眼の奥で、光の情報を受け取る視細胞は、光の強さに対して感度の高い細胞と、低い細胞の二種類によって構成されています。
何故、単一の感度の視細胞にならなかったのでしょうか。
これは、カメラのフィルムの事を考えると合点が行き易いところです。カメラでは、青い空が<青色>に発色する露出をそのままにしては、木陰の人物の細部は写りません。逆に、木陰の人物がきれいに写る露出では、空の青さは<白く>写ります。現実の光の強さの振幅がフィルムの容量をスケールアウトするからです。写真ではシャッタースピードでこれを調節していますが、持続して情報を入れなければならない眼の場合はこの方法が取れませんから、感度の異なる視細胞を用意して、それを自在に組み合わせて、光の強弱に対応していると考えます。
これは、光のダイナミックを縮小する事によって<同時に全て>の情報を手に入れる巧妙な手段ですが、それは基準点が自由に動いてしまうことですから、情報の客観値は失われています。
<再現>すると言うのは、眼に写る映像から、失われた光のダイナミックを回復させることです。もし巧く行けば、現実(眼に写っている世界)を超えることが可能です。
例えば、フェルメールの「青いターバンの少女」のたたずまいは眼に入る直前の映像の近似値かもしれません。
(今回のは、前2回に比べると私は分かり易かったのですが・・・みどり)
|