仏教と現代


この人間より、私は知恵がある。
なぜなら、この男も、私も、おそらく善美の事柄は何も知らないらしいけれど、
この男は、知らないのに何か知っているように思っているが、
私は、知らないから、そのとおりにまた、知らないと思っている。
(ソクラテス)

ソクラテス アテネオリンピックで眠れない日々と闘った人も多いでしょう。私自身は少々遠慮して、ハイライト番組で感動の残り香を味わいましたが、近代オリンピック発祥の地アテネでの開催は、なかなか感動的なものでした。

 というわけで今回は、アテネにちなんで、ソクラテス(Sokrates、B.C.470?〜B.C.399)の言葉を紹介します。

 ギリシアと言えば神話、神殿、哲学ですね。そしてギリシア哲学と言えば、そこは格言の宝庫。「万物は流転する」(ヘラクレイトス)、「人間は万物の尺度である」(プロタゴラス)などなど、自然科学から人生哲学まで、現代にも通じる様々な価値観がほとんど登場します。

 ですがやはり、飛び抜けて普遍的な重みを持つのが、ソクラテスの言葉です。

 先ず彼は、古今問わず蔓延する「論争のための論争」を排して、「産婆術」というコミュニケーションスタイルを採ります。彼は人と話すとき、まるで妊婦さんの出産を産婆さんが助けるかのごとく、相手が自ら真理を発見していくよう手伝いながら話すのです。彼の母親は産婆さんでしたから、あるいはそういうやり方は母親譲りなのかもしれません。そうすることで、「論争のための論争」ではなくなり、有意義な問答が行われたといいます。

 また彼は、「無知の知」を説きました。あるとき、世の真理を「知ってるつもり」の男と対話したソクラテスは、その男のように知ってるつもりになるよりも、「知らないことを自覚すること」のほうが、より知恵があるのではないか、という考え方に至ります。これが無知の知です。

 思えば、「知ってるつもり」ほど危険なことはありません。知ってるつもりで人に教える、知ってるつもりで仕事を引き受ける、知ってるつもりで指図をする、なんて大迷惑な話でしょう。ソクラテスはそうではなくて、「私は知らない」というところからスタートするのです。そして彼は、「汝(なんじ)自身を知れ」をモットーに生きたのでした。

 彼の生き方、考え方は、仏教思想にも共通点を見出すことができます。

 釈尊のコミュニケーションスタイルである「対機説法」は、相手によって柔軟に伝え方を工夫した、一種の「産婆術」です。また、「無知の知」というスタートラインから真理に向かって思索を深める姿は、「無着」(執着を離れる=思い込みを棄てる)からスタートし、「正見」(物事を正しく見る=あまねく見る)というやり方で悟りを得ていく仏道と、ほとんど同じ道筋をたどります。

 ギリシアとインド。西洋と東洋。壮大な歴史によって、今では全く異なる文明のように見えますが、根源的なものはよく似ているのかもしれません。

 まぁ、本当はどうか分かりません。「知ってるつもり」は危険ですからね…。

2004年8月21日 坂田光永


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