講義録

宇宙船地球号の仲間

講師:沖垣 






(講義内容の二次加工については、著作権を放棄しておりませんので、必ずお問い合わせください)

 

1.はじめまして

皆さんこんにちは。
これから来年の2月まで
11回「国際塾」が開かれることになっています。「国際」と名のついたことでは皆さんにお話したいことはもうきりがないほどあって、何百時間あっても足りないくらいなのです。
ですから
11回も講座があっても、皆さんが勉強するのはそのうちのほんのちょっとしかない。でも、そこから皆さんが何かを考え出してくださればいいと思っています。特に話すことが限られていますから、わからないことは途中で質問をしてくださればありがたいと思います。初対面の人ばかりの中で質問をしにくいようでしたら、メモをしておいて個人的にでもいいですから質問をしてください。

「国際」という言葉が付いたもので少し思いついたことを挙げてみます。
僕は岡山に来る前にはアメリカにいましたが、その前には東京の国際基督教大学という大学にいました。英名を“
International Christian University”といいます。キリスト教の精神で数十カ国からの人が集って国際的なことを中心に勉強しているところです。ですから「国際」という名前がついているわけです。

 それから、今日使っているこの部屋は「国際会議場」です。
この部屋の右側に同時通訳をする人が座る場所がありますが、
4ヶ国の通訳ができるようになっています。普通「国際会議」という場合は3カ国以上で使います。2つの国の時には2カ国会議と言って「国際」とは言わないのです。多文化、多人種、たくさんの国の中の3カ国、3種類以上のことを言うと覚えておいてください。

それから、「国際」と名のついたホテルがありますね。この名前はひとつの町に1軒ずつということになっているそうなので、先に名前を付けた方が勝ちということですね。たぶん外国人がたくさん泊まるとか、外国人に泊まってほしいという思いでつけたんだろうと思います。

けれどもぼくはある国際ホテルで問題を見つけました。それはレストランで食事をした時、請求書に「J」、「F」という文字があったんです。「J」、「F」って何でしょうか。JはJapaneseで、FはForeignerです。つまりホテルに来たお客さんを日本人が何人、外国人が何人、今年は去年より外国人が多かったとか少なかったとか比較するために統計を取っているわけです。そこだけ見れば決して悪いことではないのですが、問題は外国人か日本人かということがどこでわかるのでしょうか、ということです。

日系米人の方は皆さん、顔は日本人ですね。しかし顔は日本人でも一言も日本語がわからない人や、顔はどこからみても西欧人なのに、日本で生れ、日本で育った日本国籍の人もいます。ですから、顔だけを見て「この人は日本人」、「この人は外国人」と丸をつけるのはとても失礼なことですね。

こういうことをしているということが、僕らが考えていかなければならない「国際化」なんですね。外見だけで「日本人」、「外国人」と区別することがないようにすることがこれからの私たちの課題です。

それから「国際人」という言葉を聞いたことがありますか? どんな人を国際人と言うのだと思いますか?「国際的な仕事をする人」とか、「国際的に活躍する人」とかを指して言うのでしょうね。僕は正直に言うとこの言葉は余り好きではないのです。「国際人」って何をしているのかわからない、ちょっとかっこいいだけで中身がないと思いませんか? 皆さんはこの塾で勉強をしている内に次第に「国際人」とはこういう人を言うのだとわかってくると思います。政治家の中にもいるだろうし、地方にも、畑仕事をしている人の中にもいるでしょう。日本から一歩も外に出ない国際人もたくさんいますし、世界中を飛び回っていても国際人ではない人もいます。

僕が代表的な国際人と思っている人についてお伝えしたいと思います。

 まずは、「大黒屋光太夫」という人と、もう一人は「中浜万次郎:ジョン万次郎」と呼ばれていた人です。

大黒屋光太夫は250年前の和歌山の人で、和歌山や伊勢(三重県)の特産物を江戸へ運ぶ船の船頭でした。船で和歌山を出て、江戸へ向かう途中、嵐で遭難し漂流してロシアのある島へたどり着いたんですね。その島に4年間いたんですが、それからシベリアへ送られたんです。そこで日本へ帰るにはどうしたらいいかと聞いたら、エカテンブルグで暮らしているエカテリナ女王のところへ行ってお願いしなければいけないと言われたのです。エカテンブルグは、はるかモスクワのまだ西にある遠い町です。

