法話集
リンゴの気持ち
高野山本山布教師 坂田 義章
(一)
人の世の業(ごう)の身に沁む風花(かざはな)に濡れ濡れて咲くこの木瓜(ぼけ)の緋(ひ)は
毎朝の食事を終えるとデザートに林檎を食べるのが習慣になっている昨今です。その林檎を食べながら、十数年前の事を想い出しました。長野県の巡回布教先でリンゴ園を拝見させていただいた想い出です。見事なリンゴ園でしたが、紙袋をかけているもの、かけていないものがありました。リンゴ、梨、ブドウ等は虫の害から守るために袋をかけるのが常識のように思っておりましたのでその理由を尋ねますと、園の主人は次のように言われました。
「できれば全部に袋なんかはかけたくないのですが…」
「袋をかけなかったら虫の害を受けるでしょう」と言いますと、
「紙袋は虫の害からリンゴを守るためでしたが、今は農薬が発達していますから袋をかけなくても虫はつきません。それどころか、袋をかけないほうがよいのです。農薬が雨に流され、日光に消毒されてよいのです」と。
「では、なぜ今でも紙袋をかけられるのですか」と尋ねます。すると、
「袋をかけたほうがリンゴの膚(はだ)が外見的に美しくなり、しかも、形もよく、店に並べた時にそのほうがよく売れるのです。しかし、味のほうは紙袋をかけていないほうです。膚の色はきたなく、ざらざらしていて、形も美しいとは言えないのですが、消費者向けに袋をかけているのです」という答えが返って参りました。
私達は外見上の美しさのために高いリンゴを買っていることになります。
考えてみますと、質よりも外見を優先させているのです。リンゴだけのことではありません。先ずは、「リンゴの気持ち」をよく理解したいものであります。
(二)
リンゴの気持ちはなかなか理解し得ないのでありますが、人の心の中はどうでしょうか。
「発心集」の中に次のような話があります。
唐の国に帝がおられました。夜もかなり更けて燈を壁の向うにやり、寝所に入って横になられた時に、火の影にゆらめくものがありました。不審に思って寝入ったように見せかけて、ご覧になると盗人らしいのです。あちこち歩いて、宝物(ほうもつ)や衣(ころも)などを取って大きな袋に入れていました。息を凝(こ)らしていらっしゃると、この盗人は、帝の傍らに、薬を調合しようとして、灰をおいておかれてあったのを見つけ、ためらうことなくつかみ食いました。不思議なことをするものだとご覧になっていらっしゃると、しばらくして、考え込み、袋につめこんだものを取り出して、皆もとのように置いて出て行こうとしました。その時、帝はとんと納得がいかないことだと思われて、『お前は何者か 人のものを取りながら、またどういう気持ちで返して置くのか』とおっしゃった。盗人が答えて言うには、『私は某大臣の子であります。幼い時 父に死なれましてから、世を渡る手段もなく 命をつなぐ方法もありませんので盗みをしようと思いつきました。しかし、一般の人のものは、自分が取ってしまったら、その人の嘆きはきっと深く、首尾よく盗み出しましても、自分の気持ちもすっきりしないだろうと思い、恐れ多いことながらこのように参りまして、まず食べれるものが欲しかったので、灰が置かれてありましたものを 食べ物と思って食べてしまいました。もの欲しさがなくなってから、はじめてそれが灰であったことがわかりました。いざとなればこのようなものまで食べられる。盗みをしようなど、けしからぬ考えを発(おこ)してしまったなあと、悔(くや)しく思いまして…』と答えました。
帝は涙を流され、『お前は盗人ではあるが賢者である。心の底に汚れがない。私は王位にはあっても愚者といわなければならぬ。うっかりして忠臣の跡を忘れていた。早く帰っておれ。明日呼び出して、父大臣の跡を継がせよう』とおっしゃった。
その後、望み通り帝にお仕えし、父の跡目を継いだということであります。
すべて人の心の中は、よそからは簡単にはわからないものであります。
荘子秋水篇(そうじしゅうすいへん)に、
恵子(けいし)曰(いわ)く、「子(し)は魚(うお)にあらず。いづくんぞ魚の楽しみを知らん」とあります。
南無大師遍照金剛
合掌
このうたは、奈良県五条市の転法輪寺発行の『転法輪』に掲載される予定です。
《過去掲載分》
○ 2004年2月21日「ふうせんかづら」
○ 2004年1月21日「心の師」
○ 2003年10月21日「百日紅の花」
○ 2003年8月21日「露団団」