COLUMN
いつも ありがとうございます


制作者・・・・坂田みどり(妻 パソコン歴 六年半になります)


 201    我が家の遠距離介護 (みどり記)
更新日時:
2005/08/03
今朝(2005.8.2.)の読売新聞 家庭欄に 『遠距離介護をする子世代を応援する NPO法人「パオッコ」 の理事長さん』 の記事が載っていました。 新聞記事から一部抜粋させて頂くと 「遠距離介護は、新幹線でおむつを替えに行くことではありません。 親の生活がスムーズに運ぶよう適切なサービスをコーディネイトして、一日でも長く今の暮らしを継続できるよう応援すること、つまり生活の基盤作りと介護予防です」・・・とあり、今の私の気持ちと同感 (!)です。
「パオッコ」 のHPアドレスも出ていたので、すぐにアクセスしてみると 「家族が100あれば、100様の介護のやり方がある」・・・と書いてあるのを見て、“今、実家の両親が(密かに) 私に期待している程には頻繁に手伝えてなくて、ちょっと後ろめたくなっていた自分” を弁護したくなりました(笑)。
 
私方の場合は、実家(両親二人暮らし)の父(90) が元々膝が悪く、杖から歩行器となっていたのが、去年2月末に急に膝折れ (膝に力が入らず、立ち上がれなくなる) が始まって、車椅子生活になりました。 それから一ヶ月経った3月末になって、ケァマネージャーさんを囲んで、両親・弟・私で家族会議を開き 「これから、どうするか?」 を話し合い、介護保険 (父は介護UからVへ) をフルに活用・利用して、自宅介護をすることになりました。 基本のメニューは、父が二週間に一度づつ 3泊4日のショートステイを利用し、父が自宅に居る時は毎晩一時間づつヘルパーさんにトイレ介助を頼み、週一回の訪問リハビリ、週一回の通所リハビリ(お風呂、月一回の医師の診察も)と、母(79)(要支援)の介護保険で 週一回の掃除をお願いし、後は 月一回 4泊5日の娘の支援で・・・と、試行錯誤を繰り返しながら、この一年半を何とか現状維持(?!)で持ち堪えている状態です。
 
今の私の主な役目は、トイレ介助といった実務よりも、父の日々の介護で疲れている母の愚痴を聞き、心身両面のフォローをすることです。
介護が長くなると、金銭面での負担も増えてきます。 実家の方では、余分にかかる介護費用を弟が負担し、私達が 実務と精神的ケア を担当するといった役割分担で、今の所は何とか綱渡り状態 の介護の日々を送っています。

