COLUMN
いつも ありがとうございます


制作者・・・・坂田みどり(妻)
                               

                           

364  <判って貰うという事> (瑞来記)
更新日時: 2011/05/24
最近、私は よく 自分の画歴に少しも肩書がついていかないのは、ほんと しんどいんだよと 愚痴る事があります。
私の妹も、時に 我が家にやってきた時、その つぶやきを聞かされていたのでしょう。
彼女も 又、私に肩書を 付けられるものなら付けてあげたいと考えていたのでしょう。 一昨日(5月22日)、彼女が 「ホキ美術館」 という現代の レアリズム作家を 一堂に集めた常設の美術館でやっていた ある企画展の最終日に そこを訪れた折、たまたま偶然、館長 (顔は、美術館のHPで見憶えていた)と話す、幸運な機会を得たので、私の絵の事を 館長に話したみたいです。

そうすると、絵についての 具体的プログラムは、ある画廊の重鎮の専門家に任せてあるからと、その画廊と その担当者を 紹介して下さったそうです。 (さぞや、妹も 背中に冷や汗を かいた事でしょう)
それで、私に その報告があったので、翌朝、私も 意を決して、その画廊に電話をしてみました。 丁度、担当者は留守で( 「ホキ美術館」 に行っていたそうです) 係りの女性の事務員さんが、丁寧に 対応して下さって、とにもかくにも、まず写真に撮った 私の絵の写真数枚と、私の人となりが判る様な物を送って下さいという お達しでした。

それで、私も すぐに 手元にあった 最近描いた三枚の絵の写真と、昨年、インタビューを受け掲載された地元の情報誌を、書留速達で 画廊に送りました。

それで今日(5月24日)、早速、画廊の担当者の方から 我が家へ電話がありました。
結論しかないのですから、まず、結論を報告しますと、その担当者の、私と 私の絵に対する意見の主旨は、次の様なものです。
「貴方は、田舎暮らしの 物を知らない画家で、甘っちょろい絵を描いている割には、言っている事だけは生意気ですね。 もう少し、世間を知って出直して下さい。 世の中、そんなに甘くはないですよ。」
言葉は、直接、こうではありませんでしたが、内容は こんなものでした。
特に、(このHPコラムを読んで) 私が 最近お世話になったフランス料理店のオーナーに出した手紙の中にあった “日本を背負えた” とか “文化勲章を含めて、画壇は生臭い” とかの言い回しには、余程カチンときていたみたいで、結構、執拗に意見されました。
ちなみに、彼(担当者)は、77歳だそうですが、それにしても 69.5年間 人生をやってきた人にする説教としては、いくらか礼節を欠いているのではと感じました。

一昔前の私であれば、結構 落ち込んで、「あぁ やっぱり 私の力が足りなかった」 と嘆いたと思いますが、今は、「あぁ、やっぱり 判って貰えなかった」 とつぶやいています。

私の絵の技術的未熟は 十分認めますが、私の絵の美点や美徳は、見事に無視されました。

私は、次の様に考えながら 絵を描いています。
“意識的” に絵を描くという事は、意識が支配する感覚だけしか 画面には表わされない可能性が大きくなります。 ところで、人体全体の感覚は 意識が統御している感覚よりも大きいと感じています、むしろ脳の神経細胞や視細胞、更にそれらを下で支えている人体全体の細胞例えば内臓諸器官・筋肉・骨・などの細胞が生みだしている 意識には届いていない諸感覚の総計の方が大きいのではと、私は考えます。
だから、“意識的” に絵を描けば描くほど、人体全体が持っている諸感覚をないがしろにする結果に 陥り易くなり、人間の 「全体」 から離れてしまうように思えるのです。

だから、“意識的”に斬新さを求め、刺激性を求めた コンクール向けの絵は、反省してほしい時期に来ていると、最近とみに感じて、少し 過激な発言を 繰り返していますが、画壇に人々にとっては、生意気な 負け犬の遠吠えという事になるのでしょう。

最後に、それこそ失笑される事 請けあいのゲーテの言葉を 引いておきます。
『やり遂げた仕事が周りに評価してもらえないのなら、それは普通の人間には理解しきれないほど 偉大な仕事だったのかもしれない。 もしそうならば、その成果は滅ぶことなく、永遠にそのまま存在していく。 その仕事の偉大さは、未来に証明される』 「ファースト」

ゲーテに 叱られるかな(笑)


