私が映画館で観た最後の映画は、まだ新婚であった頃、家内に半ば強制的に付き合わされた「北キツネ物語」で、二・三年前に閉館をした新居浜の「新宝館」まで出かけて行きました。 自ら好んで映画館へと足を運んだ映画が何であったのか、又いつ頃であったのか記憶にありません。 ざっと計算してみても35年間くらいは映画には縁のない生活を送ってきたことになります。 私はビデオで映画を観る習慣がありませんから、映画について何かを語る事は、純粋に<昔話>になるので恐縮します。
「思い出の外国映画を挙げてください」というアンケートは時々お目にかかりますが、それに倣って、1.ウエストサイド物語 2.ナバロンの要塞 3.シェーン と三本のアメリカ映画を並べると、映画に興味があった人には、私の属する<世代>が想像できます。
先日、『 時代劇への招待 』(PHP新書)という本を見つけました。 「チャンバラ」映画への思い入れを六人の方が語っていました。 私の世代では、「チャンバラ」映画の時代は高校生くらいの年回りになると思います。 その頃は「東映」のチャンバラ映画の全盛期で、私のご贔屓は<定番>の中村錦之助で、「笛吹童子」や「紅孔雀」以来の付き合いでした。 当時観たチャンバラ映画は全てきれいに忘れ去っていますが、あれは 「きれいだった!」 と全体の印象を憶えている作品があります。
「源氏九郎颯爽記・白狐二刀流」という映画で、錦之助が<美剣士>を演じて、恋人役のお姫様には大川恵子、月形龍之介が敵役の剣豪を演じて、あの「シェーン」のジャック・パランスを凌ぐ<つよい!>を見せつけていました。 (当時のお姫様役は、丘さとみ・桜町弘子・大川恵子の三人が中心になってローテーションをしていたと思いますが、私は「頭一つ」だけ大川恵子のファンでした。あらためて『 「明星」50年 601枚の表紙 』(集英社新書)で調べてみますと、大川恵子は1958年10月、’59年10月、’61年1月と都合3回 「明星」の表紙を飾っています。私の記憶でも程々の人気であったと思います) この映画が加藤泰監督の1963年の作品である事を知ったのはもっと後のことで 「ああ、そうなの!」 と少し嬉しかったものです。 先の『 時代劇への招待 』でも、誰かこの作品に触れていないか注目したのですが、誰も触れてくれなくて少し残念でした。
しかし、誰かが触れたとすれば、密かに隠し持っていた宝物を見つけられた気持ちで、それも又少し残念であったでしょう。
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