彼は日本へ帰りたい一心でロシア語を勉強して、エカテンブルグへの道を歩いて歩いて夏も冬も歩いて2年間ぐらいかかってやっと辿り着くんです。その間彼はロシア語が上手になり、女王に会って自分がどういう人間で、どういう事情に遭ったか、そして日本に帰りたいということを言います。女王はこの間の彼の労をねぎらい、「日本に帰りなさい」と言ってくれたんですね。そして、すごいことにロシアの政治家や大使といっしょに、たしか
10年後に彼は北海道の根室に着いたのです。

 ところが江戸時代で鎖国をしていましたから根室に着いた時点で、「勝手に外国へ行った」と犯罪人にされたわけです。一生おまえは牢から出すわけにはいかないと、根室で竹の籠に入れられて江戸まで運ばれ、そして牢屋で一生を終えたのです。その間、彼はロシアについて調べたり、ロシア語の勉強をして外国を日本に広めるというとても大きな貢献をしたのです。僕はこういう人を国際人の一人だと思います。かっこいい人でもなんでもない、苦しんでシベリアを歩いて、日本と違う文化を身につけて、一生牢屋にいながらその文化を日本に知らせようとした立派な人ですね。

 もう一人はジョン万次郎。この人は漁師です。今から150年前の人です。万次郎も船が転覆して、アメリカの捕鯨船の船長に助けられ、アメリカに連れていかれたんです。万次郎は漁師ですから、学校へも行っていないし、字も読めない、書けない状態でした。船長はこの子は賢そうなので勉強させようと、小学校1年生から勉強させたんです。彼はすごい勉強をして、数年の間に大学まで行き、大学ではトップになったんです。日本にいたら生涯魚だけ獲っていただろう人が、アメリカの大学で成績がよくて、いい人間だと評価されて、日本へ帰ってきた。帰ってきて、抜群に英語ができるということで通訳になりました。福沢諭吉の通訳になったり、英語の本をたくさん翻訳して東京大学の教授にもなったんです。東大の教授になっても、もくもくと勉強をして、日本語と英語とのバイリンガルの生活を過ごしたんですね。

あなた方との環境の違いを考えてみてください。当時は英語の教科書は全くないんですよ。また、彼は小学校へも行っていないんですよ。その人が勉強しよう、世界の事を知ろう、自分が身に付けたアメリカのことを日本に知らせようということで一生を終えた。そういった人が150年前にいる。それより100年も前に、ロシアのことを知らせようとした人がいる。こういう人を僕は国際人と言いたいと思います。

もう一人は新渡戸稲造という人です。僕の大学の大先輩にあたる人ですが、この人はさっきの2人とは違ってエリートでしてね、明治の最初の頃、小学生の時に家庭教師がついて英語を教えられ、小学校を卒業する時には十分に英語が話せたということです。そして、「われ太平洋の掛け橋とならん」と言ったんです。僕はこの言葉が好きなんです。「私は日本と、アメリカ、カナダの掛け橋になろう」という気概を持っていたんです。彼は高度の国際人だと思います。

 それから私が最近、感心しているのは、在日韓国人の姜尚中(カンサンジュン)と言う人です。この人は九州の炭鉱の本当に貧しい町で育ちました。大学なんかとても行けない状態ですが、苦労して大学を出て、その後ドイツへ行って勉強したんです。そして遠くドイツから日本と韓国の関係を学んだんです。つまり大きな世界を見る眼で日本と韓国の間を見ました。その頃は日本で生れて育っても外国人は指紋を押さなければいけなかったのですが、それを最初に「ノー」と言った人で、刑務所に入れられました。

 僕がアメリカに行って、移民として宣誓した時には指10本全部の指紋をとられました。日本では人差し指だけだそうですが、アメリカは全部でした。僕はそのとき混乱しましたが、それをしないと「明日にはアメリカを出ろ」ということでしたから押しました。指紋押捺をした以上はアメリカでは大切にしてやるぞということなのです。

姜尚中さんは国際基督教大学を経て東京大学の教授になりましたけれど、「在日」の彼が日本に溶け込んできた過程には大変な心の苦労、精神的な苦労があったわけですが、その彼の苦労の中にみごとに国際社会があるわけです。この塾ではそういうようなことを勉強するところですから、この世界では人間がどうやって生きているか、苦労しているか、生きがいを感じて生きているか、ということを勉強していこうと思っています。