363  『15周年 宇摩美術会展』 始まりました☆ (みどり記) 
更新日時:
2011/05/07
五月晴れの中、今日から、11日(水)まで、宇摩美術会員18名の作品展が 四国中央市民会館 三島会館で 始まりました。

宇摩美術会は、義父・故 坂田虎一の お弟子さんを中心に結成された会で、15周年の今回は、「坂田虎一先生を懐かしむコーナー」 も一室あって、会員の方々が所蔵の 坂田虎一の油彩・水墨画が 20点くらい展示されていました。

会員の方々の出品作品は、『春季県展出品作』 18点と、8F〜100F までの 49点が、広い二つの会場に展示されています。

坂田瑞来の 新作の油彩画も、三点(四月一ヶ月間、松山の「エルミタージュ道後」に飾って頂いた作品)、招待出品で展示してもらっています。


私達が初日の午前中、会場に出かけると、会場内で、待ち受けていた 瑞来さんのファンの方が、「待ってました!」 とばかりに、絵の事について 色々 質問攻めにしていたら、その話に興味をひかれたのか?!
・・・ちょうど、ケーブルテレビの取材中の方が・・・・・カメラだけでなく、マイクも取り出してきて、インタビュー取材が始まり〜〜
ちょっと主催者の方には申し訳ない 一場面もありました(^^;)

お出かけの機会がありましたら、覗いてみて下さい☆




362  <レストランのオーナーさんへの手紙> (瑞来記) 
更新日時: 2011/05/04
会期中の ご厚意、有り難い事でした。 感謝申し上げます。
○○様は、素直に 私の絵を観て下さった 数少ない鑑賞者の一人です。(ほんとに そういう人は、めずらしいのです)
昔、ある評論家が “日本の中に 一人だけでも自分の言う事を理解してくれる人がいたら、やりがいがある” と言っておりましたが、私の立場も よく似た様なものなのです。

先日、ここ20年ばかり 私に付き合ってもらっている 心療内科の医者に行ったおり、「“初老期落ち込み病” です」 と私が言った時に、医者が 私のカルテで、私の年齢(69才)を確認しながら、「初老期じゃなくて、中老期だよ」 と諭された後で、「へぇ〜、坂田さん、古希なの」 と、改めて 私の顔を見て、「ふぅ〜ん」 とうなずいて、“あんたも 悩み多き中老だね” と少しだけ納得してもらって、少し 我が意を得たりと 得意になりました。

そんな事もあってか、最近では、昔は 言わなかった様な事柄も、人に表明する様にはしておりますが、これから○○様に申し上げる様な事柄は、人に伝えるのは 初めてだと記憶しています。
○○様には、眉つばされても結構ですし、単に、だぼらだと 読み流して頂いてもかまいません。

私は、画家になったのは 絵を描くのが好きであったとか、上手であったとか、という理由ではなくて、単に 画家の息子に生まれついたという 偶然です。
ただ、父親から学んだ事柄は 二つあって、一つは 絵の技量は自分だけを頼って 自分で開拓するものである事と、もう一つは 文化勲章も含めて 『画壇』 は生臭い所だから 『画壇』 へは近寄らない方が良いという事でした。

その事を守って、私は独習で “レアリズム” の絵画を習得してきました。
なぜ、レアリズムの絵画であったかというと、それが一番 お金になるだろうと考えていた事と、絵の優劣・巧拙が 一番判り易いと思っていたからです。
それに加えて、私は 日本で最初の ヨーロッパのレアリズム絵画の体現者になりたいと願っていました。

そういう思いで絵を描き始めて、もう 40年を過ごしてしまいましたが、事柄は そう単純に運ばれないのが常です。
描写するという 容易そうにも思える技術も、自覚的に上手になったと手応えがある事は 滅多には起こらないものです。 しかし、習うより慣れろという事でしょうか、最近になって ようやく 『空気』 という概念が 浮かび上がってきました。 絵の出発当時から 私には 一つ疑問に思っていた事がありました。 それは、何故、ヨーロッパの絵画が世界に広まったのに対して、その他の文化圏の絵画は、何故、世界に広まらなかったのかという事実です。
これには社会学的要因だけではなく 美術的な根拠もあるだろうと想像していましたが、ようやく その問いの答えは、この 『空気』 の表現かなと手応えを感じました。 私以外の画家からは、「そんな事も知らなかったの」 と笑われそうな気もしますし、逆に、「日本では、私が 新しい発見をしたのかもしれない」 とも考えています。

