講義録

外国人から見た日本

講師:モハマッド・ライース






(講義内容の二次加工については、著作権を放棄しておりませんので、必ずお問い合わせください)

 

 本日は、インターキッズ国際塾にお招きいただき本当にありがとうございました。そしてまた、この席で皆様にお話しできます事は大変嬉しく思っております。

私は日本が大変好きです。日本で留学時代に日本語も好きになり、よく日本語を使って言いたいことを面白く説明する事がありました。留学生の友だちも沢山おりました。中には勉強をあまりせず、遊ぶことばかりしている学生もおりまして、私は彼らのことを「留学生」ではなく、「遊学生」と呼んでいました。(笑)渋谷大学で学位を取って、新宿大学の大学院に行き、池袋大学で博士号を取ったというふうにです。そういった遊学生の中で、女性の言葉が上手になった男性もいました。(笑)

一方留学生の中には、日本語に惚れて、日本語を一生懸命に勉強したり、日本の書物を読んだり、日本の詩や百人一首を覚えたりした方もいました。日本の武道に惚れた留学生もおりました。

私は当時、東京に住んでいました。一度鎌倉に行った時、茶道の教室が主催したお茶会に招かれました。出された抹茶が苦かったのを覚えています。そして、正座したことで足がしびれてしまって、立てなかったことも記憶にあります。

もう一つ、今では思い出すと笑ってしまいますが、当時は驚いたことを覚えています。抹茶(粉)を入れて、茶筅でお茶を立てている時は、髭剃りの石鹸を泡立てているように感じ、髭を剃る準備をしているのではないかと思いました。いったい、着物姿のきれいな女性たちが誰の髭を剃るのだろうと、不思議に思いました。(笑)

この茶会がきっかけで茶道のことを勉強しました。

茶道で「一期一会」という言葉がありますが、今、ここで会っている皆さんとは再び同じ時間、同じ場所、同じ気分つまり全く同じ形で会うことはないわけです。だからこの機会を大切にして、私が日本に長い間いる経験を踏まえて、国際化や国際交流などについて感じたことを中心に、沢山の面白いエピソードを交えながらお話を申しあげたいと思います。

先程司会の方が私の難しい名前“モハマッドライース”をきれいに発音してくださいましたが、私の名前の方はモハマッドです。これはイスラム(教)<正式には「イスラーム」>の預言者の名前と同じです。「ヨゲンシャ」というと未来のことを予言するというふうに考えがちですが、預言者という言葉には預かるという意味がありまして、英語で言うと、メッセンジャーという意味になります。つまり、イスラーム(教)ではヨゲンシャは未来の事を予言するのではなく、「神様から啓示を預かってきた方」と信じられています。

次は私の姓Raees(ライース)ですが、これは発音する時よくRiceやLiceと間違えられます。皆さんLiceって何か知っていますか? 中学校の試験でよく出てくる言葉です。Mouse“ねずみ”の複数はMiceですね。それと同じようにLouseといったら、これは虱なんですが、その複数はLiceです。私の名前が“Lice”と発音されると、私は虱の群れになってしまって具合が悪い事になります。ライスと発音された方がむしろいいです。

私は日本のお米が大好きです。ただ若干磨き過ぎが気になります。米に白という字を書いてなんと読みますか。粕(かす)ですね。白く磨きすぎると米はカスになってしまいます。つまり健康によくないですね。また、米に健康の康を書くと糠(ぬか)ですね。これは健康にいいです。つまり、私の名前を少し色づいた米、つまり、外米のように若干延ばして“ライース”と発音して頂ければ覚えやすいかと思います。



『パキスポン人』

 私は日本と縁ができて、延べでいいますと、だいたい30年近くになるわけですが、他の外国人と比べて、私は自分を恵まれている外国人だと思っています。なぜかと言いますと、日本に滞在期間中に大変良い友だちと、素晴らしい先輩や上司に恵まれて、日本人の持っておられる人情や思いやり、親切なところ、負けず嫌いなところ、規則好きなところ、それから割り切れないところを色々と経験しました。そして、時間が経つに連れて日本の文化や伝統の素晴らしいところが徐々にわかるようになりました。

 今では、まわりから「君は身も心も日本化してしまったのではないか」と言われています。つまり、日本人のような感じになっているということですね。一時期「変な外人」という言葉が流行しましたが、それを乗り越えて、私はむしろ「変な日本人」になってしまったと思いました。(笑)

日本化した私は自分の国へ帰ると、若干困ったことがあります。考え方を始めとして、いろんなものが全部日本的ですから、「君はまるで日本人だ」と言われてしまいます。

その日本化の中に、たとえば日本のサラリーマンがよくするしぐさもありまして、電話で話しをする時「ありがとうございました」を会釈しながら言う時があります。

 また、人に紹介されると相手に握手する代わりに会釈してしまい、相手が握手のために延ばした手を見て、「ここは日本ではない、外国だ、本当は自分の国なのに!」と、気がつくと頭をあげながら慌てて手を延ばして握手する事があります。まわりから注意されると、「そんなことはない、前に出てこうやって握手していたよ」と、そのことを最初認めませんでしたが、写真を見せられた時、そのおかしなカッコウは本当に困ったことだなぁと思いました。自分の国、パキスタンに帰ってから現地の習慣に戻るにはいつも2、3週間はかかります。

