COLUMN
いつも ありがとうございます


制作者・・・・坂田みどり(妻 パソコン歴 六年半になります)


 126    吉本隆明の言葉 「有能な奴と 闘える無能」( 2 の 1) (瑞来記)
更新日時:
2007/01/10
この言葉は、ほんの少しくらいは 私の記憶にも残っていたように思いますが、直接には勢古浩爾という人の 『生きていくのに大切な言葉 吉本隆明 74語』 という本からの引用です( 同書167頁 )
勢古浩爾が引用したのは、吉本隆明の 『遺書』 という本の 216頁 からの引用で、全文はこうです。
 
「僕は他から見て どう評価されるのか わかりませんが、能力という考え方が嫌いです。 自分も 無能と規定しています。 有能な奴と闘える無能が さしあたっての理想です」
「他から見た」 常識的判断から言えば、どう考えても 吉本隆明を 「無能」 と規定するのは納得がいきませんが、吉本隆明本人は、若干の社交辞令はあるにしても、謙譲とか 謙遜とかではなく、真面目に そう考えている事は 彼の著作から受ける 全体的印象からは伝わってきます。
 
しかし 仮に 吉本隆明が 「無能」 というのであれば、少なくとも 日本人には 「有能」 と規定できる人物が いなくなる訳ですから、闘う相手がいなくなる という矛盾が起ってしまうと思うのですが、「能力という考え方が嫌い」 と言っていますから 「無能」 という言葉にも 「有能」 という言葉にも、色々の条件が付いているのかもしれませんし、“俺の本を 100回 読み返せよ、そうすりゃ 『無能』 の意味は判るぜ” くらいのセリフは言われそうです。
 
確かに、何をもって 「無能」 というのか、何をもって 「有能」 というのか、真面目に具体的に考えていたら、とても人生やっていけませんが、私の人生が属している 絵画の世界でも、描く人を 「無能」 であるとか 「有能」 であるとか振り分けるのは 極めて難しい作業でしょう。 普通の判断では<いい絵>を描く人が 「有能」 で、<まずい絵>を描く人が 「無能」 という事になるでしょう。
 
ところが、人は<まずい絵>を描きたくて 絵を描く事はありませんから、何か理由があってそうなってしまうのですが、私の考えている理由は、多分、誰にも考えつく 当たり前の項目ですが、次の二つです。
 
@絵画的感受性が足りない。 A練習が足りない。 (次回へ続く)

 127    <テンヤワンヤの 年末年始> (みどり記)
更新日時:
2007/01/03
昨年末、少し風邪気味で出かけた ショートステイ中の 実家の父が、38度の発熱と 血中酸素濃度が低くなった という事で、滞在中の老人保健施設の方が、大事をとって、父を 『かかりつけ医』 の所で診てもらいたい という事になりました。
 
それは有り難いのですが、診察の結果、「もしも、内服治療でも O.K.」 という診断結果が出たとしても、再度、ショートステイを続行する事ができないのが、現状の介護保険のショートステイの決まり なのだそうです。
 
法律的には、『かかりつけ医に診てもらいに行く』=『ショートステイを退所』 ということになるのだそうで、医者に診てもらった後は、「自宅へ戻る」 か 「入院」 の道しかなくて、「中断したショートステイを、予定通り 続行する」 ことは、現状では出来ないのだそうです。
何だか、杓子定規な決まりで、「いったい、何の為の介護保険!」 と言いたくなります。
 
そんな法律のおかげで、父は、かかりつけ医に診てもらった結果、「内服治療で O.K.の気管支炎」 と診断されましたが、・・・・・その時、たまたま母も、数日前から、めまい・嘔吐と体調が悪く、特に、当日、父の体調をめぐる様々な出来事に ショックを受けて、めまい・嘔吐に加えて、発熱・下痢まで 引き起こしていたので、とても、父を 自宅へ受け入れられる状態ではなく、仕方なく、父は、『緊急避難措置入院』 ということになりました。
 
次の日、とりあえず、私が実家へ駆けつけることにしましたが、運悪く、早朝から 突風が吹く 荒れ模様の天候で、JR 瀬戸大橋線は、始発から運行中止になり、昼前に、やっと 運行再開になって、やれやれでした。
 