それで、ここ 二年間ぐらいは 『空気』 を、意識的に描く様に 努めてみましたが、明らかに 画像の実在感とか 強さとか 鮮やかさとかが増すのです。 それで、この 『空気説』 は かなり妥当ではないかと判断するに至りました。
それを前提に、レオナルド・ダ・ヴィンチの 「モナリザ」 とか、フェルメールの 「牛乳を注ぐ女」 とかを、よく眺めますと、何故 この二つの絵画がヨーロッパを代表する絵画でありえたのか、よく理解できるのです。 この二枚の絵には、極めて 自覚的に 『空気』 の存在が 表現されているのです。

このように 絵画の中の 『空気』 の表現の重要性に気がついてみますと、現実の人体にとっても 『空気』 は一番切迫した(食べ物?)で、三分間 それが無くなれば死亡する事に気がつきます。 これは、私にとって重大な発見で、脳の神経細胞が 『空気』 に対して 極めて 鋭敏な嗅覚を持っていて当然と 私は考えます。
そこから、結論はこういう事になります。 絵の中に 『空気』 を見て取れれば、視細胞や 脳の神経細胞は、少し、気持ちを緩める事ができるのではないのか、つまり ○○様がおっしゃる “癒し” の状態になれるのではないのか。 と
これは、かなり 説得力のある考え方だと思いませんか。

そして、ここから こういう事も言えるのです。
ゴッホ以来、ピカソを代表とする 20世紀の絵画は、絵の中から、この 『空気』 を少しづつ排斥して、画像を 『意識的』 に創り上げてきました。 そして その 『意識的』 の創り上げた画像に 『芸術的』 という形容詞を与えて、一時、美術館で 「感動」 する事を良しとする、人の脳にとっては 反自然的と思える価値を紡いで来たとも言えるのです。 つまり “反癒し” の絵画です。

以上、述べた様な事が、私が おぼろげながら気付いた時に、私が描く絵の良し悪し巧拙は 別にしても、私はひょっとしたら、日本を背負えたかもしれないと、密かに、自分に向かって 言い聞かせているところです。


361    <四月の催し E> (みどり記) 
更新日時:
2011/05/01
本日 午前十時過ぎに、無事に、絵が 帰ってまいりました。

四国中央市の我が家の地域では、この地方独特の<ヤマジ風>が毎年、吹き荒れるのですが、今年は 特に 春先から 強いヤマジ風に見舞われています。
昨日も、午後から吹き始め、一旦、夜中 三時間位は治まって 雨が降り始めたので (強い南風が治まる時、雨が降る・・・というのが、特色です)・・・これで 今回は治まるかと思いきや・・・また、未明から 猛烈な風が吹き始めて、絵の返却の時に どうなる事かと 心配していました。

松山から、「エルミタージュ道後」 のオーナーさんと、スタッフの方が、絵を運んできて下さった頃は、運良く、ちょうど 風も 少し治まり、まだ、雨が降っていない時でした。

額縁の箱から、絵を出して、元に戻しました。
瑞来さんは、先日、レストランの壁面に飾られた絵を見ていた時には、「自宅で見るより、弱く感じるので、もう一踏ん張り押し込んで、強い絵にしないといけないなぁ〜!」・・・と意欲を燃やしていましたが、「自宅で見ると、こんなに強い額が、レストランの壁面で見た時には、穏やかに見えるから不思議だよなぁ〜!」・・・とも言ってます。

客観的な場所で、自分の絵を見ると、また違った見え方が出来るのは 良いみたいですね。





360    <四月の催し D> (みどり記) 
更新日時:
2011/04/29
松山のフランス料理店 「エルミタージュ道後」 での、四月の一ヶ月間 飾って頂いた絵の展示も、いよいよ終盤、あと一日になりました。

今日は、瑞来さんが、もう一度、会場での絵の展示の雰囲気を確認しておきたいというので、オーナーさんへの御礼方々、お店へ出かけました。
レストランへ到着すると、たまたま、瑞来さんの絵のファンの方々も 食事をしていらっしゃり、早速、お礼の挨拶を済ませました。

今日の料理は、『ガールズコース』 という 新しいコース料理が始まっていて、その特徴は、地元の野菜を ふんだんに使った オシャレな料理です。
また、オーナーさんの ご厚意で、昨夕、このレストランで催された 『ワインと美食の夕べ』 で 供された、ピンクのシャンパンと、赤ワインも 試飲させて頂き、ラッキーでした。

ゆっくりと リッチなランチを楽しんで、最後に、若いシェフさんや スタッフの方々と 記念撮影をしてもらって、“めでたしめでたし” の一日でした。





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