絵を描かせているのは意識です。今、問題にしたいのは<十全な意識は一つしか現われない>という意識のあり方についてです。
例えば、文章を読む場合、ある一ヶ所の文字の意味を読み取っている時に”同時には”他の場所の文字の意味を読み取れないというあのあり方の事です。
絵を描く時も意識のあり様に例外は有り得ませんから、意識が集中している一ヶ所だけが、その他の部分を背景にして浮かび上がって視えています。もっと言えば、そこだけが意識にとって全ての世界です。
今、一つの部分に在る真白と真黒の中間くらいの灰色を思い浮かべます。意識は、そこから離れたあちらこちらにある灰色と直接に比べて、どちらがより真白に近いか、どちらがより真黒に近いか判断する能力を持ってはいません。意識にとっては<灰色>一般です。ですから周囲が白っぽければ灰色は<黒っぽい>と判断され、周囲が黒っぽければ灰色は<白っぽい>と判断されます。同じ灰色に逆の評価が下されていても意識は気がつきません。
<再現>というのは、現実を<再現>することで、意識が受けた印象を<再現>することではありませんから、<再現>を試みようとすれば、まず、意識が行う自由な最初の判断を、<偶然>として、その判断に保留をつけることが<再現>の始まりです。
それから対象を<疑り深く>観察して、経験と知識を全て動員して、画面の上で、考えつく<こうかもしれない>を描いてみて、あらゆる部分と部分の関係、又あらゆる部分と全体の関係の相互の間で一番矛盾の少ない組み合わせに辿りつくことです。この作業は意識の自発性を否定することですから、根気と手間と時間が必要です。
(よく読んで頂ければ、瑞来さんの絵の秘密が分かると私は思うのですが・・・みどり
シリーズで続く予定です)
|