 あるいはまた、国(パキスタン)で日本米やそれに似た粘っこい米はないかと探し歩く時もあります。パサパサした米はカレーをかけて食べる時やチャーハンにするにはいいんですが、やはり日本の米がうまいですね。

また、お風呂もシャワーだけではものたりないんです、お湯に首までつからないと風呂に入った気がしない。日本人がパキスタンやバングラディシュに行くと、みんな屋上に大きな桶を据えて、その中にお湯を入れて入っていたりしますが、国に帰ると私もそんなこともよくします。

こういった自分の日本化だけでなく、日本びいきの話をしたりしても、再び「君はまるで日本人だね」とよく言われます。しかしそれは、フランスに長い間いる日本の方も、フランスびいきになったり、アメリカに長い間いるとアメリカびいきになったり、カナダにいるとカナダびいきになったりすると同じようなものです。 

しかし困るのは、こういった日本人みたいになっているのに、日本に帰ってくると、日本人は私のことを日本化した人とは思わないんです。日本語をできない、日本の習慣も全く知らない、つまり来たばかりの完全なパキスタン人として扱います。ですから私には国がないんです。そこで、私は自分なりにパキスタンのパキスと日本のポンを取って、それをくっつけて「パキスポン」という国を作りました。そういった意味で、私はむしろパキスポン人ではないかと思います。(笑)

 

一時KSB(瀬戸内海放送)でテレビ番組を持っていたとき、私はよく「自分がパキスポン人だ」とPRしていましたが、現実的な意味で私の中にはパキスタンと日本の両国の言葉や文化、ものの考え方が存在しており、それを認め合い、尊重し合いながら、お互いから学び、助け合って暮らしているのだと感じています。 

私は、見た目では外国人ですが、中身は日本人の部分も入っているから、複眼で物を見ることができます。考えてみれば、人生が非常に豊かになった気がします。これこそが大変意義あるものと思い、人生を大変楽しく感じています。 

例えば、味覚では、日本の薄味もわかるし、他方でパキスタンの辛いカレーの味もわかるといった具合です。浴衣姿での盆踊りも楽しむことができるけれども、パキスタンの北の方の踊りも楽しむことができる、両方が味わえるということです。



 

増えてきた外国人

日本には今、私が最初に日本に来た時と比べますと、外国人がずいぶん増えました。

現在日本に登録されている外国人は185万人います。5年刻みで見てみますと、1997年には148万人、92年には128万人。1980年には88万人という数です。

私が日本に来た時は今の半分くらいでした。留学生の数は最初から見ると10倍になっています。ずいぶん増えました。

私が20数年前に岡山に来た時には、岡山大学には外国からの留学生は確か50人ぐらいだったと思います。今はその数が1000人を超えたといわれていますので、20倍ぐらいに膨れ上がっているわけですね。

20数年前の岡山では外国人は非常に珍しい存在でした。後楽園あたりに行くと「外国人がいるなぁ」といった感じでした。町で外国人を見かけると、子どもは「あーっ、ガイジンだぁー」と言っていましたが、(笑)今はそういう現象はほとんど見られなくなりました。

今はこの岡山市70カ国ぐらいの人がいます。人数にすると8000人ぐらいの外国人が住んでいるわけです。岡山市の人口は63万人ぐらいですからその約1.3%ぐらいになりますね。岡山県内には78カ国の人が17,500人くらいいます。人口比では0.9%くらいでしょうか。

つまり、外国人が日本に増えるに連れて、日本では「国際社会」、「国際化」、「国際交流」、「民間大使」、「民間ボランティア」これまで聞いたことがないような言葉を聞くようになったわけです。いろんな組織で国際交流に取り組んでいる人もずいぶん増えているわけです。

そうなると外国人に関する問題点や困ったことも出てくるようになりました。留学生にまつわる色々な問題は昔からありましたが、一般的に目立つような問題はなかったんです。ところが人数が増えてくるに連れて外国人による犯罪や、外国人労働者の問題や、不法就労の問題などが出てくるようになりました。

そういったことを日本人側からの見方と、外国人側からの見方ではずいぶん違います。例を挙げると、外国人からは、「『労働者』といわれるのは外国人だけで、日本人は同じ仕事をしてもなぜ『労働者』とはいわないんだろうか」と。また、日本人からは、「外国人の不法滞在が後を絶たないけれど、日本ではずいぶん儲かるんだろうか」と言われます。実際には儲からない人もたくさんいて、ずいぶん痛い目にあって帰る人もいます。

それから、外国人との交流や、留学生の活用や、海外からの企業の誘致なども話題になっています。そのために外国人との付き合い方、いわゆる「ハウツウもの」もずいぶんと出回るようになりました。こういった問題を、長い間日本にいる一人の外国人の観点からこれから2、3申し上げようと思います。



 

国際化は日本化

「国際化」という言葉は1970年代の後半、中曽根総理の時代から一般的に普及したと思います。私が思いますには、現象的に「国際化」を考えるとその背景に一つの対照的な現象、つまり「日本化」の現象があります。

外国から日本に入ってくるものはどれも日本化され、日本に定着するために日本の衣を着るわけです。これは言葉であろうと、食べ物であろうと、技術であろうと、あるいは宗教であろうと、日本に入ってくるもの全てが見事に日本化してしまいます。オリジナルはどこの国だったかもわからないくらいに。