私の記憶の中では、「父の入院」 は初めての出来事で、耳も遠く、目もうすくなっている父には、勝手の違う 病院の入院生活は戸惑っている様子ですが、それでも、母の体調が回復するまでは・・・と、健気に 入院生活を頑張ってくれています。
 
お正月三が日は、私も 四国へ一時帰宅していますが、病院の休み明けの 4日には、血液検査の結果が良ければ、「退院」 させてもらえそうなので、また、手伝いに行ってきます。

 128    初めての 『白菜漬け』 に挑戦♪ (みどり記)
更新日時:
2006/12/27
先日、近所の農家の方に 畑へ連れて行かれ、「どれでも好きなのを」 と言われて、大きな白菜を一株、頂いてきました。 その前に、毎週届く 生協の野菜の中にも 白菜があったので、重なりました。
 
たまたま、その直前に 自家製の漬物をとりどりに手がける友人との電話で、広島菜漬の話が出て、『塩分は 4% 』 という知識が、真新しく 耳に残っていたので、「やってみるか!」・・・・・と思い立って、初挑戦することに決心。
 
とは言うものの、適当な木桶はない、適当な重石(友人方は、石臼だそうです)もない、どうしよう?!・・・・・まぁ、何とかなるだろうと、とりあえず、白菜を六分割に 『切って、干す』 ところから始めました。
 
一日 ザルに広げて干して、重量を量り(今回は 2.2kg あり)、塩( 4% 88g )を量り、塩は手元にあった “アンデスの ピンク粒岩塩” と、瀬戸内海 蒲刈の “海人の藻塩” を使うことにしました。 (塩は、瑞来さんが アチコチで めずらしい塩を見つけると、買ってくるので 色々 取り揃っています)
プラスチックの桶もあったけど、木桶の方が風情があるかなぁ〜と(笑) “たがの緩んだ” 寿司桶があったので、それに ゆったり一列に並べて、落し蓋をして、重石には、ペットボトルの入った箱( 2L 6本入りで、12kg )、アトリエにあった 用途不明のレールの一部( 4.4kg )、木片( 3kg )を見つけてきて、とりあえず、それらを乗せてみました。
 
・・・・・気になること一晩。 翌朝、見てみると、水は出ているものの 寿司桶が広すぎて、水気は底の方にチョロ〜 (木が水気を吸って)、白菜がそのまま見えます (苦笑)。
仕方ないので、プラスチックの桶に 移し替え、白菜を二段にして 同様の重石をすると、すぐに、落し蓋の上に 水が上がっています・・・ヤレヤレ〜、ホッです (*^.^*)。
それで、切った昆布・唐辛子・柚子のせん切りを加えて、重石を 軽くして、二日 待ちます。
 
二日後、見た目には、「それなりに、『白菜漬け』 らしく」 なっています。
朝食時に、軽く絞って、試食してみると (ドキドキ) “思わず、ニコッ” とする位、美味しく出来ていて、ホッとしました。
添加物の無い、昔ながらの、『フツーに美味しい白菜漬け』 ができました。
 
瑞来さん 曰く、「ビギナーズラックかも?!」 だそうです(笑)。

 129    懐メロ あれこれ (瑞来記)
更新日時:
2006/12/20
最近、よく聴く 懐メロはフランク永井です。 以前二日に一回くらいは かかっていた高倉健の 『唐獅子牡丹』 は、滅多に登場しなくなりました。
『唐獅子牡丹』 の三番の歌詞は
 ♪朧月でも隅田の水に
  昔ながらの濁らぬ光
  やがて夜明けの来るそれまでは
  意地でささえる夢ひとつ
  背中で呼んでる唐獅子牡丹
という歌いまわしですが、これを聴いて<気持ち>を貰うというには、私は 何かと ちと年を食い過ぎてしまったのでしょうが、何よりも 「夜明け」 は 必ずやって来るものとは限らないだろう と思うようになっているので、歌と 私の間に そごが出来てしまったというところでしょうか。
 
私の持っている フランク永井のCDには、『有楽町で逢いましょう』 『夜霧の第二国道』 『東京 午前三時』 『羽田発 7時50分』 の順に入っているので、この順序で 4曲聴くのがパターンで その他の曲は まず聴く事はありません。
4曲とも、昭和三十年代を思い出させる 「懐メロ」 ですが、しいていえば 『東京 午前三時』 が、お気に入りでしょうか。
この曲の歌詞は、昭和三十年代の前の 「進駐軍」 の時代を思わせる内容になっていますので、ひと際、私が思い描いている 幼児の頃の 世の中のイメージに浸れます。
 