私たちは必ずどこかの国に属して生きています。
そして住んでいるところに国籍があります。その国を自分の国と考えますね。私たちは日本人で、日本に住んでいます。何の抵抗もなくそう思っています。そして生れて育っている国が一番いいと思っている人が大部分です。


皆さんは縄張りと言う言葉を知っているかな?
畑を作る時に杭を打って、それに縄を巻く、縄を張ってこっちと向こうを区別する、それを縄張りと言うんですが、これが世界的に大きくなれば国境です。そして、国境の向こうは当然のことながら自分の国ではありません。他の国は他の人のものですから別の人が住んでいると思っていますね。ですから、外人とか、外国人とかいう言葉が出てきますね。そして、外国人という言葉の中に上下や差別意識が出てきて、どうしても自分のところだけは守りたい、よく言えば愛国心ですね。悪く言えばここは絶対人にはやらないぞ、ということがおきてくる。ご承知のようにいまだに戦争があり、各地で紛争が起きています。


そこで数字を出してみました。数字は戦死者数、実際戦争で殺された人の数です。おおよそです。16世紀も17世紀も夫々100年間に実際に戦争で殺された人、戦死者は200万人ぐらいです。この頃は刀や弓矢、刃物で殺されていたわけです。近距離で殺しあっていたから、殺しあっていてもそう数は多くないというわけです。18世紀になるとそれが3倍になって600万人になりました。これは鉄砲とかピストルとかが発達したということとつながりますね。19世紀になると大砲ができてきました。それで、戦争だけで2000万人が死にました。水害とか飢餓での死亡は別です。ところが私たちが生きた20世紀は戦争だけで1億人が死んでいるんです。5倍です。めちゃくちゃですよ。

 君たちは21世紀の人間です。変な言い方ですが、統計学的に見ると、20世紀にはすでに1億人が殺されているわけですから、21世紀も多くの人が殺されるかもしれない100年なのです。何とかそれを減らさなければいけない。21世紀には少なくとも人殺しは減らしたいのです。そんな馬鹿なことはしないということを我々一人ひとりが考えないといけないです。現にイラクでもアフガニスタンでも毎日毎日365日、10人、20人単位で人が死んでいるでしょ。そういう悲しいことが起こっているわけですね。そういうことを平和な国に住住んでいる人ほど考えなければいけない。苦しいところに住んでいる人はそういうことを考えるひまもありません。毎日食べるのがせいいっぱいですから。危険なことがなく、楽しく冷房の中で暮らしている人ほど、そうでないところのことを考えるべきですね。そういうことが今日の話のテーマの一つです。



2.宇宙船地球号を科学する

 宇宙の大きさはもう想像できないほど大きい。
しかもどんどん拡がっていっています。その中に星があるんです。星以外のところは何でしょう、空間かな。実はそこにも物があるらしいのですが、人間を含む生き物が住んでいる星は今のところ地球だけなんです。生き物はバクテリア、かびなども含みますが、そういう生き物が住んでいるのはこの地球だけです。「UFOが火星から飛んできた」と報道されることがありますが、その存在は科学的には証明されていません。生き物がいるのは地球だけなんです。その地球に
65億人が住んでいると言われています。そして、毎年1億人ずつぐらい人口は増えているんです。日本の人口と同じくらいが世界では毎年増えているんです。僕が学生の時に地球の人口は23億人だと言われていました。今は65億人ですから3倍になっているんですね。

昔は、動物は150万種とか言われていましたけれど、今は何千万といるのではないか、また植物は少なくとも1千万種ぐらいはいると言われています。すごい数ですね。ですから地球には何千万という種類の生き物がいるんです。人間はその中のただ1種類でしょう。こういうものを抱えて地球は40億年間ゆっくり動いています。

実際は、この星は24時間でひと回り、365日かけてあのでかい太陽の周りを回っているんです。すごいスピードで回っているんです。それなのにその上で我々は毎日笑ったり泣いたり寝たり起きたりしている。そのことが不思議だと思わないと自然科学は面白くなりませんね。大学受験の勉強にはそういうことが少ないんですね、すぐ計算問題を解いたりするでしょう。たったひとつのすごい星の上に我々は住んでいる。その中で我々は飽きずにけんかをしたり殺しあったりしているんだなということです。



