檀信徒の藤井和子さんによる京都の桜











仏教と現代

 ねがはくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月の頃
――西行『山家集』


 平安時代末期の有名な歌人、西行(さいぎょう)。彼の詠んだ桜の歌の中でも、おそらくこの桜の歌が、もっとも有名でしょう。

 西行の俗名は佐藤義清(のりきよ)。もともとは鳥羽上皇の院を警護する「北面の武士」でした。それが23歳で家族を捨てて出家し、全国各地を遊行(ゆぎょう)するようになりました。天皇家の内紛や源平の動乱に明け暮れる世の中を渡り歩きながら、恋の歌も数多く詠み、最期はこの歌のとおり如月(2月)の16日に亡くなります。

 さて、この歌人、32歳からの約30年間を高野山で過ごしていたのですが、そのことはあまり知られていません。それは、高野山での30年間のことを記録するものがほとんどないからです。

 ただ、わかっていることは、彼が真言密教の代表的な経論の1つである『菩提心論』を深く熟読していたということです。『菩提心論』とは、正式には、
 『金剛頂(こんごうちょう)瑜伽(ゆが)の中に阿耨多羅三藐三菩提心(あのくたらさんみゃくさんぼだいしん)を起こす論』
といって、えらくタイトルの長い経論です。けれどもこの長いタイトルのおかげで、内容を説明するのは簡単。つまり、
 「密教のヨガによって、これ以上ないぐらい正しい悟りの心を起こすことができるんだよ。その解説書」
というのが内容なのです。

 じゃぁ、具体的にどうすれば「これ以上ないぐらい正しい悟りの心」を起こせるのでしょうか。『菩提心論』の説くところでは、
 @ 悟りを目指す気持ちを持ち、
 A 正しいやり方でもって、
 B 実践をすれば、
「阿耨多羅三藐三菩提心」を起こせるといいます。まぁ、分かったような、分からないような、という感じでしょうか。高野山を開創した空海は、この『菩提心論』を超重要経論と位置づけ、若い真言行者に読解を勧めています。

 西行はこの『菩提心論』に出会って感銘を受け、高野山での修行生活を決めたのだと言われています。

分け入ればやがてさとりぞあらはるる月のかげしく雪の白山
――西行『聞書集』

 一見、夜空に浮かんだ月を詠んだようですが、実はこれ、『菩提心論』の中で説かれている「月輪観」(がちりんかん)を修法した歌なのです。月輪観とは真言密教の瞑想方法の1つで、心の中に月輪を観想し、禅定に入る観法です。これを西行は繰り返し修法し、西行なりの悟りの世界に到達していきました。その到達点を、歌によって表現したというのは、西行のすごいところです。

 そして西行は、「諸行無常」の仏教の心を、桜の花に込めました。

 桜の大好きな人々は、今年も花の下にて宴に興じたことでしょう。最近、ますます移ろいの激しい世の中ですが、移ろいゆくことそのものが、また永遠の真理でもあります。時代に揺られ、恋に揺られ、そして散った、西行でありました。

2005年4月21日 坂田光永


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