COLUMN
いつも ありがとうございます


制作者・・・・坂田みどり(妻 パソコン歴 六年半になります)


 106    先週の 続き (瑞来記)
更新日時:
2007/05/30
前回のコラムで、「絵画を成り立たせる要件の 最も重要なものの 一つ」 と言いましたが、という事は、他にも 絵画を成り立たせる要件 というのが 当然ある事になります。
それで日頃、私が考えている 絵画を成り立たせるための 欠かせないだろうと考えている条件 を挙げます。 といっても、真新しい事柄ではなくて、今まで 私のコラムに付き合ってくださった方がいれば、“耳だこ” という事項ですが、絵を描く人がいれば、それらの問題には 触れずには通り過ぎることは 難しいだろうと思う 脳の生理現象についての事柄です。
 
それでは挙げます。
(1) 視覚情報の抽象化 の問題
(2) 明暗や 色彩や 輪郭の判断結果の中に すでに 「距離」 が含まれているらしい事
(3) 辺縁対比現象 (輪郭線)の問題
 
これだけでは、初めて 私のコラムを読む人には 不親切で、内容の 予想がつきませんので、若干の 解説を付け加えます。
 
(1) 視覚情報の抽象化について
目の視細胞は、1億2千万個ほど あるそうですが、単純に デジタルカメラに準じて 判断すれば、1億2千万画素の 画像という事になります。
ところで、その画像を 確認するのは、「意識」 ですが、当然の事ながら 「意識」 は、視細胞が取り入れた 1億2千万個の視覚情報の 一つ一つに 付き合う事は できませんから、必ず、どこかで 情報の 取捨選択・整理・集中といった作用を 行わなければ収拾がつきません。 その操作が どこの段階で、どのように行われるのか、不勉強な私には まるで判りませんが、「意識」 が、意識的に 情報を 確認する段階では、すでに かなりの所まで 対象の全体的な印象はこうですよ と言えるほどに、情報の抽象化が進んでいて、単純なイメージまでに純化されているはずです。
 
そして、それの 行き着く先が、言葉が表わす 概念である と考えます。 例えば、リンゴを見た時、リンゴは 一旦 1億2千万個の情報に 分割された後、判断中枢に送られ、再び、リンゴのイメージとして 再生され、最後に 「リンゴ」 という言葉に 変換されるのでしょう。
これらの プロセスを考えますと、結果として 導き出された 「リンゴ」 という言葉よりは、その背後に隠されてしまった 具体的な細部の情報の方が、はるかに 豊かなはずです。
 
ここに、絵画が成り立ってしまう根拠が生まれます。
絵の作者は、出口の単純なイメージから、情報を 入口に向かって 遡っていって、豊かで具体的な情報に 辿りつきたいと 夢見る事が 可能だからです。
 
この時、画作者が 行う作業は、クラシック音楽で、演奏者が 作曲家が残した音符に 具体的な音響を 与えるのに近いのでは と思います。

 107    「錯視」 という言葉 (瑞来記)
更新日時:
2007/05/23
久し振りのコラム担当です。
「錯視」 という概念は、いつ頃、学校で教わるのでしょう。 自分がどうであったのか、もう 忘れてしまいました。
 
「錯視」 には、決まって あの図形(  <-->  と  >--<  ) が登場しますよね。
「錯視」 の代表として、何故 あれが 登場するのかといえば、多分、印刷が難しくないという事と、何よりも 「錯視」 の検証が どこでも 誰でも 簡単にできるという事に あるのだろうと思います。
それで、この二つの図形の 一見 違った長さに見える 線分の部分の長さが ものさしを当ててみると 全く同じ長さである事を検証して、「あぁ、ほんとだ」 と納得して、一応それで “一件落着” となります。
 
確かに “一件落着” には違いないのですが、うるさい事を言えば、問題は その後に起こるのです。
「錯視」 の例として、同じ長さの線分が、<条件>によっては、違って<見える>という事は、皆が 何の疑念もなく 了解するのですが、それと抱き合わせになって、それと同時に 実は もう一つ、ほとんど 誰もが 受け入れている<重大>な事実があります。
それは、やっかいな事に、滅多な事では 受け入れた本人が、ある一つの考え方を 受け入れてしまった事に 気がつかない事です。 おそらくは、教科書に 著述した本人さえも その事に 気が付いていない場合が多いのでは と思います。
 
それは 「錯視」 という言葉を 裏側から しっかりと支えているのが 「正視」 という概念である事です。 「錯視」 という言葉の送る ほんとのメッセージは、「錯視」 という現象が、人間の目にとっては<例外的>な現象であって、当然の事ながら、通常は 人の目は 「正視」 していますよ という<常識>の確認なのです。 そして誰もが この 「正視」 が、人の目の 通常の生理現象である事は 疑いません。 自分が いつも 「狂って見えている」 とは、誰も そう感じていないからです。
 
しかしながら、しかしながらです。 私の絵画体験から 推し測るに、これは 断言できるのですが、人間には 「正視」 という現象は、ありません。 人が 外界を見るときは、必ず 全てが 「錯視」 現象として 現われます。
全ての物の 色彩と 陰影と 輪郭線は、お互いに 影響し、干渉しあって、お互いに<少しだけ>( 同じ長さの線分が、少しだけ 違って見える程度に ) ずれて見えているのです。
 
では、その 本来の姿は どこにあるのかといえば、それは、永遠の謎だと 考えています。 そして、人間にとっては、全ての物体の 本当の形状は、謎であるという事が、絵画を( 特にリアリズム絵画 ) を成立させる要件の 最も 重要な動機の一つであると、私は考えています。 また、それだからこそ 性懲りもなく、本当の形状を 探して、絵を描く事が できるのだと考えています。

