仏教と現代

藤井和子さん撮影による、32番札所観音正寺の境内の写真です。「石を積み上げた所は一つ一つの石に顔があるよう」とのこと。本当にそうですね 私と小鳥と鈴と

 私が両手をひろげても、
 お空はちっとも飛べないが、
 飛べる小鳥は私のやうに、
 地面(じべた)を速くは走れない。

 私がからだをゆすっても、
 きれいな音は出ないけど、
 あの鳴る鈴は私のやうに、
 たくさんな唄は知らないよ。

 鈴と、小鳥と、それから私、
 みんなちがって、みんないい。

    金子みすヾ

 先日、高野山福山別院で行われた研修会で、金子みすヾの詩に曲をつけて全国で公演をされているミュージシャンの方の演奏を聞きました。「もりいさむ」さんという方でした。

 私は金子みすヾをほとんど知りませんでした。しかし「みんなちがって、みんないい」というフレーズは、ずっと昔から知っていたような気がします。私はこの日、「これも金子みすヾなんだ〜」という新鮮な気持ちになりました。

 金子みすヾはとても感性の柔らかい方だという印象を受けます。人間であるはずの金子さんが、あるときは雪に、あるときは鳥になりきって詩をよんでいます。感性の「殻」をいとも簡単に破いて、目の前に広がる自然とシンクロします。しかし感性の「核」に当たる部分は非常に強く、そこからおびただしいほどの共感の感情があふれています。

 たくさんの詩の中で、金子みすヾの特徴を最もよく表していると思えたのが、「私と小鳥と鈴と」でした。

 真言宗のお寺には、よく曼荼羅(マンダラ)が飾ってありますね。曼荼羅は、いくつもの仏がそれぞれの個性を存分に発揮し、それがおのずから宇宙に統合されている状態を表しています。如来・菩薩だけでなく、神様、鬼などもいます。それらはあくまで私たちのいる「この宇宙」の象徴ですから、私もあなたも小鳥も鈴も、いってみれば曼荼羅の世界の一員なのです。

 もし、私も小鳥も鈴も、同じだったとしたら。そんな世界は世界として成り立たないし、第一とてもつまらないですよね。「みんなちがう」からこそ「みんないい」のですよね。

 そして、私は飛べなくてもいい、鳥が飛んでくれる。私は体をゆすって音がならなくてもいい、鈴が鳴らしてくれるんです。私は、私のままで、そのままでいいんだと、金子みすヾは教えてくれます。それはそのまま、曼荼羅の教えでもあります。

 「自分は学校の勉強ができないから」「足が遅いから」「男らしくないから」…そんなような悩みは誰しもあるでしょう。そのとき「みんなちがって、みんないい」という言葉が、私たちの重たい気持ちを、少し軽くしてくれますね。

 最後に「さびしいとき」という詩をお届けしましょう。あなたの大切な人がさびしいときに、あなたがさびしくなれるなら、あなたはその瞬間、詩の最後の「仏さま」とおんなじかもしれませんね。

 さびしいとき

  私がさびしいときに、
  よその人は知らないの。

  私がさびしいときに、
  おともだちは笑うの。

  私がさびしいときに、
  お母さんはやさしいの。

  私がさびしいときに、
  仏さまはさびしいの

2004年7月21日 坂田光永


《バックナンバー》
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○ 2004年4月21日「抱いたはずが突き飛ばして…」(ミスターチルドレン『掌』)
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○ 2003年11月21日「…蒼生の福を増せ」
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