割合最近になって気がついたのですが、絵の画面というのはただそれだけで、ある大切な<価値>を持っている様なのです。
人の脳が何故その様な形で絵を受け入れるのかその理由は謎ですが、人は絵を視ている時、画面を視野のコピーとして受け入れているように私は印象しています。 絵を見ている時、当然の事ながら、絵の存在は視野の一部であって、絵を視ている人の視野全体ではありません。 それにもかかわらず人の脳は何故か絵の画面を視野のコピーとして受け取り反応しているようです。 つまり視野の中に又小さな視野が現れるというのが絵を視ている時の脳の作用です。 絵の画像は何かのイリュージョンですが、人の脳はそれよりも前の段階で、画面を視野のイリュージョンとしてイメージするようです。
この前提に立ちますと視野の特質を考える事が、絵の画面の善し悪しを考える上での重要な手掛りになりうる事がわかります。
人の視野の一般的な形式はおおむね次の様に言えます。
視野の下半分は自分の足元からかなたの地平線へと続く大地がもたらす茶色、視野の上半分は天空の濃い空色から淡い空色の地平線へと降りてくる云わば空気色、その両者の中間に木(緑色)や海(青色)や家(様々の色)があるという構図です。 これは太古以来変わらないものですから、この風景の特質は、当然、人の脳のDNAにも深く刻み込まれているはずです。 つまり視野の下三分の一は茶色を主体とした近景の強い情報(しげき)、上三分の一は空気色を中心とした遠景の弱い情報(しげき)、中央の三分の一はそれなりの強さの様々の色の情報(しげき)というのが視野のスタンダードなあり方です。 それから、これは私が実感している訳ではなく 脳学者が言っている事ですが、視野は、視野の真中辺りが明るくて色彩が鮮やかで、視野の縁に行くに従って明るさが減じて色彩感も乏しくなるという現象です。
視野=画面という前提に立って以上のような事を考えますとこんな風に言えるはずです。
絵具はパレットの上に並んでいる時には、ほとんど単なる光学的な事実にしか過ぎませんが、絵具がキャンバスの上に乗せられたその時には、画面の上にあるという事実だけで脳生理上のある<価値>を持ってしまいます。
それは画面の上・下・左・右 (特に上・下) という部位の違いによって、脳が感じる色彩のスタンダードがそれぞれ異なっていますから、その結果、同じ色の絵具が画面の部位の違いによって異なった効果を生み出します。
つまり描く人が意識するしないに拘らず画面上で<価値>が生れます、これは絵具がキャンバスの上で審美上の<価値>を生み出す前のもう一つ初源的な DNA 上の<価値>といえるでしょうか。
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