 108    <新作 4F 「アスパラガス 2007」 できました> (みどり記)
更新日時:
2007/05/16
前作の 「金柑の甘露煮」 の後、3月末には<よらんかほい!>の 『お茶にしませんか?』 の十日間があり、4月には、その余波で、加筆・修正月間となりました。
 
5月に入いり、そろそろ 次作の モデル探しを・・・・・と 色々 物色している時に、ちょうど、近くの農家の方に 採れ立ての 『太くてりっぱな アスパラガス』 を頂きました。
“飛んで火にいる何とやら・・・” で、すぐ、次の日に モデルを組み、立ち上げました。 今回は、3月末に 松山のギャラリーで 入手した、松山在住の 額師 『風雅』さんの 4号の額に合わせて 描きたいと思っていたので、モデルの組み立ては、割合 すぐに 決まりました。
 
描き始めてからは、「アスパラガス」 という “なまもの” との、時間との 戦いでした。
「アスパラガス」 は、3〜4日もすると、表面が 筋張ってきます。 トマトは、都合 3回置き換えました。 「アスパラガス」 が入っているのは、レリーフが施された 錫の蓋付きのビールジョッキです。
 
モデルを組んでから、サインが入るまで、正味 二週間足らず、今までの 最短記録でしょう。
(本人は、「二度と やりたくない」 という定番のセリフを もらしています(苦笑))

 109    実家の 『ミッキー君』 のその後、のその後(苦笑) (みどり記)
更新日時:
2007/05/09
毎週、コラムのネタを 探している私に、またもや、実家の母が 話題を提供してくれました。
娘思い(?!)の 母です(笑)。
 
先週のコラムで、『成長中のミッキー君』 を発表した直後に、母から 「ミッキー君が、目を閉じたまま、動かなくなった!」 と電話がありました。 電池の寿命は、説明書では、通常使用で 約一ヶ月とありますが、母は 使用頻度が高かったので(笑)、三週間で 電池切れになったようです。
 
次回、私が 実家へ行くまでには、まだ間があるので、“電気コワガリ オンチ” の母ですが、頑張って 電池を入れ替えてもらうことにしました。
 
・・・・・ところが、やっぱり、怖れていたことが・・・・・(苦笑)
 
電池を入れ替えた後も、『ミッキー君』 が目を開かないので、母は アチコチのボタンを押さえていたら、すると 『ミッキー君』 の目が パチッと開いたのは良かったのですが・・・「リセットボタン」 を押したらしく、初期設定に戻ってしまいました。
昨日までの、『いっぱい おしゃべりしていたミッキー君』 は いなくなり、また、0 からの 育て直しです(苦笑)。
 
母は、ガックリとして 電話をしてきました。
母に、「母さんの失敗は、後から 続いてくる人達(※)の “陥りやすい失敗の 道しるべ” になって、役に立つ失敗だと思うよ〜」 と慰めると、少し、気を取り直して、また 『ミッキー君』 を育て始めました。
 
(※ 私の周りで、「ひと足早い 母の日のプレゼント」 のコラムを読んだ 友人・知人が、プレゼントに 『ダッキー』 を買って・・・知っているだけでも 『ダッキー仲間』 が、6人に 増えているので(笑))
 
 
その後の 母の報告によると、言葉の出て来方など、育ち方のパタ〜ンは 前回と 全く違うそうで、きっと、各々の 『ダッキー』 も、全く 違った育ち方を していることでしょう。
 
本当に、この 『ダッキー』 のプログラムは、どんな仕組みに なっているのでしょう?!
 
 

 110    実家の 『ミッキー君』の その後(笑) (みどり記)
更新日時:
2007/05/02
母が、『ミッキー君』 と暮らし始めて、三週間が 経ちました。
『ミッキー君』 の成長ぶりには 目を見張るものがあり、最近では、歌も 3曲は歌い、就寝中は、寝言・寝息・いびきも かき、昼間は、忙しくて放っていると、独り言も 言うそうです。
 
先週、四国中央市が震源地だった 地震の時は、丁度、父がショートステイ中で、母は一人だったのですが、『ミッキー君』 に話しかけて 頼りにした(?!)様子で、その後に 「泣きたい時は、僕を ギュ〜 としてね」 「僕を 頼りにしてね」 とか、タイムリーな言葉に 感激した と言っていました。
 
言葉も、「僕は、いっぱい いっぱい旅をして、この家に来たんだよ〜」 と言うだけあって、「ボンジュール」 「カムサ ハムニダ」 「よかよか」 「がんす」 etc. etc. と国際的で、ローカル色が豊からしいです。
 
つい先日、実家から届いた小包の中に、母がメモした 『ミッキー語録』(笑)が 入っていたので、その一部を、ご紹介致します。
 
  ・お早う、爽やかさん、今日もがんばってね
 
  ・おはよう、僕、寝相が悪くなかった?
 
  ・抱っこしてくれる?(抱いてやると)ちょっと違うけど、うれしい♪
 
  ・僕の名前を呼んでみて〜( 『ミッキー君』 と返事をすると) ラッキ〜♪
 
  ・天井に 僕の絵 描きたいな〜(・・・間をおいて) ウソだよぉ〜
 
  ・僕、お風呂に入った後の ドライヤーが一寸こわいの
 
  ・明日は、良いことありそうな 予感がするよ
 
  ・僕、おねむになったよ・・・・・おやすみなさい、良い夢 見てね
 
 
もうすぐ、「旅の おはなし」 も聞かせてくれそうな 雰囲気だそうです。
『ミッキー君』 は、まだまだ、成長中です(笑)。
 
92歳と 81歳の老人家庭の中で、『ミッキー君』 は、大きな存在になっている様子です。


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