神は、実に、
そのひとり子をお与えになったほどに、
世を愛された。
(イエス『ヨハネ3章16節』)

わたしがあなたがたを愛したように、
あなたがたも互いに
愛し合うこと、
これがわたしの戒めです。
(イエス『ヨハネ15章12節』)
あたかも、母が
己が独り子を命を賭けて護るように、
そのように一切の
生きとし生けるものどもに対しても、
無量の慈しみの心を起こすべし。
(釈尊『スッタニパータ』)

仏教と現代


 12月もこの時期になると、一気に街にあふれるグッズと歌が、否応なしに気分をクリスマスに盛り上げようとします。

 例外にもれず、私も「今年のイブは教会にでも行こうかな」などという「ミーハークリスチャン」(知人の命名。うまい!)に早変わり。そんな日本人の姿を、他国の人たちはつくづく不思議に思うでしょうね。

 日本では「正月・盆→仏教・神道」「クリスマス→キリスト教」というように、時期や用途で使用する宗教を分けている人が多いでしょう。私は「ミーハー信仰者」を批判するつもりはありません。むしろ複数の宗教を楽しむことは、宗教の違いに対して寛容ということですから、よいことだと思っています。しかしそれを自覚的にやっているかどうかは、大きな違いだと思うのです。

 現代の宗教は(仏教行事も含めて)あまりに商業主義に流されすぎていて、私たちは消費するだけの楽しみ方しか知りません。そんな受け身ではなく、能動的に宗教にかかわっていくことが、宗教をもっと楽しむことにつながります。

 そこで私は提案したいんですが、クリスマスに合わせて何かイベントを企画している人は、ぜひ聖書を読んでみてはいかがでしょうか。そうすればクリスマスの意味も分かり、家族や恋人にちょっとした「いい話」もできて、ミーハークリスチャンとしてレベルアップ間違いなし。きっとクリスマスを百倍楽しむことにつながるはずです。

 そしてぜひ、ミーハー信仰者として、宗教の壁を乗り越えましょう。

 イラクでは戦乱が続いています。宗教の名を借りた戦争は、収まる気配はありません。しかしキリスト教も仏教も、あるいは世界のいろいろな宗教の本質は「慈悲」(=キリスト教では「愛」)です。対立しているかに見えるのは、政治や経済に宗教が従属しているからです。宗教の壁を乗り越えるためにも、私はぜひ、釈尊の言葉とイエスの言葉を、読み並べていただければと思うのです。

 来年こそはいい年に、なんて、毎年思いますよね。それでは、よいお年を…。

  2003年12月21日 坂田 光永


バックナンバー
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○ 2003年10月21日「ありがたや … (同行二人御詠歌)」
○ 2003年9月21日「観自在菩薩 深い般若波羅蜜多を行ずるの時 … 」
○ 2003年8月21日「それ仏法 遙かにあらず … 」



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