COLUMN
いつも ありがとうございます


制作者・・・・坂田みどり(妻 パソコン歴 六年半になります)


 211    新作<アンティックドールU>できました 
更新日時:
2005/06/01
六月というのに、寒がりの瑞来さんはまだ朝起きた時はエアコンの暖房を入れています(笑)。
今回はモデルに友達が送ってくれた “葉っぱ付きのサクランボ” も入って、表情が豊かな画面が出来上がったように思います。 モデルを組んでサクランボが手に入った次の日は、終日御飯を食べる間も惜しんでサクランボと格闘(?!)とにかく なまもの の所だけは先に仕上げて・・・、それからも暫くは前作の30Fを加筆・修正に余念がなかったり、オーディオ装置にトラブル発生で思いがけない時間を取られたり、・・・・・色々、ありましたがなんとか<とりあえず、新作できました>まで辿り着くことができました。

 212    <かつおの下ろし方> (みどり記)
更新日時:
2005/05/25
五月の料理教室は毎年<かつおを丸ごと一本>使った様々な献立が登場します。
一般の家庭では、普通<かつおを丸ごと一本>なんて買わないし、下ろす事もないと思いますが、我が家では 父・虎一が、まだ元気だった頃は、父が 「魚」 を得意とする画家だったため、様々の人々から色々な種類の魚が届けられることが普通では考えられない程の頻度であって、一度だけ<かつおを丸ごと一本>頂いたことがあります。
私が、まだ30代になったばかりの頃で、当然の事ながらそれまで一度も 「かつお」 を下ろした事がないのですから 「こまりました!」 大きな 「かつお」 を目の前にして、立ち往生です。
とにもかくにも、何とかしなければ・・・・・ということで、その時は 運良く 22枚の写真入りで 「かつおの下ろし方」 の手順が詳しく載っていた本( ※ 参照 )を見つけて、瑞来さんにひとコマづつ 解説を読んでもらいながら<大きいかつお>と格闘して、何とか(?!) 処理した印象深い思い出があります。
 
前置きはさておいて<かつおの下ろし方>の特色は、普通の魚と少し違って、ウロコが非常に細かくて、鎧のように堅いので、刺身包丁で削ぐようにして取ります。 身が柔らかいので、左手でシッポを持ち上げて(重いです!) 背骨に沿って、出刃包丁で力強く断ち落とします。
料理教室では、毎年、誰かが ギセイ者(笑) となって<かつおを下ろす>のに挑戦させられますが、皆、白羽の矢が当たらないようにと、逃げて遠巻きに見学します。
私もまだ、自宅で一度、教室でも一度 しかやったことがありません (笑)。
 
( ※ 日本放送出版協会 柳原敏雄著 「伝承日本料理」 P.154 )
(余談ながら、この本には他にも色々と随分助けられて、今までで一番活躍してくれた実用書です)

 213    <非天才的> (瑞来記)
更新日時:
2005/05/18
俳句や短歌の世界を別にすれば、一般的に 「詩人」 という時、詩を作ってそれで生計が立っていくとは、多くの人は思わないでしょう。 そういう意味からすれば 「詩人」 を 「芸術家」 と呼称して、「詩人」 に対して通常の 「職業」 から分離した非日常的な領域を与えるというのは心理的に肯ける話です。
一方 「画家」 は、通常の職業よりは<危険性>を孕んでいますが 「一般的」 とはいえない 「職業」 の一つに数えても 非常識 とはいえないでしょう。 「画家」 が、インテリア製造者という日常と、美術館納入者という非日常の両者に跨る微妙な存在であることも確かですが、「画家」 が 「芸術家」 の仲間に入れられる時は、美術館納入者としての 「画家」 の側面に視点が傾いていますから、インテリア製造者としての 「市民権」 が失われてしまう感じがするので、私の場合は 「芸術家」 という王冠を頂くと “いたしかゆし” の苦笑いになります。
ところで、人が職業を選ぶ時、どんな職業に就くにしても、その職業を選んだ理由の根拠を自覚的に解説できる人は、よほどの 「幸運」 に恵まれた人であって、大抵はたまたま偶然そうなってしまったというのが一般的な事情なのではないでしょうか。 「画家」 を選んだ人も、大半は同じ様なもので、特別に絵を描く事において<天才的>であったから 「画家」 を選んだというものではないでしょう。 私も例外ではありません。
ところが世の中の人は 「画家」 になろうほどの人は、絵を描く事に<天才的>であるから 「画家」 の道を選んだという誤解をしている事が多いのです。 というよりも、そう<誤解>したいようです。 「画家」 には、一般的な 「職業」 を超えた 「芸術家」 であって欲しいと望んでいます。 それ故に 「画家」 は<天才的>でなければならず、たとえ実質<天才的>ではなくても<天才的>であるかの様にふるまう事を望んでいるようです。
画家の中には才能のある人、血の気の多い人、芝居気のある人、プッツンの人など色々の人物がおりますから、世の中の人の<希望>に応えて<天才的>であることを見事に演じきれる人もいます。 例えば、ゴッホや ピカソや ヴァーホール、また 岡本太郎 や 池田満寿夫や 横尾忠則、また ジミー大西 や 片岡鶴太郎 等々・・・。 (付け加えれば 坂田虎一 もそうでした)
しかしながら、<天才的>だけが 「画家」 の側面でない事も確かなので、 「市民権」 の内側で、普通の職業の一つとして 「画家」 で暮らしていくという<立場>もあるはずです。 当然、私はそうでありたいと考えていますし、又たとえ<天才的>を演じようとしても、私にはそんな<度量>がありませんから、これからも少しは意志的に<非天才的>を演じ続けていかざるをえません。