3.科学するということ

 自然界にあるものを研究するのが自然科学です。
自然科学は大きく言って物理と化学と生物です。その一部に医学があります。高校で学ぶ理科は、いつもテストがあるものですから、テストのために勉強をしているようなものですね。大学に入るためにはそれも必要なことですが、自然がこんなに不思議なものなのだというショックを先生が与えてくれないと自然科学は面白くないし、皆さんも「すげえなぁ!」、「マジー?」の連発がないと、やっぱり面白くないですね。

これは他の科目もそうですけれどね。そこに書いてあるように自然科学は「トリビアの泉」か「ヘキサゴン」のようなものです。僕は「ヘキサゴン」の方が好きなんだけれど。「トリビアの泉」も面白いですね。ああいった形でものを学ぶ、いろんな形でものを覚えるというのは面白いことだと思います。


 自然科学を学ぶということは、自然や動物や人間がどのようにしてできたんだろうとか。毎日食べたり飲んだり咳払いしたりするでしょう、おならもするでしょう、この体の中はどうなっているんだろうと思ったり。体温は食べても食べなくてもずーっと36度くらいでしょ、不思議でしょう? 

室温を常に同じ温度に保つというのはとても大変なことです。
たとえばジェット機を例にしますと、今日のような暑い日は飛行場の表面温度は
40度〜50度になりますね。その照り返しがあるから飛行機のキャビンの中は45度ぐらいになるんです。飛行機が飛び立つ時には皆さんに心地よいように28度ぐらいにしてあります。外は50度ぐらいあるのに中は28度。ところが飛行機が飛び出し、外気が−30度に下がっていっても中は28度に保たれています。そうしないと快適な飛行ができないんです。しかし、これは非常に難しい操作が必要です。したがって家の中にある冷房機と、飛行機の中にある冷房機はすごい値段が違う。 

 我々の体はほとんど同じ温度に保たれていて、何かの理由で体が熱くなると汗が出る。寒くなると体を縮こませて体温を逃がさないようにするしかけができているわけね。これは習ったことでもなんでもないでしょ。みんな自分で覚えている。動物も植物も一緒です。どうやってそんなことが我々の体にはできているんだろうと、そんなことを考えるのが科学です。

ウスバカゲロウという小さな昆虫がいますが、このウスバカゲロウは土の中に卵で何年もいるのですが、やがて這い上がって卵を産みます。一番命の短いウスバカゲロウはヨーロッパにいて、17年間地中にいて出てきて5時間しか生きていないんです。5時間たったら死ぬんです。17年間頑張って、どういう風に決められるのでしょう。ある日突然外に出てきて、5時間後に彼の人生は終わるんです。これも生きるということですね。或いは死ぬと言うことですね。すごい不思議でしょう? なんでそんなことが起こるのか、これを何万年もくり返しているんです。

そういうことをコントロールしているのは神様しかないのかと思いますね。そう思えるくらい不思議なことがいっぱいあるということを学ぶのが自然科学です。人間も含めて考えるのが自然科学です。僕は自然科学者として半分はそっちのほうから国際問題や人間のことを考えることにしています。



4.科学で何がどこまでわかるのか

物理と化学と生物を学ぶというと、一般的には面白くない、難しい、つまんないといわれますね。確かに難しい面もあります。僕は虹の不思議さがわかったら物理学の半分がわかると思っています。虹は物理現象、光の現象でしょ。それはすごく簡単なことで、太陽の光が入るところに三角プリズムを置きますとね、光が七色にわかれるのです。赤から紫まで、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫というのですが、この七色は実は虹と一緒なんですね。これが物理学的な現象。

 さて、そこで虹です。朝6時ぐらいに虹を見たことがある人? 夕方の日の沈む頃見たことのある人? 真上に太陽があるときに虹を見たことがある人? これもないんです。一番よく虹が見えるのは10時から11時ぐらいの間。夕方は3時とか4時に一番虹が見えるんです。これはプリズムなんですよ。太陽がこちらからきて、雨上がりの水玉全部がプリズムになっているわけ。全部がプリズムになっていて、空気中の水玉がきれいに並んでいるから光が一つずつこういう風に写るんですよ。簡単なことです。これは数字も何も要らない物理学です。