言葉で見ますと、先程、riceのお話をしましたが、私は日本に来て、最初は、「rice」と「ご飯」は全く同じ意味の言葉だと思っていました。しかしこれは違っていました。どう違うのか、一つのエピソードで説明しましょう。

以前、私は神戸から岡山まで新幹線通勤をしていました。いうまでもなく、それは私が今勤めている会社、つまり株式会社林原のお陰で可能だったのですが、帰りに時々夕食のために食堂車を利用していました。今は食堂車はなくなりましたが、その頃はありました。そこで洋食を頼むと、必ず「riceとパン、どちらにしますか?」と聞かれます。私は「ご飯をください」といつも言っていました。するとウエトレスさんが私に「ライスですね」と訊きかえしたり、あるいは調理場から近い席だと、彼女の調理場に向かって言う「ライス1つ!」が私に聞こえたりしました。私は「ご飯」を頼んだはずなのに何故相手がわざわざ「ライス」と言い換えるのか不思議でした。

でもよく考えると、「ライス」と「ご飯」は明らかに違います。どこが違うのかというと「ライス」は洋食、皿の上に乗っかっていて、フォークで食べるもので、同じものが茶碗に入っていて、箸で食べるのが「ご飯」です。「ご飯」は和食で、場所によってお代わりも可能です。

そう考えてみると、外来語はほとんどといっていいほど日本化します。そして日本人の使用する独特の含みの意味を成します。

たとえば、皆さんに「ミルクと牛乳はどう違うでしょうか?」と聞いても、「同じです」という答えが返ってきます。字引を引いても同じです。しかし、皆さんは無意識に使い分けているはずです。私がその違いに気が付いたのは、ある喫茶店でした。友だち数人と一緒にある喫茶店に入った時の事です。

「みなさん何になさいますか?」と聞かれた時、皆それぞれ、「コーヒー」とか「紅茶」とか注文されました。私は「牛乳ください」と言ったんです。そしたら「お客さん、ミルクですか?」と問い直されたのです。牛乳は昔、各家に朝配達されていましたが、今はパックやビンに入ってスーパーで売られています。これを暖めてカップに入れると「ミルク」と言われます。そして氷を入れると「アイスミルク」に早代わりします。このように日本人は日本語での「牛乳」と「ミルク」を上手に使い分けています。 

もう一つ例を挙げますと、日本でいう「マンション」と英語でいう「マンション」は、全く違います。私は学校卒業後、4畳半ぐらいの小さなアパートを借りたんですが、そのアパートには「○○マンション」と名前がついていました。イギリスにいる友だちに「私の住所はこう変わりましたから」と手紙を送ると、友だちから、「君はすごいところに住んでいるんだね、マンションだって!」といった返事が返ってきました。イギリスでは「マンション」というとすごい大邸宅なんです。(笑)


 

この日本化した言葉で私は恥をかいた事もあります。会社の仕事でニューヨークへ出張しました。そして週末にアメリカに住んでいる弟とその家族と一緒に、車でトロントへナイヤガラの滝を見に行きました。宿泊したモテルの近くで会社の方々のためにお土産を買いました。日本に帰ってから、そのお土産を会社の人たちに配ったら、受付の女の子から「ライースさんはアメリカに行ったのに、なぜカナダのお土産ですか?」と聞かれました。「あー、こうこう、こうで。弟とその家族でモテルに泊まった先で買ったお土産です」と説明したら、「えー! モテルに泊まったの!」と皆目を丸くしたのです。なぜそんなに驚くのかと思ったのですが、後で分かったのは、日本のモテルとはラブホテルの意味だったのです。車で行って家族で泊まる従来のモテルの意味が、日本化した言葉では、実際の意味が変わってしまったのです。(笑)

日本には「オレンジカード」というカードがあります。昔の国鉄、今JRですが、それが最初に発売された時、好奇心が強い私は早速買いに行きました。でも、そこにはオレンジ色のカードが全然なかったのです。「これがオレンジカードですか?」と聞くと、「はいそうです」と言われました。「オレンジ色のカードは全然ないじゃないですか、それでもなぜオレンジカードですか?」と聞いたら相手は驚いた顔をして困った様子でした。オレンジ色のカードは一枚もないのに、なぜオレンジカードなのか、皆さん考えたことがありますか? 

皆さんはこういったことは横文字だけかと思うかも知れないですが、漢字でも同じです。たとえば「調整中」という言葉があります。今は余り見かけませんが、駅の大きな時計などによく「調整中」と張り紙がしてありました。「調整中」というのは、この時計が時間に若干の狂いが出たので元に戻すことを意味しますが、しかし、その時計は1週間も「調整中」の張り紙が張ってありました。はしごを持って来てすぐ直せばいいのに、何でいつまでも調整中なのか不思議でした。しかし実はその時計は故障中で、聞こえがいいように調整中の紙を張っただけの話だったのでしょうと思います。

また、飲み屋や食堂などに「準備中」という札がかかっていることがよくあります。

ある時、「準備中」の札がかかっている店に、営業時間内に時間をずらして何回行っても、「準備中」の札がかかっていて驚いた事があります。店が閉まっていても「閉店」とは書いていないですね。一般的に札は「営業中」か「準備中」です。そのため、店はいつも営業中以外は準備している事になっています。はっきり閉店と書けばいいのに。

