(2) 明暗や 色彩や 輪郭の 判断結果の中に、すでに 「距離」 が組み込まれてしまっているらしい事
例えば、絵を描く時、手前側に 鈍い色彩があって、背景の後ろ側に 鮮やかな色彩があった時、どう 色彩を与えれば良いのでしょうか。
私の場合は、手前の鈍い色彩を 鮮やか目に描き、背後の鮮やかな色彩を かなり しっかりと地味目に操作して描いて、その場をしのぐ というやり方をしています。
「まえ」 「うしろ」 という現象は、絵を描く時の つまづきの 大きな要因になります。 以前にも コラムに書いたのですが、人の目と 動物の目の 有り様の 大きな違いについて考える事は、「距離」 をめぐって 人の脳が どう対応しているのか 大変示唆的です。
図の様(適当な 分かり易い図が見つからなくて・・・)に、大まかに言うと、人の目は 同一方向を向いた顔面に、同一方向に 向かって付いているのに対し、動物の目は 鼻梁を頂点にして 異なった方向を向いた平面に お互いの逆の方向に向かって 付いている事です。 その結果、人の目は 視界は狭いのですが 精確に 「距離」 を測る事が出来るのに対して、動物の目は 視界は広く取れますが 「距離」 は精確には測れません。 ( 「精確」 というのは、針の穴に糸を通す事が出来るような 「距離」 感覚)
この様な 構造上の違いは、動物には 視界が広い必要があり、人間は 視界の広さを犠牲にしても 「距離」 を精確に測らなければならない 日常生活があったことを 表わしています。 しかも、人間は 少なく見積もっても 500万年以上は、そういう主旨の生活をしてきたのですから、「距離」 を測るという機能が、脳に 深く 刻み込まれているだろう事は、十分想像できます。 私の予想では、脳の情報処理の優先順位が、1番とか 2番とかの位置にあるのでは と感じています。 しかし、人の脳の その働きは、余りに 精密にできていて 近寄り難い不思議を持っているので、それ以上の事は判りませんから、絵画制作中に よく感じる実感を そのまま感想しますと、次の様な 事柄になります。
明るいと暗い ・ 強いと弱い ・ 鮮やかと鈍い というような、明暗 ・ 色彩 ・ 輪郭 に関する あらゆる判断の中に 「距離」 による補正が、判断と分かち難く、自動的に 織り込まれている様に感じます。 時と場合によって、具体的に どう補正されているのか 霞の中ですが、例えば、遠くの物を 受けた印象のままに描くと、対象が 極端に近くに寄ってくるという現象が起こりますし、逆に 近くの物を 受けた印象のままに描くと、対象から 生気が失われ易いという現象を、よく 体験します。
今、挙げた二点は、ほとんど毎日 実感している体験ですが、その他の体験も考慮して 想像しますと、脳の 視覚的判断のあらゆる事柄が、「距離」 を内包した 補正的判断である様に感じます。
しかしながら、それだからこそ、脳が行う 補正的判断 (「距離」 の分だけ、“サバ” を読んだ判断 )を 「スイッチオフ」 にして、「生」 の情報の姿を予想する 「快感」 が、絵を描く動機の一つには なるはずです。
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