 だから太陽が真上にあるときは、下に虹なんて出ないでしょう。それからちょうどこういう2時から3時に山頂から海を見ると丸い虹が見えることがあります。そういう時は虹の直径は2mぐらいしかありません。こういうことがわかることがまず、すごいでしょう。これがわかればまず物理学は半分卒業します。ノーベル賞をもらいたい人はもう少し勉強しなければいけませんが…。() 簡単なことなんです。

 次は化学です。これはもっと簡単。ろうそくがあります。これをマイナス50度の冷凍庫の中に入れますとかっちんかっちんになります。それを部屋に置いておくと部屋の温度と同じぐらいになってきて、手で触ると少しやわらかくなっているかな。プラスの50度になるとくにゃっとなります。60度になったらべとべとになります。そのころに火をつけたら燃えます。燃えてなくなります。つまり、かたい固体と、とろとろになった液体と、溶けてしまって気体になるでしょ。同じ物がカチンカチンから溶けて空へ行ってなくなる。この現象がわかれば、化学は卒業。これらが楽しんで理解できたら、この次のことも面白くなりますよ。

次は生物です。生物は生きていますね。これまでの物理や化学とはぜんぜん違います。「生きている」ということは「死んでいない」ということ。

アメリカの高校では「死んでしまったということは何かな」とよく質問されます。逆に、それまで生きていたわけだから「生きていた」ということは何かと考えなければいけないわけでしょう。

そういうことで「生きている」とは何か、他と比べて。例えば動物と植物はどこが違うかというと、「動物は動きます」、「植物は動かない」なんて言うでしょ。そんなことはないんですよ、動物だって動かないものもいる。そういうことではなく、動物植物含めて、「生きている」ということは何だろう、生きていないものとどこが違うんだろうと考えるんです。

これもすごく簡単。生き物は必ず「袋の中」に入っているんです。1匹とか、1人とか、1個とか言いますが、別々の袋に入っているんです。1匹の昆虫は1匹の昆虫の袋に入っています。つまり外側があるということです。そして、中のものが出たり入ったりするということです。酸素を吸って炭酸ガスを出すとか、食べ物を食べてウンチをするとか、水を飲んでおしっこをするとか、しょっちゅう物の出し入れをしています。ひとつの袋の中で物を出し入れをする。もうひとつはDNAという遺伝子を持っていて同じ子孫を残す。この3つです。袋に入っていて、物の出し入れをして、子孫を残す。これが生きているということです。

で、袋が破けてしまったら、中身が飛び出てしまってダメでしょ。死んだら物の出入りはしません。死んだ途端に物の出入りは止まります。子どももできません。だからね、生きているということは生物学的にはこれしかないのです。少なくとも僕はそう考えています。

そういう生物が地球上にたくさんいるのですが、不思議なことに40億年の間、酸素の量とか温度とか水の量とかほとんど変わらないのね。こんな不思議なこともないですね。

今、30度だったら「ああ涼しい」と言う。35度だったら「熱中症に気をつけて」と言う。5度しか温度が違わないのに大騒ぎをする。もし、温度が50度になったらほんとにたくさんの人が死にますね。だけどこの何億年間、温度も湿度も酸素の量もあまり変わらず、我々は生かしてもらっている。これは不思議だよ。これもまた神様がやってくれているんではないかなと思えるほど不思議なことですね。そのことも宇宙の星の中では非常に珍しいことで、地球以外にはないと思われます。



 

5.宇宙船地球号の周りに何があるか

 自然科学の最後のところでは宇宙の話しをしましょう。

まず宇宙と言うと、宇宙飛行士が飛んでいるところですね。飛行士が飛んで帰ってくるところ。でもそれは本当の宇宙からいうとけちなものでして、お隣のスーパーに行く距離のようなものです。宇宙はもっともっとでかいのです。我々の知っている宇宙では、地球が太陽を回っていますね。土星や金星も回っているでしょう。これを太陽系といいます。これを私たちは宇宙と言っているんですが、これは全宇宙の何億分の1よりもっと少ないのです。