「終戦」と「敗戦」という言葉が今議論の対象になっています。日本語の使い方から見るとこれも準備中が閉店を兼ねているようなものと理解ができます。ただ、中国や韓国の方は、なぜ「敗戦」と書かないのか疑問に思う方が多いです。日本にいる外国人は「終戦」という言葉を聞いても、よっぽど日本語を知っている方でないと、これは敗戦の意味も兼ねているとは、恐らく分からないでしょう。

話は若干それますが、これは私が“外人広報室長のニッポン透視学”という本にも書いた話です。

日本のある空港のロビーで、私がジュースを買おうとしたら、自動販売機に「故障中」と張り紙がしてあったんです。そして、そこからちょっと離れたところで、あるおじさんが250円でジュースを売っていたので、仕方がないから250円出してそのジュースを買って、待っていた家内と子どものところに戻って来たら、家内は子どもたちとジュースを飲んでいるのです。「『故障中』じゃなかったの?」と聞くと、家内は「いや、ちゃんと買えたよ。何か張り紙がしてあったけれど、私、漢字が読めないからお金を入れたら、出てきたのよ」と言いました。つまり、そこは機械が故障したのではなく、そのおじさんがジュースをわざと高く売ろうと思って、機械が故障したと見せかけただけの事でした。日本化した私を含めて日本人はまじめだから…。

話を元に戻します。日本に入って来る言葉だけでなく、食べ物も同じです。インドのカレーライスでも、中華でも、イタリア料理やフランス料理、どんな料理をとっても日本に入れば、日本化の恩恵を受けることになります。

技術も宗教もそうです。小乗仏教が日本に来て大乗仏教に変わったりしています。他の国にも似た現象が勿論あります。ただ、日本程完璧ですごいものではありません。



 

人間も日本化する

先程文化や宗教だけでなく、技術までも日本化すると申し上げましたが、実は人間も日本に生活していると日本化します。

人間の場合は生きているものですから、その過程を身を持って感じる事ができます。私のように日本に長く住んでいる人は特にそうです。日本語をまわりから誉められながら次第に上手になっていきます。会話だけでなく、読み書きもそうです。

日本の学校でまじめに勉強していれば、外国人だって日本語は当然できます。私が昔いた東京の会社で、ある時、女の子が謙遜の「遜」を尊敬の「尊」と書いていたので、私が「謙遜の遜は孫にしんにゅうではないか」と言ったら、数日以内に会社の女の子たちにこの事が知れ渡り、「あの外人は漢字をよく知っているから怖い」と言われ始めました。日本では漢字をよく知っている外人って感じが悪いんですね(笑)。だから私はその時から日本人の前であんまり漢字を使わないで、「よくわからないんだけど、あなたはどう思うか」「字引を引きましょう」と丁寧に言うようにしました。(笑)

 

私ごとで恐縮ですが、自分が日本化した過程を簡単に述べれば、先ず日本の食べ物が好きになりました。味噌汁や、納豆、豆腐、寿司などを好きになりました。寿司の中ではまだ好き嫌いが若干ありますが……、同時に布団に寝ることから、風呂の味や浴衣の肌触りも覚えました。

 

時間が経つにつれて日本人の良い習慣もそうでないものも身につきました。物事を控えめに言ったり、謙遜したり、割り切れなかったり色々なことを覚えました。

余りよくないことも少しありますが、エレベータには急ぎながら、時には走って乗ったりする事は癖になってしまいました。

エレベータに走って乗るのは日本以外では珍しいことのような気がします。ある時、日本で家内と一緒にエレベータに急いで乗ろうとしたのですが、私がいくら慌てても相手は全く急がなかった。優雅にゆっくり歩いていると、エレベータを乗り逃がしてしまいました。「行ってしまったじゃない!」と言ったら、相手は「また来るでしょう。あなたはエレベータのためにあるの? エレベータはあなたのためにあるの? どっちですか?」と言われてしまったのです。「エレベータは私たちのためにあるんです・・・」と言うと、「じゃあ待っていればいいじゃない」と言われたんです。私はいつも急いでいるわけじゃないけれど、日本人と同じように待たないで走って乗りたいという気持がある。つまり、まわりの影響もあってそうなってしまったのです。

また、電話で話しながら会釈する日本のサラリーマン現象(最近は少なくなりましたが)も知らない間に身についてしまいました。

外国人が日本に住んでいると日本化することはごく自然です。ただ問題はその後です。言葉や食べ物や技術や宗教などは日本化すると日本に定着するか、あるいは定着しやすくなります。

しかし、人間の場合は違います。不思議な事に日本化していない、つまり来たばかりの外国人は可愛がられますが、一旦日本化するとむしろ可愛さがなくなって、定着しにくくなります。せいぜい「変な外人」とレッテル張られるのが落ちです。

この現象は他の国々と若干異なります。一般的に外国人がその国の言葉や文化習慣を身に付けると大事にされます。また法的にも、その国の国民とだいたい同じような扱いを受けます。

日本化した外国人は日本では法的にも不利になる事があります。時間の関係で詳しく述べませんが、会社に入っても外国人は正社員より「嘱託」という地位に置かれることが多いし、報酬は「時給制」になっていることも多い。厚生年金を払っていても、退職後はもらえるかどうかわからない。失業保険を払っていても、失業したらすぐ帰国することが多いのでもらえない。 

