COLUMN
いつも ありがとうございます


制作者・・・・坂田みどり(妻 パソコン歴 六年半になります)


 151    <絵とオーディオ>Aの2 (瑞来記)
更新日時:
2006/07/19
しかしながら 20年に及ぶ 「勤労」 にもかかわらず、その成果は 微々たるもので 全体の流れを評価すると 「鳴かず飛ばず」 といえる 20年間だったのですが、ところが、ところが、ここ一ヶ月くらいでしょうか、装置が 急激に 私の意図に よく反応する様になりました。 イメージして言いますと、たくさんの穴が開いた袋に 水を注ぎ続けながら 開いた穴を一つ一つと 穴をふさいできましたら、20年目になって やっと 袋に水が貯まる気配が出てきた という情景です。 私が気が付いているもの いないものを併せて まだまだ 現実には たくさんの穴があると考えますが、さしあたっての目標であった 「オーディオとは 振動と重力の克服である」 という 私の意見の証明にはなったのでは と自分一人ですが 嬉しがっております。
オーディオの方は 出発の心構えが<正調>であったのが 幸運でしたが、それに比べると 本家の 「画家」 の方は 出発が野放図であり過ぎたようです。
最近になって、「社会的に 絵画は自立できない」 という命題が 身に沁みてきました。
例えば、レオナルド・ダ・ヴィンチの 「モナ・リザ」 を意識的に注意を集中して鑑賞するのは 何故でしょうか。 そう 「モナ・リザ」 は、あの レオナルド・ダ・ヴィンチ の傑作で、人類を代表する名画の一枚 であるからという<知識>があるからで、審美眼という 「素手」だけで たくさんの絵画の中から選び取って 興味深く観察している訳ではありません。
私の絵を丁寧に見てもらえる条件は、“この絵は 坂田瑞来さんの絵だからよく見てあげよう” というふうに 個人的に私を知っている人の場合に限られる という事実も確かです。 <最初に知識ありき>というのが、絵画を注意深く鑑賞するための前提であるようです。 そうであるならば、何らかの方法で 画家は肩書きをつけるか、何らかの方法で 画家が名を売るかの方法しか 画家の描いた絵を 十分に深く みつめて貰う 動機は生まれませんから、現状では極めて悲観的な状況です。
「社会的に 絵画は自立できる」 と、私は当たり前の様に思い込んでいましたが、それは ちと脳天気に過ぎたと 少しは後悔しております。
もっとも、そういう事情が判っていたからといって 私が何らかの打開策を講じたとは 考え難い事ですが・・・・・。 (終)

 152    <絵とオーディオ>Aの1 (瑞来記)
更新日時:
2006/07/12
20年程前に、現在使用しているオーディオ装置を組み合わせた頃には、私はオーディオの本質をおぼろげながら理解でき始めていました。 そんなものではないかと考えた最大の動機は こんな現実に よく出合ったからです。 世の中には 20万円・200万円・2000万円・2億円 の装置と いろいろの幅がありますが、この四者に共通して取り出せる事実があります。 かつては沢山あった オーディオ雑誌に よく掲載されていた “お宅訪問” とか “オーディオクリニック” とかの記事からは 例外なく 「悩んでいます」 という嘆きの声が聞こえてきました。 もし電気的特性や 電気的知識が 「音」の善し悪しを決めるのであれば、当然、2000万円とか 2億円 の装置を持っている人は 悩まなくてもいいはずですが、現実には そうはならないのです。 むしろ 出費に比例して 悩みも深くなる様にみえるのです。 なぜ そうなるのだろうと考えました。 どんな装置であろうと 装置である以上 引き受けなければならぬ 「自然」 があって それが 絶対的支配権を持っていて、それの前では 富も 電気的知識も その本来の働きをしなくなるのでは と考えるのが、最も 妥当な解答のように思えました。
それが 「振動」 と 「重力」 らしいと予想をつけるのは それほど難しくはありません。 どこにでも 誰にでも<平等にある>という 条件を満たすものを考えればよいのですから。 音は 物体の振動が空気に伝わって その空気の振動が 鼓膜を振動させて 脳に伝わるという仕組みですから、音の世界は 最初に 「振動」 ありきです。
スピーカーは いわば 小さな地震の震源地であって、しかも 中空に浮かせる事は不可能ですから 原則 床に接して置かれていますので 「振動」 は周囲の物体と 空気を伝わって 部屋全体へと拡がります。 そればかりではなく スピーカーとアンプ類は スピーカー線や 信号コードや 電線コードによって 糸電話の様に お互いに繋がっていますから 「振動」 は自由自在に 機械と機械の間を伝わります。
そこで私は、これは一つ 実験してみる価値は十分あると 推論の<現実化>を目指して 無謀な一歩を踏み出したのでした。 それを証明するには 装置の変更があっては意味がありませんので、装置は一切替えないという<禁欲>のもとに 「振動」 と 「重力」 を私の装置から あたうる限り 軽減させるための具体的方策を巡って 20年余り実験を行ない、試行錯誤を 繰り返してきました。  (来週に続く)