 こういうものがたくさん集って銀河というものがあります。
我々は天の川銀河系というところにいるのですが、英語では
Milky Wayと言います。このMilky Wayの中に星は2000億ぐらいあるんです。一つの銀河に2000億くらいの星があるのです。これまで宇宙はこれだけだと思っていたのです。この天の川の中に、アンドロメダという星があるのですが、この星だけが他の星とちがうというころを見つけた人がいるんです。実はこれは遥か遠くにある別の銀河だということがわかったのです。2000億の星の集団と同じような集団が別にあるということがわかったのです。推定ですけれど2000億くらいの銀河があって、それぞれの銀河の中に2000億くらいの星があるんだそうです。こういうのを天文学的数字と言うんです。めちゃめちゃ大きい数の星があって、その中で最初に言ったように生き物が住んでいる星は、今のところ地球、この星しかない。不思議ですね。

ハッブルさんという人がこういうことを見つけたんです。
この人は面白い人でね、世界最大の天体学者で、宇宙望遠鏡にハッブル望遠鏡というのがありまして、彼の名前がついています。彼はもともと陸上競技の選手でそれ以外のことは何にも知らなかった人なんですが、「君は非常に優秀だから大学で法律学を勉強したらどうか」と言われ、彼は大学で法律学を学び、弁護士になったんです。弁護士をしていたら、まわりからまた、「おまえは弁護士にはもったいない、もっと別なことを勉強したらどうか」と言われて天体学者になったんです。

私が言いたいのは、彼がすごい優秀な人だということではなくて、こういう人生を送った人がいる社会があると言いたいわけです。最初は陸上競技の選手、その次はアメリカ有数の弁護士で、気が付いたら天文学者になっていた。こういう事を許す社会がある、そういうことをやってくれる大学があるということですね。僕はアメリカの大学にずっといましたから、そのような人を何人か知っています。


 もう一人はガモフさんという人です。宇宙はもともと何もないところにバンとできたんです。これをビッグバン(Big bang)というのですけれど、これを最初に言い出したのはガモフという小説家なんです。宇宙のことを書いたSFの小説家です。何万という科学者が世界にいるのにこの宇宙の不思議な始まりを考えたのは小説家なんです。こういうのは面白いですね。科学者だけが科学の先端を走っているわけではないんです。小説家が言い出したことが本当だったわけですね。いろいろなことを勉強したらいいということの一つの例です。

 

さっき生きているということはどういうことかと話した時に、1人とか1匹とか体の話をしましたね。体を作っている細胞もひとつずつ生きているわけです。細胞をとってきて試験管で育てるとどんどん増えるんです。この写真、人の肝臓の細胞を取って体外に持ってきて試験管の中で育てた写真です。小指の第一間接ぐらいの大きさで約100億の細胞があります。人間の体の細胞は60兆もあるんです。これは僕が撮った顕微鏡写真でして、大英百科事典に載っております。生きた肝臓の細胞が試験管の中で増えている。これも11個物が出入りしている。細胞も死にます。一部の細胞が死んでも体は死にません。細胞の死と体の死の関係はとても複雑です。

 

テキストに「私のいいたいことキミたちに考えてほしいこと」というところがありますね。2Pの一番下。

地球以外に生物が住んでいる星があるかないかという研究は今、すごく熱心にされています。そのことはすごく面白い研究だと思います。しかしその前に、我々の住んでいる地球上で人を殺したり、生き物を殺したりしているわけです。周りのものを殺しながら他の星の生き物の研究をするというのが人間なんですね。これが自然科学なんですが、こういうことを考えた時に、皆さんはどう思うかを聞いてみたいんです。他の星の研究も大切だと思いますが…皆さんの考えを聞いてみよう。

 どうですか? 我々はまず、何を大切にしたらいいだろうか。国際社会などという話をするときに、こんなに戦争で人が死んだりしていることを放っておいて、他の星の研究をすることに意味があるかどうか、誰か意見はありませんか?