日本の企業で働いている外国人は国に帰りたいと思っても、休暇がないからなかなか帰れない。また、外国人がホワイトカラーの仕事に就くことは少ないですね。大体の人は語学を教える仕事か、雑役によく就いているんです。本当は、日本に留学して、日本語もできるようになって会社に入れば、会社にとっては非常にプラスになり、その国とのパイプも簡単に作ることができて、会社の国際化にも繋がるはずですが、そういった風潮は日本にはなかなか定着していないです。

外国人は子どもの教育の面でも不利です。状況は以前よりは若干よくはなっていて、日本の小学校に外国の子どもの数も増えましたが、やはり未だに問題が多いです。

ここで今私が勤めている会社のPRをするつもりはないのですが、地方にある企業にもかかわらず、林原は今から30年以上も前から外国人を社員として採用し始めたのです。そして、その後ニーズに応じて時代に即応しながら、その数を増やしていきました。また、彼らの住まいのために岡山市の藤崎に立派なビルを建て、彼らの子どもの教育の事にも気を配った事は岡山の国際化に多いに役立ったと思います。日本の企業のためにあらゆる面で素晴らしい参考材料になろうかと思います。

 

ここで申し上げたいのは、今日本では外国人の数は増えましたけど、外国人に対する考え方は、外国人が少ない時代と、それほど変わっていないのが現状だと思います。こういった事こそが日本の国際化の妨げになっているのではないかと私は思います。

 



固定化したイメージで物事を見る

私は日本人は物事を見るとき、特に外国人を見る場合は固定的な見方をしていると思います。

例えば、「外国人は日本語はあまりできないだろう」と思っています。
しかし、留学生は6ヶ月もすると大体の会話ぐらいはできます。1、2年もすると、たいてい上手に会話ができるようになります。漢字圏の学生は漢字が非常にうまいですので、日本語の読み書きは早く上達します。私のように漢字圏でない人でも2、3年も勉強すれば新聞を容易に読めるぐらいの漢字は覚えます。留学生でない方でも、書くことは出来なくても、話したり読んだりすることはできるようになりますから、外国人で日本語ができる人の方が多いというわけです。

だから、外国人は日本語ができないと思って英語で話しかけるより、ここは日本だから、先ず日本語で話してみて、だめだったら英語にすればいいのではないかと思いますが……。「外国人は日本語ができない」と日本人が思っていることについては、後で私の体験を踏まえて詳しく面白い話を申し上げます。


それから色の白い人は必ず英語ができるという考え方も間違っています。日本では、外国人はロシア人であれ、フランス人であれ、あるいはブルガリア人であれ、色の白い人だったら皆英語ができるだろうと思っている節があります。昔は色の白い人を束ねて外国人ということもありましたけれど、アジア人や南米の人が増えるに連れてその考え方が次第に変わってきています。

それから外国人には日本の腹芸や、建前などはわからないだろうと思っている節があります。しかし外国人でも日本に長く滞在している人は建前も腹芸も分かります。どんな外国人であれ、日本で生まれ育ったら結構日本のわびさびの事までわかります。むしろ日本人で小さい時から外国に2、30年もいると外国人になってしまっているからこういったことがわからないのは普通だと思います。

「日本は『島国』です、だからと…」という話をよく耳にします。昔はこの話でよかったのですが、今、マスコミや交通の進んだこの時代では、時代遅れだと思います。これは固定的な考え方そのものだと思います。 

また、役所に行くと、「前例がありませんからこれはできません」とよく言われます。

私は、前例がないから今から作ればいいじゃないと思います。恐らくこの言葉の背景に新しいものに挑戦するより、諸先輩方が引いたレールの上にのっかって歩いていれば失敗する恐れがない。失敗すると責任を取らされる。それを避けるために「前例がない」と言って、やらない方が賢いということではないかと思います。

それから「日本人は外国語が下手だ」とよく言われますが、私が外国にいる日本人に会うと、びっくりする程英語もフランス語も、ドイツ語も上手です。また、日本国内でもこの人はアメリカ人ではないかと思うぐらい英語の発音がきれいな日本人もたくさんいます。

ですから、「日本人は外国語が下手」というのは一つの固定的な考え方だと思います。日本人は語学が苦手や下手な部分もあるけれど、全部が全部そうではないということです。そしてその原因は日本人の外国語を学ぶ能力より、教えた方、つまりシステムに問題があると思います。

それから日本人は物まねがうまいともいわれますが、これも固定的な考え方です。私は日本人ほど想像力豊かな民族はいないと思っています。これについてお話すれば、本を書けるぐらい証明できる内容があります。時間の関係もありますので、この点でご質問があれば、後で説明致します。



 

外国人は日本語ができない?

先程申し上げました、外国人と日本語について私自身が体験した面白い話を紹介しましょう。

私は岡山に来て、最初は街について余り知らなかったので、時々地図を見ながら歩いていました。そしたら、前から来る人がみんな道路を隔てた反対側に歩き始める事に気がつきました。何でだろう、おかしいなと思ったので後で友だちに聞いてみたら、「日本人は皆頭がいい。君は地図を見ながら歩いていたので、もしかすると、英語で道を訊かれるかも知れない。自分は横文字には自信がない。『君子危うきに近寄らず』というわけで、道路を隔て、『反対側の道路歩いたほうが無難だ』だけのことだよ」と話してくれた。

