仏教と現代

文殊の利剣は諸戯(しょけ)を絶つ
(空海『般若心経秘鍵』)

――文殊菩薩は手に利剣を持ちて もろもろの戯言(たわごと)を断ちきる姿をなし――
(栂尾祥雲『現代語の十巻章と解説』)

 6月21日は1年で最も日の長い「夏至」ということで、エネルギーに関するイベントが様々に行われました。

 その最も興味深いのが「1000000人のキャンドルナイト」でした。夏至の日、6月19、20、21日に、夜8時から10時の2時間のあいだ、みんなでいっせいに電気をけしましょう、というイベントです(詳しくはこちら)。かわりにろうそくなどを灯してみましょう、というものです。

 今年も私は参加しそびれてしまいましたが、私が外の用事から帰ってきたら、私の母親が電気を消してろうそくを灯していました。確かに暗いし、本を読むのも難しいのですが、ゆらゆら揺れる明かりから意外な温かみを感じるものです。
藤井和子さんによる神宮寺のあじさいです。
 ヨーロッパに行ったことのある人はご存知だと思いますが、あちらの夜は日本より暗いんです。部屋の明かりがオレンジ色で、ずいぶん暗いな、という印象です。逆に日本の夜が明るすぎるのかもしれません。そうやって一所懸命、夜を昼と同じにしようとしてきた結果がもたらしたのが、前夏の電力危機でしょう。

 前夏の電力危機の直接の原因は、原子力発電所(原発)が運転を見合わせたことにあります。日本にはたくさんの原発があります。日本の電力は3割が原子力に依存しています。いまや世界で唯一、基幹エネルギー源として原子力を考えているのが、この日本です。

 しかし高速増殖炉の事故、プルサーマルの失敗、動燃の事故と隠蔽、19兆円以上とも言われる再処理コストなどを考えると、原発の将来は前途多難です。ましてや予定地を探すのも大変で、反対する住民を納得させるために莫大な公共事業費を投じなければいけません。同じ投資額なら、太陽光やバイオマスなどの自然エネルギーに振り向けたほうが、投資回収率がよいと思われます。それなのになぜ原発にこだわるのか。それは「利権」が絡んでいるからです。

 そんな利権の巣窟である原発に、なぜか「もんじゅ」だ「ふげん」だという菩薩の名が冠されていることに、私はとても不快な思いがします。

 「もんじゅ」も「ふげん」もご存知の通り仏様の名前です。お釈迦様の脇仏であり、智慧をつかさどる文殊菩薩、修行をつかさどる普賢菩薩のことです。特に文殊菩薩は、釈尊の智の象徴として様々な経典に登場します。

 「文殊の利剣は諸戯を絶つ」

 弘法大師空海は、その著書『般若心経秘鍵』で冒頭の冒頭から言い放っています。文殊菩薩が手に持っている利剣(鋭い剣。研ぎ澄まされた智慧の象徴)は、あらゆる戯言(ざれごと)を断ちきるというのです。「無辺の生死、いかんがよく断つ。ただ禅那と正思惟のみ有ってす」(はてしない生死の迷いをいかに断ちきることができようか、それは文殊菩薩の思惟をもってするほかない)と続きます。

 エネルギー問題は確かに難しい。原子力がなくなればエネルギー危機が起こるじゃないか、という反論は確かにその通りです。しかしよく思い出してください。昨年の今頃、原発が稼動せずとも、省エネの努力などで夏を乗り切れたんです。また代替エネルギーなどの開発による脱原発も模索されています。すでに環境専門家の間では、「原発を使うかどうか」ではなく、「原発をどう終わらせるか」が話題の中心だと聞きます。焦らず、開き直らず、「智慧」を集めるのです。「三人寄れば文殊の智慧」なのですから。

 いっそ「文殊の利剣」で「もんじゅ利権」を断ちきってもらえたらよいのですが…。

2004年6月23日 坂田光永


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