 202    「アレ、何ですか?!」 PartU (瑞来記)
更新日時:
2005/07/27
昨年の12月15日のコラムでも触れました様に、もし 「振動」 と 「重力」 をある程度 制御できるのであれば、オーディオ装置というのは 価格とか大きさが<常識的>な装置からでも、うっとりと聴き入ることはできないまでも、音量がフォルテになった時 「ギャ〜ッ」 という悲鳴をあげない穏やかな音が出てくれるのではという<予断>が私の 「希望」 でありました。
その希望にはいくらかの今日的意味があると思っていますが、それは、ここ10年ばかりのオーディオ世界の<お金持>化の進行は天井知らずの勢いである事です。 オーディオの世界に縁のない人にとっては “二億円の装置” と聞いても 「又、知ったかふりをして」 と取り合わないのが普通の判断でしょうが、例えば 「ステレオサウンド」 という季刊誌などを 「閲覧」 されれば “二億円” もあながち<だぼら>とも言えない事実がある事に気付くでしょう。 逆に言えば、まだまだオーディオの世界というのは未解析の謎が横行する “結果オーライ” の世界なので、誰もが、もし経済が許すのであれば 「もしや、もしや」 と より上位の機器を買ってしまう 「ブラックホール」 である 「証」 でもあります。
ところで、何故 「ブラックホール」 が生まれるのかと言えば、スピーカーから出る 「音」 の判断基準を<生の音>に求めるからですが、普通の人は両者の決定的 「落差」 を当たり前の事実として受け入れて、「生の音」 と 「スピーカーの音」 という音の二元論で何の不満もないのですが、オーディオファンというのは 「同じ空気の振動なのに、こんなに違いがあるのは許せない」 と 「逆上」 した人です。 そしてその逆上はどういう時に起きるかと言えば、生の演奏会というのは、色々の不都合を乗り越えて、意を決して 「一期一会」 に臨まなければならぬので、音楽をもっとアットホームの気分で、しかも時を選ばず、好みの曲を聴きたいと欲望する時に現れてくるものです。 そして、この欲望が強くなってくると、普通の人が持っている 「生の音」 と 「スピーカーの音」 という音の二元論も、自分の場合だけは例外であってほしいと望んで 「スピーカーの音」 と 「生の音」 の一致を夢見るようになります。 私(瑞来)も 「例外」 でありたいと希望を捨てずに、日々装置の 「改良(?)」 に励んでまいりましたが 「改良」 の判断基準の一つにしてきたのが、バッハの 「シャコンヌ」(無伴奏バイオリンのためのパルティータ第2番の5曲目) です。
この曲の我が装置での聴取可能時間は、最初が30秒、次は1分、次は3分、次は5分と少しづつは時間は延びておりましたが、5分くらいのところで頭打ち状態がずっと続いておりました。 ところが最近になって、急激に聴取可能時間が延長されてきて 「全曲」 17分に届こうかという勢いです。 原因は簡単な事でありました。 7年程前だと思いますが、パワーアンプのカバーをほとんど全て取り外したのです。 音は少しだけ伸び伸びとしたのですが、シールドの効果がほとんど失われてしまっていたので、音は大変 濁っていたようです。 その事実を最近になってようやく気が付き始めて 「カバー」 を復活させたのでした。 1mm厚の銅板をホームセンターで買ってきて、パワーアンプの本体よりも二回りくらい大きな (なるべく銅板自体の振動をアンプ本体に伝え難くするため) 銅板のカバーを3ヶ月ぐらいかけて完成しました。 充分なシールドとは言えませんが、音質は随分改善されました。
16年目の 「幸運」 でしたが “容姿” は<常識的>な範囲を大きく逸脱して、非常識の領域へと進入しました。 涼しい顔をして<普通の音>を出すのはやはり難しいようです。
(写真は銅板で覆われたパワーアンプの雄姿)

 203    今月の料理から<あわびの磯焼き> (みどり記)
更新日時:
2005/07/20
毎年<あわび>の料理は6月にするのが通例なのですが、先月(6月)には、たまたま活きたあわびが手に入らなかったので、今月(7月)の料理の時へと延期されていました。
 
<あわび>は年に一回、料理教室で食べるだけで、自分で買って調理したり、(二人とも歯が弱い(?!)ことも一因と思いますが) 料理屋さんでも頼むことは、まず ありません。
それで<かつおのおろし方>と同様、年一回の作業では、中々、活あわびの下ごしらえも 身に付きません。
最近、料理仲間の一人が、調理中のプロセスもデジカメ撮影してくれるようになったので、コラムの埋め草のために写真を見ながらおさらいをしてみます。
<あわびの磯焼きの方法>の最初の注意点は、身を殻から外す時に 殻の尖った方からおろし金の柄を差し込んで力強く押す事です。 その次には、殻の穴に八丁味噌を埋めて、焼き汁が漏れないようにします。 そして、下処理したワタと適宜に切った身を元通りに殻に戻して、練り味噌をつけて焼き、グツグツ煮立ってきたら出来上がりです。