それから在来線に乗っていた時の面白いエピソードを紹介しましょう。それは冬の時期で、電車は暖房が効いていてポカポカしていて、私は知らない間にうとうとしていました。そうしたら前の席に座っていた女子高校生らしい子たちがいろいろしゃべっているのが聞こえてきました。彼女たちは私は眠っていると思ったのか、その一人が「あの外人は睫毛が長いね」と言いました。確かに私は目が大きいから、神様がごみが入らないように睫を長くしてくれたと思っています。次に聞こえてきた言葉が面白かった。「マッチが何本乗るかしら」。睫毛が何ミリかを測ることはあっても、マッチ棒を乗せるなんて考えてもみなかった。家へ帰って早速マッチ棒を乗せてみようかなぁと思ったのです。(笑)

そのうち「これ本物ではないわ、絶対付け睫毛よ」って言う声が聞こえたんです。で、私は眠気が飛んでしまって、睫毛を手でつまんで「これ本物ですよ」と言ってしまったんです。(笑)すると、「ギャー」という驚いた声がしてその子たちはその場を慌てて逃げるように離れてしまった。まずいことをしてしまったなぁ、黙って楽しんでいればよかったと後で思いました。(笑)

岡山は地方都市で、外国人が少ないから、彼等を見て、この人は日本語をしゃべるかどうかはわからないだろう、でも、東京は外国人がたくさんいるからそんなことはないだろうと思うかも知れませんが、そうじゃないですね。東京でも私は同じようなことを何度か経験したことがあります。

一度山の手線に乗っていて、座っていた隣の席が空いていました。電車が停まって、乗ってこられた白人のおばあさんが、「畏れ入ります」と言いながら私の隣に座ったんです。日本語で「畏れ入ります」と言うくらいですから、日本語が堪能な方なのでしょう。次の駅で、そのおばあさんの隣の席が空いたのです。そこへ高校生がぞろぞろと乗ってきて、その内の一人がもう一人に「席が空いているから、お前座れ」と勧めたんですが、その外人のおばさんが日本語を知っていることも知らずに、それを言われた子が「婆の傍はいやだ」と言ったんです。「君が嫌ならわしが座るぜ」と言って最初の高校生が座ったんです。それから2、3駅して、そのおばあさんが降りる時、彼らを見て「ババで悪かったわね」と言って降りたんです。彼等は本当にびっくりした顔でした。私以外にもまわりにいた人たちが笑っていたことを覚えています。(笑)

私が一番驚いたのは、しゃべっても通じなかった経験です。ちょうど出張で東京に行った時、銀座で迷子になってしまって、ある通行人に、「すみませんが、こういうところに行きたいんですけど、どういう風に行けばいいでしょうか?」と、聞いたとたんに、彼は私の顔をみて手を横に振って歩いて行ってしまったんです。私は不思議な人だなぁと思って振り向いて見ると、彼も5、6歩ほど歩いて立ち止まって私の方を振り向いたんです。そして手を挙げて「あ、先ほどは失礼しました。確か、あなた日本語をしゃべりましたね、ごめんなさい。」と言ったんです。(笑)外国人の口から出た言葉が、日本語であっても、外国語に聞こえてしまうのは普通に考えると不思議です。しかしこれは、固定的観念で「外国人は絶対日本語ができないだろう」と思っているからではないでしょうか。



 

小さい時に植えつけるイメージ

よく考えてみると、相手に対しての固定的なイメージは付き合っているうちにできあがるものですが、「付き合ってもいないのに固定的なイメージができるのは何故だろう」と私は疑問に思うんです。

私たちはイメージで人間関係を作っているんです。時間に厳しい人とか、すごく怒りっぽい人とか、丁寧な先生などなど、全部一つのイメージで見られていますね。でもそのイメージは育った背景でしか作っていないですね。茶乱歩欄(ちゃらんぽらん)に育っていたら、普通の先生でも厳しく思うし、時間に厳しく育てられたならば、のんびりしているいい先生だなあと思うでしょう。ですから私たちは、育った背景でしか物が見えないということを先ず理解する必要があります。

そしてまた、言うまでもなく小さい時に植え付けられたイメージが大人になっても中々抜けないものです。

「三つ子の魂百まで」とよく言われます。だから昔日本でも一般の家庭や小学校で必ずといっていいほど、「嘘をついてはいけない」「人のものを取ってはいけない」「弱い子をいじめてはいけない」「目上の人を尊敬する」「人を裏切ったり、憎んだり、恨んだりしてはいけない」というようなことを教えました。

しかし、こういうことを教える一方で、「外国人の考え方はわからない」「自分たちとは違うことを考えている」「アジア人はだめだ」「白人は優秀だ。皆英語もできる」など、こういったものを子どもに教えたら、子どもは大人の言葉をそのまま信じ込んでしまいます。子どもは自分で判断する力が余りないから特にそうです。そういうことから劣等感や優越感や偏見や縄張りといったことが生まれるのではないかと私は思います。それを直すにはものすごい時間とエネルギーがかかります。なかなかうまくいかないのです。初めに下手な発音で英語を覚えてしまうと、なかなか直らないのと同じです。

ですから小さい時が非常に大事で、小さい時に善悪の区別をキチンとつけておく必要があります。それを基準に子どもは自分でいろんな体験をしながらイメージを作っていきます。インド人にも悪い人はいる、アメリカ人にもいる、どこの国にも頭の悪い人もいればいい人もいる、留学生でこんないい人もいた、悪い人もいたと、自分でわかるわけです。つまり“自分で判断する力”ができてきます。

