中国に西洋の筆記用具がもたらされたのは、阿片戦争のころ、1840年位といわれています。
当時、清朝は南京条約に調印し、5つの港を開港し海外貿易の窓口としました。

その後まもなく、中華民国が誕生すると、上海は商工業都市として脚光を浴びます。イギリス・アメリカ・フランスが、競うように中国へ進出し、それぞれの国が自治エリアを確保いたします。
そのエリアには、それぞれの国の生活スタイルが持ちこまれ、それに伴い人・文物も大量に流入しました。

その中には、もちろん、欧米で新しく発明された最新式の万年筆もありました。これが、中国の最初の西洋式万年筆との出会いであったと思います。

しかし、当時それらは、庶民の手の届くような物ではありませんでした。実際万年筆が庶民の手にも届くようになるのは、中国資本の工業が興る第一次世界大戦以降となります。
その間も中国では、外資のパーカーなどの万年筆工場ができ、大戦以降の中国万年筆生産の基礎を築いたと言えます。

その後、1949年毛沢東による人民開放から50年。着実に中国万年筆は、模倣品の大量生産や、簡易ペンの生産を行いながら、それらとは全く別の独自の高級万年筆も作り続けていました。

 日本では、中国製筆記用具といえば、どうしても、安価だが作りの粗悪なもののイメージが強いかもしれません、60年当時日本に大量に持ちこまれ中国万年筆ブームを巻き起こしました、それは、当時、ヒットした英雄329万年筆などの影響も大きいのかもしれません。引出しの中に、インクの固まって字の書けなくなったパーカーそっくりの万年筆を思い出される方も多いのではないでしょうか?
(今でも、329は中国の田舎の文具店で見かけます。今見ますと、渋い色合いが、新鮮でカッコ良く感じます・・)

現在もそうですが、中国製品の魅力の一つは安価なことにあります。当時大量に日本に入ってきた万年筆は、確かに中国では少し高価な筆記用具ではありましたが、中国万年筆の中でも汎用の筆記用具に属するものでした。安いから売れるとの、認識が強い中国製品です。販売者が売りやすい・・売れると思ったのは、やはり、日本で安いと強く感じてもらえる価格帯の手ごろなもののみだったと思います。

中国製でも良いものは高いのです。中国製で日本製やアメリカ・ヨーロッパ製より、すこし安い程度の価格でしか販売できない、手のかかった良い製品は残念ながら日本へは紹介されませんでした。
  現在でも、良い中国万年筆が多く存在するにもかかわらず、日本へなかなか紹介されない理由の一つは、ステータス性も万年筆選びの重要な要因であるため、安かろう悪かろう・・・どうせ、ヨーロッパやアメリカ製品のコピーであろう・・と、悪いイメージのついてしまった中国万年筆は、どんなに良いものでも販売の難しさがあるため、なかなか、日本へは紹介されません。

 現在でも、素晴らしい物があるのに、とても残念だと思います。
しかし、最近、どんどん変わっていく、中国に帰るたびに感じますが、近い将来間違い無く、中国製高級万年筆は世界のブランド万年筆の一つとして認識される日が来ると思います。
かつて、日本の製品が認知されていなかったころから、現在の世界の先端ブランドに育っていった、高度成長期のとき以上の熱さを感じるのは、私だけではないと思います。

中国で育った万年筆が上海や香港から巣立ち、ヨーロッパ・アメリカへ故郷を経由し、遠回りして日本で再認識される日がきっと来ると思います。