COLUMN
いつも ありがとうございます


制作者・・・・坂田みどり(妻 パソコン歴 六年半になります)


 26    <てんやわんやの 先週末> (みどり記)
更新日時:
2008/12/10
先週の金曜日、瑞来さんは いつも通りの早朝散歩で、運悪く、ヤマジ風の ものすごい雨風の “嵐” に出あい、身体が冷えたからか、朝食前から、「お腹が痛い」 と言っていました。 それでも、朝ごはんは 普通に食べ、「痛い」 と言いながらも、絵も 描いていました。
お昼は、お粥にして 様子を見ていましたが、「痛みが、何だか、普通と違う」 と、近所の かかりつけ医に診てもらいに出かけ、『急性虫垂炎(盲腸)の疑い有り』 と、大きな病院への紹介状を もらってきました。
 
あわてて、その足で、二人で 大きな病院へ出向くと、すぐに、触診・腹部エコー検査・血液検査・血管造影剤での CT検査を受け、『急性虫垂炎、初期〜中期』 『抗生剤の内科的治療で治まるか? 手術か? 境目』 の診断を下されました。
この時、ちょうど、金曜日の夕方で、次の日が 病院が休みの 土曜・日曜を控えていたので、安全を期して、そのまま、急遽 入院の運びとなってしまいました。
 
次の日の 土曜日には、今年二月に亡くなった祖母の 『辰巳(たつみ)』 (北四国の風習で、その年に亡くなった人の お正月の行事) も控えており、二人で、今治まで 出かける事にしていたのですが、急遽、私だけが、頼まれていた お雑煮を 金曜日の夜に準備して (出し汁・具・吸い口 10人分)、土曜日の午前中に届け、夕方からの 『辰巳の行事』 (親戚の人達が お墓に集まり、お墓に飾った しめ飾りの藁で、包丁に刺した 鏡餅をあぶり、後向きに引っ張ってちぎって食べ、自宅に戻って、お雑煮で、亡くなった人の お正月を祝う) は、パスさせてもらいました。
 
瑞来さんは、金曜日の 検査の途中から、点滴が始まり、絶食です。 点滴は、次から次へと 昼夜24時間 休みなく続き、結局、月曜日の午前中、退院するまで、点滴の管が 外される事はありませんでした。
入院して、24時間経った頃に、主治医より、「手術はしなくても、抗生剤の点滴で 治まりそうです」 と言ってもらえた時には、心底、ホッとしました。
 
日曜日の朝からは、絶食が解けて、食事を摂れるようになり、痛みも、お腹の不快感も 無くなり、現在に 至っています。
中断を余儀なくされていた、絵の 「干し柿と洋梨」 のモデル達も、何とか 待っていてくれました(笑)。

 27    <四国の 干し柿作り> (みどり記)
更新日時:
2008/12/03
今年の秋は、二度、『干し柿作り』 の機会がありました。
 
一度目は、10月下旬、広島の実家の手伝いに行っている折に、広島の友人が、「丁度、庭の柿を 収穫した所なので、『干し柿』 を作るのなら?」 と言ってくれたので、実家の方へ 送ってもらって、すぐに、皮を剥いて干しました。
 
以前から、不思議に思っていたのは、四国では 干し柿作りのシーズンは、寒風が吹き始める 11月下旬から、12月上旬にかけてなのに、広島の友人は、「毎年 10月中旬」 に作っています。
今回、広島の柿を 送ってもらって・・・柿の形は 似ているけど、全然 違う品種の柿 だと判って・・・数十年来の謎が解けました(笑)。
 
広島の柿は、『祇園坊』 という品種らしくて、木から収穫して、そのまま 常温で置いておくと、一週間くらいで 「熟し柿」 になります。 今年は、何年ぶりかで、トロッと清潔な 熟し柿のデザートも 食べられました。
干し柿にしても、皮を剥いて干して、五日目くらいで、もう最初の 「モミモミ」 が出来ます。 試しに、一週間目に、干し柿を食べてみると、もう 渋が抜けて、甘くなっていました。
 