『東京 午前三時』 もそうですが、多分、私は 佐伯孝夫の歌詞に 吉田正が作曲した歌が好きなのでしょう。 今となっては、私の唯一の 「お宝」 の一枚といえる “昭和 30年代のヒット曲集の ビクター編” という CDは、15年位前に買ったものですが、それには 山田真二の 『哀愁の町に霧が降る』(当時、青山京子のファンであったので、同名の東宝映画は観たかったのですが、学校許可の映画でなかったので、観る事ができませんでした。 心残りの映画の一本です) があって、その一曲を目当てに 買ったのですが、その CDにはその他にも 佐伯孝夫&吉田正のコンビによる 私の少年時代に流行った歌が 3曲集録されています。 三浦洸一 『弁天小僧』、野村雪子 『おばこマドロス』 (これは吉川静夫作詞)、藤本二三代 『夢見る少女』 といったものですが、『弁天小僧』 はともかく 『おばこマドロス』 と 『夢見る少女』 は、三万円くらいの懐メロの通販セットでないと 載っていないでしょうから、自慢してもよいものでしょう。
 
あと思いだした時、時々かけるのが、松島アキラ 『湖愁』 と 中村晃子 『虹色の湖』 ですが、それらの曲の前後に、久保浩の 『霧の中の少女』 と 黛ジュンの 『恋のハレルヤ』 があるので、それも ついでに聴きます。
 
あぁ それから 石原裕次郎の 3曲 『銀座の恋の物語』 『俺は待ってるぜ』 『北の旅人』、三橋美智也の 2曲 『おんな船頭唄』 『哀愁列車』 は、不規則ですが登場します。
 
懐メロのCDは 割合 持っている方でしょうが、それらを満遍なく聴く という事は ないようです。
もう一つ 付け加えますと、青年の時 正座して聴いていた 都はるみの 『涙の連絡船』 『アンコ椿は恋の花』 は、聴かないのです。
どうしてでしょうか?

 130    <一匹狼の 孤独と 気楽さ> (みどり記)
更新日時:
2006/12/13
先日、実家へ行った折、たまたま中国新聞で、義父が所属していた 光風会の方で、名前だけは存じ上げていたけど まだ お逢いした事はない 松山出身の73歳の画家の方の個展が、広島のデパートの美術画廊で開催される という記事を見かけて、母の付き添いで 買物へ出かけたついでに 立ち寄ってみました。
 
美術画廊と言っても、デパートの一角の 10〜15畳くらいの 狭い空間でした。
折角、『見た』 のだから 芳名帳へ記帳しようと “四国中央市・・・” と書き始めたら、係の人が 「四国からですか?」、私 「はぁ〜、たまたま」 「義父も光風会に所属していたもので〜」、係の人 「今、先生がおられますので・・・」 と、御本人を呼んでこられました。
 
一見、穏やかそうな紳士で、気さくに、虎一さんや瑞来さんの話をしたり、私の実家が広島にある旨など お話していたら、御本人が 「そういえば 四国中央市からは、初日に ○○さん、口口さんが来てくれて、昨日は △△さんが来てくれましたよ」・・・と、サラッ と言われましたが、私は驚きました。
 
私は、たまたま 広島に行っていて、「ついで」 でしたが、その方々は、わざわざ 四国中央市から、その方の個展を見る(挨拶する)だけのために、広島まで 足を運ばれていたのです。
三人共、光風会々員、日展出品者の方々で、『 会へ所属する 』 とは、こういう “シンドサ” もあるのか・・・・・と、改めて 実感しました。
 
帰宅して、瑞来さんに その事を話すと、その先生は、『 日本芸術院会員・日展理事・光風会理事 』 で、その世界では、“エライ方” なのだそうです。
 
知らないとは怖ろしい!、私は、その方は、義父の後輩だし、私は日頃 瑞来さんの絵を見慣れているので、全然 へりくだった態度もなく お話したので・・・・・他の人が見たら、きっと 『態度がデカイ』 と思われたことでしょう(笑)。
 
瑞来さんは、絵画グループに所属せず、無所属で、日頃 「孤独だ」 「反応が無い」 と嘆いていますが、一匹狼の気楽さも、多いに 甘受していることに 思い至りました。


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