 214    「庭の竹の子」 伸長度 定点観察(笑) (みどり記)
更新日時:
2005/05/11
去年の今頃 『「竹の秋」って知ってますか?』 というコラムを書きましたが、記憶に残っていらっしゃるでしょうか?
今年もまた、その季節がやってきました。
この時期、母屋の中庭を三日覗かなかったら、竹の子がアッチやコッチや、ニョキニョキ、ニョキニョキ顔を出し、太いの、細いの、真っ直ぐなの、斜めに生えてくるの etc. etc. ・・・ その上、去年の竹の葉っぱは落ちて大変です。 とりあえず、太くて真っ直ぐ伸びているのだけを残して切っていきますが、いつも 「コラムの種」 を探しているワタシの脳裏にひらめきました(!)。 「竹の子の伸びていく様子を、毎日デジカメ撮影して並べてみたら?!」 ・・・それが5月3日(火)で、それから今朝まで九日間、毎朝、同じ場所を撮影して並べてみました。 (9枚並べると煩雑なので、一日おきに5枚並べてみましたが、 それでも分かりにくい画像でスミマセン)
最初は一日で 3〜5cmの伸びだったのが、5月6日・7日とひと雨降った後は伸びが一日で15cmになり20cmになり “雨後のたけのこ” とはよく言ったもので、ものすごいスピードで伸びていきます。 とうとう今朝は画面の中に入りきりませんでした。
ちなみに竹の子の伸びていった数字は、真中の一番背の高い竹の子で、一日に 5cm・ 6cm・ 9cm・12cm・14cm・15cm・21cm・23cm と日を追うごとに伸びる速度がどんどんスピードアップ していました。
 
今までは漠然と 「三日覗かなかったら大変!」 と感じていたことが、写真と数字で確認できる良い機会になりました(笑)。

 215    生涯最良の作品(?) (瑞来記)
更新日時:
2005/05/04
2月23日のコラム 「<再現>について そのZ(画面とは何か)」 で書きました白いキャンバスがそれ自体として絵画的な価値を持っているのではないかという持論を自覚的に援用して絵画を描いてみるという試みは、前作 「スルバラン風」 に続いて今回の 「レモンとティーウォーマーのある静物」 で二作目となりました。 勿論、絵が旨くいく、いかないというのは沢山の要素から成っているのですから 「<再現>についてZ」 の主旨を守ればそれで旨くいくというものではありませんが、結果から推し量るとすれば、作画との肝要な要件の一つであるように思いました。
しかし今回の 「レモンとティーウォーマーのある静物」 が順調に仕上がったのは、もう一つ “神様のおぼしめし” が良かったせいだと考えています。 前作の 「スルバラン風」 の様に全くの<恒久物質>だけで成り立っているモデルは、好きに描けるという自由があるのですが、一旦<生物>(ナマモノ) が加わったとなれば事情は違ってきます。 特に “葉っぱつき” のくだものとなれば、一分ごとに葉っぱはその表情と位置を変えてきますから、どうしても何も描かれていない白い画面の上にポツンと葉っぱだけを克明に描写しなければなりません。 おおよその 「当たり」 をつけて描いた葉っぱの場所が適切であったかどうか、その描写の強さ加減、色合い加減が妥当な範囲に納まってくれたかどうかは、後になって画面全体が絵具で埋まった時に初めて判ってくるものですから、どうしても 「運・不運」 がつきまといます。 そこの所だけでも写真を使って描くという手法もありますが、体験的にいって結果は必ずしも良くはないのです。 写真の映像を描くと、どうしても絵が<鈍く>なるのです。 現実を直接描いても、写真を介在させて描いても<理論上>は変わらないはずなのに、どうしてなのだろうかと考えていますが理由はよく判りません。 それ故に少しでも新鮮な画像を生まれさせるためには、直接現実のモデルを描き切るのが一番なので “うまくいってくれますように” と呪文しながら “できる限り” の速さで描くように努めます。 今回の結果は、まあまあの位置にレモンと葉っぱは収まってくれたのでした。 “神様のおぼしめし” というのは、そのほかの部分にも沢山有りますが、最も機嫌をそこねたくないのが<生物>(ナマモノ) の部分です。
今回はそれだけでなくて、“額縁” も私に加担してくれました。 30号ともなると静物画の場合、横構図の方がやり易いので、私は<横>でやりたかったのですが、家内に 「30号の額縁は今<縦>のしかないから<縦>でやってほしい」 と言われて、縦構図にしたのでした。 (我が家の額縁には 「MIZUKI SAKATA」 のネームプレートが麗々しく 縦か、横かのいずれかに付いているので、<縦><横>決まっているのです) 縦構図の場合、画面の下三分の一をどうやって埋めるのか思案しなければなりませんが、今回はそれも私の力量としては “そんなところ” に納まってくれて<幸運>でした。
「レモンとティーウォーマーのある静物」 を生涯最良の作品(?) としたのは、そんな事情があったのと、私の体力と気力と知力の総量が今あたりが “いっぱい、いっぱい” かもしれないと恐れているので、そんな風に考えたのでした。


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