日本の東の果てはどこにあるんだろう。
あるとき僕は地図を開いた。そのとき感じた軽い衝撃。
東経153度59分。しかも、北緯24度17分。
なんという東、なんという南。
南鳥島、またの名をマーカス。
はるか南東の海にポツンと、日本の東の果ては浮かんでいた。
そこへ、行かなければ。
僕はいてもたってもいられず、飛行機のチケットを手にしていた。
衝動的な憧れは、いつだって人を動かす。
「入間−南鳥島」、そう書かれたチケットを握りしめ、
C−130輸送機に乗った僕。
轟音の響く中で機上食(単なる弁当だ。しかも機内食ではない)を食べ、
ただただ広がる海を見る。
4時間近くがたとうとした頃、僕の目に飛び込んできたのは、
小さくて美しい三角形だった。
マーカス。
憧れた場所は、いま、眼下にある。
こんなところに、どうして、こんな島ができたのだろう。
島を囲むリーフは太平洋の波を砕き、かろうじて、
しかし、けなげに堅牢に島を守る。
サンゴに過ぎた何千何万という時間を思い、早くも胸が熱くなった。
マーカスに到着。
どうやって過ごそうかとあれこれ雑念を抱きながら飛行機を降りた僕に、
南風が言った。
ゆっくりしていけば、と。そうだ、僕は、ゆっくりしよう。
まず僕は、まじめに、戦争の傷跡からみることにした。
島の西、笠置崎あたりには、旧日本軍のトーチカや戦車が残されている。
太平洋戦争の終戦時には、この狭い島に4500人もいたという。
ぶらぶらと歩いていたら、真っ白い気球が上がるのを見た。
レーウィン・ゾンデといって、観測装置と送信機がついているらしい。
高層気象観測のために気象庁の職員が揚げているのだという。
どこまでも高くあがってゆくその白い球を見上げていたら、
空の青さがまぶしくて、僕は、ふいに泣きたくなった。
悲しかったんじゃない。
地球という星に起こったいろいろな偶然に、そしてその偶然の果てに
僕がいまこうしてここに立っていることに、なんだかわからないけれど
むしょうに感謝したくなったんだ。
それから僕は、島じゅうを歩きまわった。
海辺には、アジサシのコロニー。
たくさんのアジサシたちが自由に飛び交い、休み、鳴く。
明らかに語り合っているかのようなほほえましい姿もあった。
平和とはこういうことをいうのだろう。
島の北には、置き去りのままの砲台。旧日本軍のものだ。
なんだかとてもあわれな姿なのに、この島の空気はそのあわれを
受けとめ、受け入れ、やさしく包む。
砲台が空しくたたずむ先に、鮫口というところがある。
リーフの切れた部分で、昔、マーカスに人が住んでいた頃、
死者をここから外洋へ弔った。
この島の周囲は深い深い太平洋。鮫口から外洋へ流された遺体は
二度と島へ流れ着くことがなかったという。
鮫口からは、名前通り、リーフの中へ鮫が入ってくるそうだ。
東海岸は、美しい。
砂浜の白、リーフの内側の水色、リーフで砕ける波の白、
外洋の青、雲の白、空の青。
白と青とが濃淡をつけながら織りなす風景は、南の島の幸いだ。
珊瑚でできた白く輝く道を歩き、僕は、日本の東の果てへと歩いた。
急いだりはしなかった。あわてなくても、じきに着くのだ。
ここは、小さな、小さな島だから。
島の南東端、坂本崎に、僕は立った。
そこには、「南鳥島日本最南東端」の石碑がある。
ころんと丸い白い石に、「南鳥島日本最南東端」と刻まれている。
石碑の向こうには、太平洋。
彼方へ続く海の上にぽつんと、この島が存在する不思議。
日本の東の果てに、いま、僕は立った。
ゆっくりしていけば。南風は、また、ささやいた。
そうだ、僕はゆっくりしよう。もっと、もっと、ゆっくりしよう。
南風がやさしいこの島で、
ただただ、ゆっくりすればいいのだ。
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※このページの内容についておことわり
マーカスの風物などに関する描写はすべて事実に基づいていますが、
マーカスに行きたくなって旅をした、というスタイルは
あくまでも虚構です。企画モノとしてちょっと遊んでみました。