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釈 尊 フ ァ イ ブ の
第23話「聖徳太子の謎」 −日本への仏教伝来−
マイケル 仏教はどうやって日本に伝わってきたの?
ジャネット 日本にはたくさんの渡来人たちが来てたの。彼らが持ち込んだってのが最初ね。
マイケル 海外に移住するなんて、それこそ、レッツ!トライ人。
ジャネット あほくさっ! で、その後、百済(くだら)の王様から正式に仏教が伝わった。でも、それを受け入れるかどうかで国内がもめた。
マイケル 百済の言うことなんて、くだらねぇよ!ってね。
ジャネット それこそ、くだらないわよっ! まぁ結局は、蘇我馬子が物部守屋を倒して、日本は仏教を受け入れることになったの。
マイケル 物部氏の力は蘇我氏に「そが」れたってことだな。
ジャネット …もういいわ。ま、結局は蘇我氏も、馬子の孫の蘇我入鹿が「大化の改新」で討たれて、滅ぼされちゃうんだけどね。
マイケル 入鹿はいるか? …いっ、いない! みたいな?
ジャネット あんた、ダジャレ強化月間か何かなの?
マイケル そういえば、蘇我馬子って、たしか聖徳太子と同時代の人物だよね。
ジャネット その通り。でも聖徳太子って人物は謎だらけよ。なかには、実在しないって説もあるぐらい。
マイケル どういうこと?
ジャネット 聖徳太子ってのは後の呼び名で、今は教科書では「厩戸皇子」(うまやどのおうじ)とか「厩戸王」って書かれてるんだけどね。厩戸皇子そのものは歴史上の人物なんだけど、彼には優秀な官僚がいたのよ。「冠位十二階」や「十七条憲法」などは彼らの仕事だって説があるのよ。それが、後々になって「聖徳太子の偉業」って言われるようになったんじゃないかって話よ。
マイケル 聖徳「太子」だけに、「たいし」た仕事をしてないってことか。
ジャネット かぁーっ、またダジャレ!(怒)
マイケル それにしても、厩戸皇子って名前にしたって、なんだか変な名前だな。
ジャネット おっと、たまにはいいこと言うじゃない! 「母である間人皇女の胎内に救世観音が入り、皇子を身籠もった」っていう逸話があるんだけど、それってマリアがイエス=キリストを受胎したって話と似てるでしょ? 羊小屋で生まれたっていうイエスと、馬小屋の前で生まれた聖徳太子…。
マイケル そうか! 「イエス=聖徳太子」は同一人物ってことか!?
ジャネット そこまで言ってないわよ。そんな説、あんたは信じるわけ?
マイケル …イエス!
仏教が日本に伝来したのは飛鳥時代で、538年とも552年ともいわれていますが、はっきりしていません。
インドから中国に伝わった仏教は、高句麗(コグリョ/こうくり)・百済(ベクチェ/くだら)・新羅(シルラ/しらぎ)の三国にわかれていた朝鮮半島にも伝わりました。日本には朝鮮半島から多くの渡来人が訪れてきており、彼らは私的な信仰として仏教を持ち込んでいました。4世紀後半になると、朝鮮半島の三国の抗争は激しさを増し、日本に援軍を求める百済は、日本との関係を強化する目的で仏教を公式に伝えました(仏教公伝)。
ただ、日本にはもともと土着の信仰(古神道)があり、特に神事に携わる物部氏・中臣氏などは仏教の受容には否定的でした。一方、渡来人勢力に支えられた国際派の蘇我氏は、積極的に仏教を受け入れるよう訴えます。ここに崇仏・廃仏論争がまきおこったといわれます(仏教を巡る争いといのは後付けで、実態は物部氏と蘇我氏の勢力争いだという説もあります)。この争いは、587年、蘇我馬子が物部守屋を滅ぼしたことで、とりあえずの終止符が打たれました。
その後、蘇我氏が支援した推古天皇が即位し、推古天皇の甥で蘇我氏と濃い血縁関係にある厩戸皇子(うまやどのおうじ=後の聖徳太子)が摂政に就きます。蘇我馬子と聖徳太子は協力し、仏教的な価値観に基づく政治を進めていきました。聖徳太子は『法華経』・『維摩経』・『勝鬘経』の三つのお経の解説書(『三経義疏』)を著したほか、特に鎮護国家の経典として『金光明経』を重んじました。またこの時代、飛鳥寺や四天王寺、法隆寺なども建立されました。
聖徳太子の主な事業としては、能力重視の人材登用を定めた「冠位十二階」や、天皇と仏教への崇拝を旨とする「十七条憲法」などがあります。特に十七条憲法の「和を以て貴しとなせ」というフレーズは、日本人観を最もよく表す言葉として、しばしば用いられてきました。
しかし、この聖徳太子の人物像には、さまざまな異説が存在します。
例えば、「十七条憲法」などの諸事業は聖徳太子の仕事ではないというものや、『三経義疏』は偽作との見方があります。さらには聖徳太子という人物そのものを架空だという説もあります。厩戸皇子の存在は否定されないものの、その存在が後世になって粉飾・拡大され、「聖徳太子」として祭り上げられたというのです。右の絵も、今では聖徳太子かどうかが疑わしいとされていて、「伝 聖徳太子」と説明されています。
そもそも「厩」(うまや)で生まれたという伝説でさえも、羊小屋で生まれたイエス=キリストを連想させるではありませんか。ただし、これは中国の伝説の影響とする説が有力で、必ずしもイエスと直結するわけではありません。
いずれにしても、聖徳太子の歴史的な位置づけとは別に、その後の太子信仰は根強く広がっていったことは間違いありません。日本の仏教のスタートを語る上で、やはりこの聖徳太子の存在は欠かすことができないのです。
2010年9月21日 坂田光永