 204    親子丼 (瑞来記)
更新日時:
2005/07/13
残念ながら、私はまだ 「ロォージェ」 や 「ロブション」 といった東京にある評判のフランス料理店の料理を食べた事がありません。 フランス料理とどこがどう違うのか私にはよく判らないイタリア料理ともなると定評のあるお店の名前にも疎いので、益々体験の頻度が少なくなります。 それに比べれば日本料理の方は、雑誌やテレビでよく登場する評判のお店は機会があれば予約をとってわざわざその店を訪れるという手間暇のかかる事を “そこそこ” やりました。 (お寿司の名店と呼ばれているところは怖いので敷居を跨いだ体験はありません)
体験的に言うと、名店とか評判のお店とかで出される料理は、なるほど 「おいしい」 と感じ入る場合が多いのですが、だからといって、経済的に又 時間的にそれを許される身分になれたとしても、名店巡りを毎日続けるかというと疑問符はやはり付くと思います。 味覚や内臓が飽和するだろうと予想するからです。
そんな心配がないのが “我が家” の料理でしょう。 自分達の味覚や内臓の調子に合わせて調節できますから、毎日続けて食べても飽和する事は少なくてすみます。 家庭料理では 「目からウロコ」 という程の未知のおいしさに出逢う事は多くありませんが安心して食べられる “よく知っている” おいしさがあります。 カレーや ハンバーグ、又 炊き込み御飯や バラ寿しや 親子丼といった料理は、作るつもりでレシピを真剣に学習すれば、大抵の人はその調理法を習得できるだろうと思いますが、しかしながら上記の様な家庭の定番料理も毎回同じレベルの味に仕上げるとなるとこれは至難の業です。 家内が作る上記の料理も毎回少しづつ出来ばえのレベルが違ってしまうし、又 味も微妙に移動するようです。 それは当たり前と言えば当たり前ですけれども、例えば親子丼の場合を考えてみますと、その出来ばえを分ける項目をすぐに数える事ができます。
 
@おいしい鶏肉を手に入れる方法を日頃から心がけておく
A卵も生鮮食料品で新しいほど味に力がある
B勿論、だしは大切
C醤油・みりんといった調味料を吟味しておいた方が得
D醤油・みりん・砂糖の割合をどう決めるか
E三つ葉は当然としても、玉ねぎを入れるか、入れないか
F御飯は、お米自体よりも炊く 「水」 を気をつけるほうが得
Gだしの味つけの濃さ加減と卵の煮つめ具合とごはんに含ませる
  だしの量をどうするか、ほどほどの粘度は大切
H丼に一度蓋をして、短い蒸らしをするか しないか
 
いつもは、親子丼を作る家内の脇でそれを見学している 「門前の小僧」 の 「知識」 ですけれども、カレーや ハンバーグや バラ寿しにおいても事情は全く同じでしょう。
ちょっとした手間、ちょっとした注意、ちょっとした愛情が、いくつも いくつも重なった時、天地の落差が結果に現れてくるのだと確信しています。 どんな料理でも同じでしょうが、注意深く作れば親子丼もまた 「奥が深い!」 のです。
 
長い前段になりましたが、私が日頃描いている 「再現」 というヨーロッパ風の絵はさしづめ絵画の 「親子丼」 と言ってよいものです。 珍しくはありませんし誰でもやろうと思うのなら取りかかれる画風ですけれども、係わってみると 人が生涯に亘って探求するに値する謎を秘めている領域であるのです。

 205    新作<マンゴーとレイシ>出来ました
更新日時:
2005/07/06
四国では6月は極端に雨が少なく、7月に入った途端 「降ればドシャ降り!」 で・・・・・中々、ままなりませんネ。
 
我が家は撮影設備が整っていないので、絵の撮影は、お天気の良い日に自然光で撮っています。 今回は<新作>の撮影をするのに、雨が続き、昨日 午前中、かろうじて薄陽が射した時に 「それっ、今だ!」 という感じで撮りました。 午後から、また雨が降り始めたので、本当に千載一遇のチャンスでした。
今回のモデルは 『台湾土産』 という飛び入りで、突然 「なまもの」 がやってきたので、モデル設営と描き起こしは、一寸 慌てふためきましたが、何とか新しい作品に仕上がって、瑞来さんはホッとしております。
 
お土産に頂いた時、感激した “新鮮なマンゴー” の特色の白い粉をふいた感じ、“レイシ” の束ねられた枝と実の色の美しさを、充分に表現できたでしょうか?


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