 153    とりあえず、新作<トルマリンと果物>できました (みどり記)
更新日時:
2006/07/05
蒸し暑い毎日が続き、寒がりを自認する瑞来さんも とうとう 自発的に エアコンの冷房のスイッチを入れています(笑)。
 
前回の “6F アンティックドール” を HP へ<とりあえず>発表してからも、一ヶ月余は 加筆・修正に余念がありませんでした。 また、その後、行事も目白押しで、中々、次の作品に取り掛かる機会をつかめず、私は外野席で応援旗を持ったまま、活躍の場がありませんでしたが(苦笑)・・・・・6月中旬に 「エイッ!」 と気合(?!)で立ち上がり、今回の作品に 取り掛かりました。
 
最近は、立ち上がりから、一応 絵の全体が出揃うまでの時間(期間)は 随分スピードアップして 早くなりました。 でも、瑞来さんの真骨頂は これからの粘りにありますので、これからの加筆・修正を、乞う 御期待下さい(笑)。

 154    <HP開設 三周年> (みどり記)
更新日時:
2006/06/28
早いもので、PCを始めて3年3ヶ月、HPを開設して丸3年が経ちました。 途中、一年目くらいの時に、瑞来さんが 「HPをやめようか?」 と言い出した危機 も(苦笑)、今年一月 頻繁に “ストップエラー” が起こったトラブルも 乗り越えて、HPにアクセスして 応援して下さる皆様方の御厚意で 今日まで続ける事ができました。 あらためて 御礼申し上げます。
 
本来の目的である 『絵画作品発表』 の頁の方は、主が遅筆なため、中々、<新作できました>をひんぱんに発表できませんので、せめて<コラムの更新>の方は、一週間に一度、何とか欠かさず続けようと頑張ってきました。 『塵も積もれば』・・・・・で、今回のコラムで177番目になります。 初めの頃は、文字を打ち込むのも たどたどしく、一回のコラムが4〜5行だったのに、いつの間にか 段々 長文にもなり(笑)、写真が入いり・・・・・振り返ってみれば、膨大な量になっています。
 
この一年間で、私が心掛けたことは 「なるべく三日に一度は 掲示板に書き込む事」 で、そのためにはと、何でもかんでも デジカメ片手に 片っ端から書き込んでいます(笑)。 「あきれたねぇ〜」 と感想されている事もあると思いますが、“笑って” お許し下さい。
掲示板を賑わわせるために、花を育てるのが好きな友人達も、また 協力してくれて有難いと思っております。 皆様も、お気軽に 何でも 「聞いて!見て!」 と書き込んで下されば 嬉しいです。 お待ちしております。 (最初は、勇気が入りますが 段々慣れてきます。 御希望の方には 『掲示板の書き込み方』 のノウハウを お教え致します)
 
私(みどり)の希望を言えば、<新作できました>を 一作でも多く 発表したいと願っています。
今後とも、応援をよろしく お願い申し上げます。

 155    <母屋の あんず の木> (みどり記)
更新日時:
2006/06/21
母屋の玄関脇に植えられた あんずの木は、義父の知り合いが 20年余前に植えて下さった様に記憶しています。 去年までは、花は毎年、春のお彼岸頃に 桜の花に似たやさしいピンクの花を咲かせて、毎年、楽しませてもらっていましたが、実は収穫前に落果してしまって、完熟した実が みのった木の姿を楽しめたことはありませんでした。
それが、どういう訳か、(私達にしてみれば)突如、去年から 実が熟するまで木に留まって 収穫できるようになりました。 そして、今年も去年に続いて、二度目の あんずの実の収穫ができたのです!! その上、去年より 随分と沢山に収穫できたので<あんずジャム>を作り、ご近所・知人・友人に 少しづつ お裾分けすることもできました。 (生では、完熟した実でも 酸っぱくて 食べるのが難しいです)
それにしても、何故、去年から 突然 実が生り始めたのか、不思議で??? 無い知恵を絞って、色々、考えてみているのですが・・・・・(笑)
その@ 「桃・栗 三年、柿 八年」 という諺があるように、「あんず 二十年」 だったのか?(笑)
そのA 去年に、母屋の庭で 大きな変化があった事といえば、長年、実を生らし続けてくれた 柿の木が枯れて 切り倒した事で、「あんず」 と 「柿」 の木は 2〜3m 離れただけの 隣り合わせに植わっていたので、木の実の精が 柿から あんずへと 棲家を変えたのか?
そのB 今年の5月の気候が寒かったので、例年、新芽の時期に大発生していた 体長 1mm 位の 灰色のアブラムシが発生しなかったので、木のエネルギーが失われなかったのか?
 
植物に詳しい方々の 御意見は どうでしょうか。


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