しかし、今は別な問題が出てきています。現代の日本の社会は、子どもの周りが危険な環境になっております。私が先程申し上げたことは子どもに危険について教えないで、無防備にするという意味ではありません。

 

小さい時に子どもに「おまえは頭が悪い」と言い続けたら、いい頭も悪くなります。「素晴らしい。よくやった」と言ったら当然よく育ちます。固定的に人を見ないで本質で見ることができるならば、私たちの人生は間違いなく豊かになり、それと同時に私たちが抱えている多くの問題も解決できると思います。




 

外国語はしゃべらないとしゃべれない

語学については、留学生は日本語が短時間でできるようになると話しましたが、ハンディはいろいろありますが、「日本にいる留学生のまわりは皆日本人で、日本語をしゃべっている」。これは大きなプラスです。ただ、なかなか日本語をしゃべらない外国人もいる。しゃべらなければしゃべれないんです。語学の場合は、目的が一番大事なんです。目的をどこに置くかです。もし聞いて理解して、しゃべることが目的であるなら、当然しゃべれるようになります。

日本の場合は昔、特に外国人とそれほど交流がなかった時代は、外国の書物を日本語に訳すということが行われていました。外国語を教えるには主に文学の先生が携わっていて、翻訳や文法中心の教育でした。文法は大事ですが、外国語を学ぶということは文法だけが目的ではないですね。それはあくまでも手段で、しゃべることが目的です。正しくしゃべれるためには、ある程度の文法が必要なことは間違いないですが、文法の習得が目的ではないですね。


もう一つ、日本では「受験」に関する勉強が優先的で、語学についてもそうです。しゃべれなくても、よく書けなくても、試験さえ受かればいい。要領さえ覚えれば試験は結構受かるものです。したがって試験に受かりますし、現実にそれが学校で語学を勉強する目的になってしまっています。そもそもこれが語学を勉強する目的とは異なります。今は若干考え方が変わってきて、受験でも会話も重視され始めています。

語学を学ぶ従来の目的、つまり会話ができて、自分が言いたいことを上手に書けて、普通の英語の書物を読めるぐらいの英語を学ぶことを先ずはっきりさせることと、その目的へ到達するためにどうするかということをはっきりさせたらいいと思います。そのためにイギリスやアメリカの英語の教え方を参考にするのも大事ですが、それよりむしろ英語圏でない国々の教え方を参考にした方がもっといいと思います。

それに、日本人は間違うと恥ずかしいという面があります。完璧主義なんですね。留学生の場合はそうではなくて、間違ってもいいからどんどんしゃべることが大事です。

私が日本語ができないとき、たくさんの間違った日本語をしゃべっていました。ある時、日本の方に「すみません」と言われたら「すみました」と言ったこともあります。友だちは「いらっしゃいませ」と言われたときに、「はい、いらっしゃいました」と言ったんですね。(笑)

もう一つ、私は日本のことを勉強しようと思って「地図」を買いに行ったんです。デパートに行けば何でも売っているので、インフォメーションで「日本の『チーズ』どこに売っていますか?」って聞いたんです。そうすると「地下へどうぞ」と言われたんです。でも地下にはどこにも地図らしいものはないので、店員さんに聞いたら、「日本の『チーズ』はここで、ヨーロッパのはあちらです」と言われたんです。(笑)

地図は6階の文房具売り場で売っていたものですから、買うまでに30分もかかっちゃったんですよ。そういう間違いをして覚えると頭によく入るわけです。

それからワンマンバスに乗ったときに、「曲がりますからご注意ください」とアナウンスがよくあったんですね。ところが日本語のヒヤリングに慣れていないから、この「ご注意ください」が「50円ください」と聞こえたんですね。「50円って高いなあ。曲がるたびに50円上がるなんて大変だなあ」と思っていましたよ。(笑)こういう経験は誰でも、どこでもありますね。

神戸にいた時、妻がスーパーに「ごみ袋」を買いに行きました。彼女は店員さんに、丁寧な日本語をしゃべるつもりで「『お袋』どこに売っていますか?」って聞いたんです。子どもが「おかあちゃん、違うって!」と言っているのに「黙っていなさい」と、取り合わなかったそうです。私が帰ると、子どもが大笑いして「今日はおかあちゃんが『お袋』買いに行ったよ」って。(笑)

私は天皇陛下にご進講を申し上げた事があります。その関係で宮内庁から家に電話がありまして、夜、私が家に帰ったら、妻が「『組合長』から電話があった」と言うのです。講演の依頼かな、どこの組合か、そして誰からの電話だったのかと聞いたら、「八木さん」という組合長からだと言うのです。次の日に会社に宮内庁の八木侍従から電話があって、「昨日家に電話した時、あなたがまだ帰っていなかったので、奥様に伝言しておきました」との話で、やっと家内の言う「組合長」が「宮内庁」だったことが分かったわけです。

語学ほど、間違いながら覚えることの面白さはそれ程悪くはないし、そうした経験をすると言葉の上達が早いです。

私は一時、こういった間違いだらけの例を集めて漫才にしたことがあります。(笑)

間違ってもいいからやってみて、少しできるようになると面白くなり好きになるんです。するとまた勉強します。そして、今度は外国へ旅して習った言葉を使って見たくなります。

今日ここにも英語の先生方がたくさんいらっしゃるからその方々に上手になるコツを教えてもらってください。

 

