教』では、阿頼耶識を「瀑流(ぼうる)の如し」と表現しています。ある川の風景を眺めていたとしましょう。川の流れの一部に注目しますと、川の水は常にそこに在り続けて、同じ形で波打っているように見えます。しかし、実際は上流から下流へ次々に流れており、中身の水は瞬時に入れ替わっています。同じ形で波打っているように見えても、中身の水は刹那に入れ替わり続ける。阿頼耶識もこういう状態なのです。阿頼耶識とは、刹那に生滅を繰り返す不連続の連続体なのです。

 では、このような働きはどうして生まれるかというと、阿頼耶識が種子しゅうじ)と呼ばれるものを有しているからです。種子は、上記の(1)でいう「業」の影響を刻んでいます。あるいは煙で薫じているというイメージから、種子が業の影響を受けるさまを薫習くんじゅう)と言います。また上記の(3)で「同じ形で波打っているように見えても…」と述べましたが、なぜ同じ形かというと、それは種子がその要因を作っているというのです。

 唯識は、このように非常に高度で緻密な理論を組み立て、人間の深層心理をほとんど説明しつくしてしまいました。この考え方は、仏教としては7世紀に、『西遊記』で有名な玄奘三蔵によって中国に伝えられ、日本には「法相宗」として確立しました。また唯識派の修行法はヨーガ(ヨガ)として知られていますし、心理学者ユングにも多大な影響を与えています。

 さて、ここからは私の独断ですが、唯識で言う外界と阿頼耶識(種子)の関係は、何やら生物と遺伝子の関係に似ているような気がしてなりません。というのは、私たちの肉体は、ずっと変わらずここに在り続けるように見えて、内実その細胞の成分は常に入れ替わっているのです。まさに「瀑流の如し」です。ではなぜ成分が入れ替わるのに、同じ形の細胞が維持されているかというと、それは遺伝子によってうまいこと計画されているからです。そして遺伝子の情報は次の世代へと受け継がれますが、ただしそれは不変ではなく、環境の影響を受けてときに変化し、適応しようとします。これが進化です。

 唯識は、心理学だけじゃなく、生物学としても非常にいい線を行っているなぁ。ただただ驚くばかりの私です。

2007年11月21日 坂田光永


 HOME