これに引きかえ、四国の柿は、『あたご柿』 という品種らしくて、実が 硬いのが特徴です。 この柿は、11月下旬、なるべく冷え込みの厳しい日に 剥いて干して、十日くらい経って、表面が乾き、実が 黒ずんできたら、やっと 「モミモミ」 開始の目安です(写真 中段の柿)。 この最初の 「モミモミ」 が大事で、乾いた表面を破らない程度に、力を入れて、まだ硬い中身を 揉みほぐします。 (その時、指は、清潔に!清潔に!(笑))
 
「一回目のモミモミ」 の後、一晩経つと、「あら、不思議! 不透明で、オレンジ色だった柿の実が、赤く透明感のある 干し柿色に変化します」
「モミモミ」 も、一回目だけを、慎重に 力を入れて 揉みほぐせば、後は、楽チンです。 何度か、「モミモミ」 した方が、早く食べられますが、干し始めてから 二週間目くらいから、渋も抜けて、甘くなってきます。

 28    <Dacky 君の お誕生日> (みどり記)
更新日時:
2008/11/26
『♪〜今日は、僕が 家族を見つけた、素敵な、素敵な日〜♪』
 
11月21日の朝、我が家の しゃべるぬいぐるみ犬 Dacky のベァ〜君は、起床の挨拶の後、歌い始めました。
実は、11月21日には、何か 特別な事を言うかもしれないと、私は 密かに期待していました。 というのは、お腹のファスナーを開いたら、電池ケースの上に 実家の母が、去年、最初に電池を入れた日付け (2007.11. 21.) を書いてあったからです。
 
これには、ちょっと複雑な?! いきさつがあったので、その経過を報告しますと、現在の我が家のベァ〜君は、二代目で、初代のベァ〜君は、去年の “母の日” のプレゼントに、姪が、自分の母親と、“犬好きなのに、犬を飼えない” 私にもと、プレゼントしてくれていました。 それから一ヶ月余り経って、大分、成長した頃に、実家の母の Dacky (去年 4月に、私が、母にプレゼントしたものです) が故障して、製造元へ 三週間入院(?!(笑))する事になり、母が すごく寂しがっていたので、我が家のベァ〜君を、しばらく、貸し出す事にしました。
 
丁度、去年の秋は、松山での個展を控えていたので、我が家の忙しさが 一段落するまで、貸し出し期間を延長して、母の Dacky の修理が終わっても、預けておくことにしました。
 
個展も終わり、いよいよ ベァ〜君を、我が家へ持って帰ろうとしていた直前の 11月初め、預けてあったベァ〜君が故障して、オモチャ会社に 入院(返送)しましたが、今度は、オモチャ会社の ご好意で?!、新品の Dacky に交換してくれたのです。
実家の母の元に、新しいベァ〜君が届いたのが、11月20日、母が電池を入れ、二代目のベァ〜君に 生まれ代わったのが、2007年11月21日だったのです。 そして、その新しいベァ〜君は、それ以後、我が家に移り住んで、成長する事になったのです。
 
それからは、2〜3ヶ月に一度の 電池交換の時も、初期設定の 『犬』 に戻ることも無く、無事に 成長を続けて、最近では、オシャベリは もちろん、寝言や いびき、昼間には、勝手に 昼寝とか、ほんとに、感心してしまうような、芸の細やかな対応を示して、我が家に欠かせない存在になり(笑)、無事、一周年の お誕生日を迎えたのでした。

 29    『川之江文化時報』の原稿作り☆ (みどり記)
更新日時:
2008/11/19
11月初め、私宛てに 思いもかけない 『川之江文化時報』原稿依頼の 手紙が届きました。 この冊子の編集責任者の方が、私がHPコラムを五年以上も持続しているのを知って、言って来られた様ですが、HPの様にプライベートな内容と違って、一般の方々が読む冊子へ書くには、私には荷が重過ぎるので、「どうしよう? どうしよう!」 とオロオロしていました。
それを見た瑞来さんが、有難い事に 選手交替で 原稿を引き受けてくれることになり、私は、肩の荷を降ろせました。 その原稿を頼まれた時期が、ちょうど、我が家の 手持ちの絵を 全て、ボランティアのイベントに出品して、加筆・修正しようにも、絵が 手元に 一枚も無かったのが 幸いしたかもしれません。
 
