法話集

仏法遙かにあらず

高野山本山布教師 坂田 義章

  (一)

  言葉なき命の歌が聞こえくる青い花の穂エノコログサの揺れ

 立秋が過ぎましたが猛暑の日が続いています。サルスベリが、枝先にびっしりついた堅いつぼみを一気にふりほどいて咲いています。今年は百日紅(さるすべり)の咲き具合がいいのでしょうか、近所の園に十本ほどの百日紅があって、後から後から、もこもこと花を咲かせています。くれない、薄紅、白と三種類の花が重なり合って咲いているのを見ますと、巨大な氷いちごが並んでいるように見えます。極暑に色を添えてくれているだけでもありがたいと思わなくては………

 跡地ではエノコログサの一群が、青い花の穂を風になびかせています。風が光って、ここには秋が何の予告もなく、無造作にやってきています。サンゴジュの実のきらめきにも鋭いものが加わっております。


光明院檀信徒の藤井和子さんが立山にて撮影されました。  (二)

 私達はとかく自分の事を棚に上げて、人の事をあげつらいがちであります。

 昔、二匹の蛙が天王山の麓でたまたま出会いました。それぞれが自分の住んでいる町を自慢しあい、片方が「俺の町は国中で一番大きく美しい」と誇り高く言いますと、もう一方は「俺の町こそ一番である」と自分の町を自負し、相手の町をこきおろしました。

 らちがあかないのでそれでは天王山頂に登って、どちらの町が、立派か見比べて決着をつけようと蛙達は一気にかけ登りました。小さな二本足で立ち上がり、それぞれの相手の町を眺めて「それ見ろ、お前の町は小さくてきたないではないか」と言い合ったのです。

 おわかりでしょうか。落ちを申しますと、蛙の目は頭の後についておりますので、実際に蛙達が眺めたのは相手の町ではなく、自分の町だったのです。

 この小話には笑ってすまされないものがあります。


  (三)

 わが真言宗では、口の働きを「口密」と呼んでおります。口密というのは仏さまの言葉を語ることであります。仏さまの言葉を真言というのであります。

 真言は仏さまのお名前であり、誓い、願いの言葉であります。御詠歌に言うところの「仏の誓いただ頼むなり」であります。過去・現在・未来の三世三千の諸仏とその名は多いのですが、その誓願は一つに帰します。

 「万人の救われんことを、全人が仏にならんことを」であります。そしてこの誓願の象徴が合掌であります。

 千手千眼の観音様は数あるおん手を持っておられます。その数あるおん手の中で中央の両手は合掌されておられます。“早く仏になれよ、めざめておくれよ”とのお頼みです。みほとけ、が手を合わして拝まれる尊い仏の心を、だれ一人の例外なく万人がそれぞれに自分の心中に有しているのです。このこころがほとけのいのち(仏心(ぶっしん))です。仏さまの合掌に応えて、自己が合掌するのは、そのまま自分に合掌するのであります。

 すると、自分がほんとうの自分になるのです。存在しながら自覚できなかった仏心がよみがえってくるのであります。それと同時に他の人も人間の本心(仏心)にめざめさせようという願いがわいて参ります。

  願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道

合掌


 この文章は、奈良県五条市の転法輪寺発行の『転法輪』(2004年8月28日発行)に掲載されました。

《過去掲載分》
○ 2004年3月21日「リンゴの気持ち」
○ 2004年2月21日「ふうせんかづら」
○ 2004年1月21日「心の師」
○ 2003年10月21日「百日紅の花」
○ 2003年8月21日「露団団」




高野山真言宗 遍照山 光明院ホームページへ