 

[高校生]両方やればいいと思う。

自然科学だけではないですけれど何か人間がすることは、いいことと悪いことをいっしょにしていますよね。例えば今、宇宙開発のテーマのひとつとして、月まで飛べるようになったでしょ。月に核燃料の廃棄物を持って行こうというのが今、一番の問題なんです。こんなに原子力発電をして核燃料の廃棄物を置く場所がない。だからロケットに積んで、月へ持っていって置いたら誰の迷惑にもならないと考えているんです。でも、これはどこかおかしい。

でもこれから1000年ぐらいたったら石油もない、石炭もない、原子力しかないということになる。だから人間が生き延びるための研究をしているんだということになれば、それもそうかなと思ったりもしますね。

結局そこから後は良識の問題、心の持ち方の問題になるんですよね。科学の研究も社会の問題も、心の持ち方でどれだけ変わるかということです。原爆もそうでしょ。最初に発明した人は、こんな巨大なエネルギーをつくれることになったと思った。ところがドイツが先にこれを作っては困るので、我々が先に作ろうとアメリカが作った。そしてドイツにぶつけなくて、日本にぶつけちゃったということですよね。科学の進歩はいつも良心と抱き合わせでいかないといけないというようなことを、実は科学者はあまり勉強しないんです。

その理由の一つは、実験室の中ですることは何でも面白い。のめりこんでやってしまう。それで出てきた結果はまずいことがいっぱいあるんです。そのあたりは日本の科学者、アメリカの科学者、中国の科学者も、それぞれにものの考え方が違うのね。そういうことも科学者が議論しないといけないと思いますね。

[大学院生] 宇宙の中の地球という視点が生れてよかった。 自分は留学生から「日本人らしくない」と言われる。留学生の中に「日本人とは」といった既成概念があるのかと思った。

僕が数字を入れながら宇宙の話をしたのは、宇宙について勉強したのではなくて、例えば、3日か4日か中国を旅行してくると、「中国はねぇ」とか「中国人はねぇ」という人がいるんです。13億人とか14億人という人間のいる国を2日か3日行って、「中国はね」などと言えるわけがないでしょ。だけど人間というのはそう思ってしまう。ステレオタイプという言葉がありますが、「日本人はね」とよく言われる。個人的にはそうでなくても、全体としてみれば「日本人というのはこういう人たちなんだ」と見られていることがありますね。

[沖垣] 「中国人」だといわれたらどう思いますか?」 

[塾生] 「中国人に見えるのかなぁ」と思う。」

[沖垣] 「アフリカ人でしょ」と言われたら?」

[塾生] 「なんで?」と思う。」

[沖垣]そうでしょう。
その時、自分の国とそうでない国と間違えられた時、「なんで?」と思います。でも相手はわからないからそう聞いたのです。そのとき、国には上下があって、自分は上の方の国の人間だと思っている人は、自分が下の方の国と思っているのと間違えられたら「このやろう、失礼な」と思うんですよ。ほとんどの人がそう思います。

そのこと自体が悪いことではないんですが、必ずそこに国の強さとか、色の黒さとか白さが関わるわけですね。僕は働いている人が
2000人いるカナダの大きな病院にいたんですけれど、その中で日本人は僕だけだったんです。中国人はいましたけれどね。だから僕は中国人に間違えられたのかもしれない。

病院のトイレに行って鏡を見ると、そこにいるのは間違いなく僕なのだけれど、そこには日本人だという証拠はどこにもないの。鏡に映っている僕は、日本人ではなくて東洋人なの。フィリピンにもベトナムにも僕に似た人はいっぱいいますしね。どこの国に似ていてもいいやと思うようになるのに、5年ぐらいはかかったような気がしますね。

 どうしてこうなるかと言うと、それは心の中に国境があるからです。「私は常に日本人だ」という。これがいいとか悪いとかではなく、現実に、「私は日本人だ」と思っている以上は「日本人ではないでしょう」と言われた時には「えっ」と思いますよね。国際社会に行くと毎日毎日それの繰り返しです。

僕がカナダの大学で教えていた時には、僕の所属の教室には40人の学生がいました。アフリカの人もヨーロッパの人もベトナムの人もいました。14カ国の人がいました。公用語はフランス語と英語なんですが、夜パーティで酔うとみんな自分の国の言葉でしゃべるんです。お互い全然わからないの。全然別の言葉でワイワイワイワイしゃべりだすから何のことかわからない。で、僕は日本語で「うるさーい!」と言うの。そうすると皆は先生が言っているんだから静かにしようということになる。フランス語で言っても僕のフランス語では迫力がない。日本語で言うとみんなニコニコとして黙る。面白いでしょう? 常に国際社会は、人間いろいろ、顔色もいろいろの人がごちゃごちゃ集っているところだと思います。

今日はこれで終わりましょう。どうもありがとう。