本日私は留学生時代に日本語を外国語として習得した方法を参考に申し上げました。

先ず目的をはっきりさせて、間違ってもいいからやってみること。少しできれば好きになる。好きになったらもっと勉強するようになる。一番大事なことはマジメにやることです。

語学は毎日少しずつやらないとダメなんです。そして、好きになる方法は語学そのものではなく、何か媒体を通して、例えば音楽が好きだったらその言葉の音楽を通してやるとか、小説が好きだったら簡単な小説を読むとか、映画も面白いですよ。映画を何回も見ているうちにわかるから。また、友だちをつくるのもいいでしょう。ペンフレンドを作る。ホームステイで友だちを作る。そういったことは語学をやるためには役に立ちます。


それから、余り力を入れないで自然にやること。私が算盤を習っていた時、2+2は4だと考えていたら、先生に叱られてね。「何も考えないで玉を上にあげろ、考えないで自然にやれ」と言われました。日本の武道にも「力を抜くこと」がありますので、日本の方々に私の方からその説明は必要ないと思います。



 

ローマ字と英語はちがう

 日本の「かな」と「ローマ字」は似たような発音をしています。外国人の名前にカナをふると最後に「ス」という音がよく出てきますが、例えば私の名前はライース、「ス」で止まるんだけけれど、「su」はカナをローマ字で書いたものです。英語の発音で最後にカナのような止め方はないんです。だから英語を日本の「かな」やそれに似たローマ字読みで発音するとおかしくなります。

 パキスタンではパキスタンの文字は難しいから、軍に入るために、パキスタン語を早く習得させたいと、ローマ字を使っています。できるだけパキスタン語の発音にちかいローマ字であるわけですね。

日本の場合、ローマ字が何故できたのかはわかりませんけれど、ローマ字と英語はぜんぜん違うということだけは確かです。だからローマ字ができたからといって英語ができるわけではないですね。ローマ字の下手な使い方がむしろハンディになる場合もあり得ます。

 日本では英語の単語も漢字みたいな感じでよく使っています。一時、JAPAN TIMESが「間違いだらけの英語」を募集したんです。謝礼も出る事になっていたため、JAPAN TIMESがパンクするぐらい間違った英語の例が届いたそうです。

一つ例をあげると、岡山駅の構内にある薬屋さんが「ヘルシーステーション」との看板を掲げています。これは、「健康になるための薬屋さん」ではなくて、「健康な薬屋さん」という意味になります。しかし、皆さんは違和感なくこういう言葉を使っています。英語の「ヘルシー」という言葉を完全に「漢字の言葉」として使っているように感じられます。

 

最後に皆さまのご健康と、ますますのご活躍をお祈りして、私の話を終えることにいたします。


 

【沖垣】日本に来ているライースさんの立場と、アメリカ、カナダにいた私の立場がちょうど同じようです。彼のような話は日本人としてもいっぱいあります。

 アメリカでは夜よくパーティをすると、スペルコンテストというのをやります。スペルを書かせるのです。例えばinternationalizationとかfoundationとかを書かせます。そのとき一番できないのがアメリカ人です。英国人もカナダ人もできたりできなかったり。できるのは日本人を含めた外国人。なぜなら、僕たちは英語を知らないから、いつも辞書を引いてスペルを覚えていくからです。アメリカ人はわからないとお母さんに聞く。お母さんが答えたらほとんど間違っている。(笑)だからしゃべるのは別として、書くのはアメリカ人よりもよく書けるという事実があります。

 もう一つ、僕が10数年ぶりに日本に帰って来た時に、友だちが「モーニングサービスに行きましょう」と言ったんです。僕は「モーニングサービス」の意味を知っていますから「よろしくお願いします」と言ったんです。友だちが連れて行ってくれた先は喫茶店だったんです。「モーニングサービス」といったらアメリカでは牧師が来るので、「牧師さんが来るんですか?」と訊ねたら、「牧師さんは来ません」「ああそうですか」といった会話をしたんですね。

 後でわかったのですが日本での「モーニングサービス」は、喫茶店で朝の10時まではパンとコーヒーが安くなることだったんですね。「モーニングサービス」というのはアメリカでは朝のお祈りのことなんです。喫茶店でお祈りをどうやってするんだろうと思ったんですね。

 それから日本の語学感覚の面白さですが、これもアメリカから帰って、ドイツ料理のお店に行くと、メニューが全部ドイツ語で書いてあるんですよ。日本なのにすごいなぁと思ったんです。僕とワイフと2人で行ったら、「ツバイバッサー」と言うんですね。水を2つ持って来ますという意味なんですね。3人入ってきたら「ドライバッサー」。それで8人入ってきたんですね、「8」というドイツ語知っているかなと思って興味を持って見ていると、「おひや、8人様」と言うんですね。(笑) 

つまり日本人というのは、こういう組合わせで言語を考えているんですね。

 日本に帰った時に、初対面の人に「おまえ日本生れじゃないだろう。腕の組み方が違う」と言われたんです。「日本人はそんなふうに腕は組まない。もっと上の方で腕を組む。人によっては『寒い』と言って懐手(ふところで)をする」「おまえは下の方で腕を組んでいるから日本人じゃない」と。だから言いたいのは、顔とかちょっとした言葉とかで人は何国人なんて判断できない。また長い間、外国にいると、物の考え方もだんだん変わってくる。そういう時代になりつつあるということです。