COLUMN
いつも ありがとうございます


制作者・・・・坂田みどり(妻 パソコン歴 六年半になります)


 261    <おかき> (瑞来記)
更新日時:
2004/06/23
私には<白いごはん>に対することさらの<思い入れ>が有る様に思っていますが 「ああ、貴方もそうですか」 という人にも稀にお逢いします。 そういう人と出逢った時には、ほんとは<白いごはん>体験について根掘り葉掘り聞きたいと思うのですが、お互いの<家風>もありますから、少し遠巻きに<共感>を味わいます。 こういう場合の喜びというのは、正確に言えば、自分の趣味を後ろめたく感じずに話せる肯定的な雰囲気の楽しさです。 コラムを読んで下さる人の中にも<白いごはん>好きの人が二人はいる事を確認しているので、いくらかは後ろめたくなく書くことができます。
おいしい<白いごはん>という時、こだわればいくらも贅沢(-- 例えば、おくどさんで羽釜で薪を焚くといった)があると思いますが、日常生活と調和する範囲で<贅沢>するとすれば、お米を小うるさく吟味してみる事と炊飯の水に自然水(ペットボトルの)を使う事でしょうか。 一時、炊飯器での美味しいごはんの炊き方が流行った時に家内にも色々試してもらいましたが、こちらは大差がなかったと思います。
本来<白いごはん>だけでも十分の美味しさのはずですが<白いごはん>が有終の美を飾るためには、“おいしい海苔”と“おいしい醤油”が画竜天晴となるのが、私の<白いごはん>のイメージです。
お米・海苔・醤油に続いて<おこげ>が加わりますと、そのアイデンティティーは<おかき>へと繋がっていきます。 私はもち米で作った<あられ・おかき>の方を、うるち米で作った<せんべい>よりも好みます。 お気に入りは銀座にありますが、そのお店には宅配もありませんし、デパートでも余り見かけませんから、たやすくは手に入りません。 京都には他の場所に比べて<おかき>が愛好されている町だと感じていますが、先日、美味宅配便のカタログに京都のあるお店が紹介されていましたので<お取り寄せ>しました。 「当たるも八卦、当たらぬも八卦」 が美味宅配便を迎え撃つ心構えの原則ですが、今回は「♪当り〜」でした。
 

 262    <目からウロコ>の学習 (みどり記)
更新日時:
2004/06/16
ここ数ヶ月、何故か、煮物が今ひとつ美味しくできなくて 「何故だろう?」「どうしてかな?」・・・とずっと気になっていました。
つい先日、某TV局の “ためしてガッテン”という番組を見ていたら <出し汁の “うまみ” の濃さには「適度」が大切で、濃ければ美味しくなる訳ではなく “過剰のうまみ成分” は、舌でニガミ・エグミとして感じてしまう> と言うではありませんか、「これだ!」 と思いました。
 
去年の夏に、デパートで 100g1500円!の羅臼昆布を奮発して購入、それで出し汁を取ると(その後、佃煮にしても)今までとひと味違う上品な味になって、手間は違わないのにワンランク料理の腕が上がったようで、嬉しくなって・・・それから、段々、エスカレートして 「多めに使ったら、より美味しい出し汁が取れるかも」・・・と、使うたびに羅臼昆布の分量を増やしていたのです。
 
TV番組を見てから、また、以前の昆布の分量にして出し汁を取り、野菜を煮てみると、最近の中では美味しい煮物ができて、ホッとしました。
「過ぎたるは、及ばざるに如かず」・・・だったようです。

 263    「竹の秋」って、知ってますか? (みどり記)
更新日時:
2004/06/09
俳句をなさる方はよく御存知なのでしょうが、私は結婚してから初めて、俳句を楽しんでいた義父(虎一)から 「竹の秋」(四月の季語) という言葉を聞きました。
「竹」 が好きだった義父の趣味で、母屋の中庭には竹が植えられています。
四月に新しい竹の子が出てくると、去年の竹は葉を落とし、今年の竹もドンドン伸びる時期に沢山の竹の葉と皮を落とします。 この様が、まるで秋の落ち葉のような風情・・・ということで 「竹の秋」 らしいのですが、この四月・五月の 「竹の秋」 の時期は、掃除と手入れが大変で、毎年、この時期に腰が痛くなってしまいます。 しかし、六月になると新しい竹の枝葉も伸びて、庭の景色も様変わりして一段落です。
梅雨に入って、雨に濡れる苔の上に落ちた竹の葉や皮を見ていると、「虎一さん」を思い出します。

 264    とりあえず、新作発表です (みどり記)
更新日時:
2004/06/02
ひょんなことから、この新作が生まれました。
先日の<宇摩美術会展>へ出品していた 「ティーウォーマーのある静物」 に描かれたアスパラガスを見た “アスパラガス生産農家” の方が 「あのアスパラガスは鮮度が悪い、今度、新鮮なのを届けてあげる」 とおっしゃって、本当に持って来て下さいました。
(一部をすぐに茹でて食べたら、野菜の香りがして甘くて、さすがに美味しかったです)
新鮮なアスパラガスをおいて 「ティーウォーマーのある静物」 の“アスパラガス”を加筆・修正したら、お陰様で、絵全体の鮮度が良くなりました。
採れ立ての新鮮なアスパラガスを沢山頂いて、これを食べるだけでは勿体ない・・・と、瑞来さんに頑張ってもらって生まれたのが、この新作です。

 265    <再現>について そのY (瑞来記)
更新日時:
2004/05/26
実際の事実としては無いはずなのに、眼には有るように見える現象に輪郭線があります。 小うるさく言えば、現実には物とその背景との間には<境界>があるだけで<境界線>も在りません。 <線>というのは<意識>がある方向性を持って事実を解釈するために生まれる<幻影>と私は考えています。
異なった情報を持った無数の点が、方向性を持たずに<唯 在る>と言うのが、実際の光学的事実でしょう。 意識はただ漠然と見ていたのでは、形を捕え難いので<境界>を<境界線>へと強化して形を確認するのだと思いますが、今回の主題の輪郭線も又、形をよりよく捕えるために視細胞が行う自然作用の結果生まれる現象と考えています。 視細胞には「辺縁対比」と呼ばれる自然作用があります(図B)
今一番極端な例として、黒と白が接している図形を想定しますと黒と白が隣り合わせになる部位で図示(左側)の(A)→(B)の様な現象が起こります。(詳しい事情は岩波新書・村上元彦著「どうしてものが見えるのか」を一読ください)
私の考えでは図(B)の二つの突起した部分が<輪郭線>を生んでいるのではと解釈しているのですが、それを前提として<輪郭線>をどう表現するかを考えますと図示(右側)した(1)(2)(3)(4)の組み合わせが想定できます。 (1)は事実を中心にして描く輪郭線、(2)(3)は事実が半分、脳の自然作用が半分のどっちつかずの輪郭線、(4)は脳の自然作用を中心にして描く輪郭線、と分別することができるのですが<大問題>は何処のどの場面にどれを適用するかというところです。 それぞれの適用条件が不明であれば、適用は<当てずっぽう>になります。 これだけでも思い悩むに十分な難しさですが、その上に輪郭線の表情、例えば 強い:弱い、太い:細い、鋭い:鈍い といった条件を加味すれば、単純に一本輪郭線を引くとしても 4(辺縁対比)×8(表情づけ)=32種の類の輪郭線が描けます。
どの一つを選択しましょうか?!


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