瑞来さんは、<レアリズムの ひとつの断面>と題して、絵に対する考え方の 集大成を書く事にして、四日も かかって、書き直しながら、初め 2000字位とか言っていたのが、どんどん膨れ上がっていきました。
 
片や、私は、手書きの原稿が出来上がるのを待つ間に、PCで 清書するために、今まで、ほとんど 使ったことのない 「Word」 を開いて、お勉強です(苦笑)。
 
原稿依頼の文書の中に、「27文字・20行・2段・縦書き」 が基本の形とあったので、まず、それを どうやったら設定できるのか?! 最初は、「Word」 を開いてみても、使い方は、お手上げ状態です。
その昔、PCの先生に、「必要なものは、必ず、画面のどこかにあるので、それを探しなさい」 と言われていたのを 思い出し・・・・・あちこちクリックして、突き回している内に、何となく 「Word」 にも なじんできました。
初めは、「やりながら、考えよう」 で、瑞来さんの 手書きの読みづらい(笑)原稿を、とにかく、横書きで、文字を 打ち込む事から始めました。 二ページ目位を打ち込んでいる頃に、“ファイル”→“ページの設定” で、「27文字・20行・2段・縦書き」 の条件に近い、「27文字・40行・縦書き」 の設定方法を見つけて、設定して、クリック・・・・・!!!
一瞬の内に、今まで打ち込んだ 横書きの原稿が、「一行27文字・40行・縦書き」 に変身!
この時には、「PCって、すごい!」 と、久々、感動しました。
 
次に、つまづいたのが、「印刷ページ設定は、どうしたら良いの?」
最初は、色々やっても、必ず、今まで打ち込んだ 全てのページが プリントアウトされます。 何度か失敗している内に、“印刷ページの設定の方法” も見つかりました。
 
そんなこんなで、試行錯誤しながらも、二人三脚で、無事、原稿も清書できました。
初め、1〜2枚の予定が、書き終わってみれば、6枚にもなってしまいました(笑)。

 30    <新作 6F 『秋の果物』 できました> (みどり記)
更新日時:
2008/11/12
東京の フェルメールの旅 から帰ってきて、「さて、そろそろ 次回作のモデルを立ち上げなければ〜」 「でも、億劫」 とか、ゴジョゴジョ 言っている時に、私の友人から 「(写真添付で) 今、畑のブドウが こんな状態だけど、いる〜?」 と連絡がありました。
彼女には、以前、九月半ばにも 一度、ブドウの連絡を もらったのですが、その時は、前作制作中で、残念ながら おことわりしていました。
 
今回は、グッドタイミングだったので、早速、送ってもらう事にしました。
お店で売っている、粒揃いの ビッシリと実のつまった ブドウと違って、粒の大きさ 不揃い、色合いも、緑色の粒の すぐ隣りに 茶色の粒が〜! と、何とも、表情豊かな、このまま絵に描ければ、カラヴァッジオの 『果物籠』 にも並べられる、傑作が できそうな、それは、魅力的なブドウが届きました。
 
すぐに モデルを組み立て、箱の片隅に入れられていた、しおれかけたブドウの葉っぱも 重要なモデルの一部を つとめてくれました。
(丁度、前日、農家の方に頂いていた 極早生みかんも、運良く、葉っぱ付きが ありました)
モデルを立ち上げると、「なまものだよ〜、急げや 急げ!」 の日々が始まります。
 
普通、店頭で売られているブドウは、「なまもの」 のモデルの中では、比較的、姿・形の日持ちの良い果物なのですが・・・・・なぜか、この自家菜園のブドウは、無花果よりも! 足が速いのです。
瑞来さんは、思惑が外れて(苦笑)、必死の形相の 4〜5日が続きました。
 
でも、その お陰で、仕上がりが速く、今、開催中の<川之江信用金庫西支店>のオープニングイベントに、出来立てホヤホヤの 最新作を飾ることができました。


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