仏教と現代
お盆といえば、お墓参り、お寺参りの季節。「仏教」をもっとも感じさせる時季です。由来は『盂蘭盆経』というお経で、これはインドの目蓮尊者が母親のためにお供え物を供えたという物語。ここから、お盆にご先祖をお祈りするようになったというのが定説です。
ですが、これには異説があります。民俗学者の日野西眞定先生は、「お盆は日本に仏教が伝わるずっと以前から、麦の収穫祭だった」という説を提示しています。
日野西先生によると、日本に仏教が伝来する以前から、お正月は稲の収穫祭、お盆は麦の収穫祭だったそうです。お正月にお餅を供えるのは米の収穫を祝うためで、お盆も元来は収穫物をお供えしたというのです。この収穫のお祝いが、先祖への感謝につながっている、というわけです。
確かに、『盂蘭盆経』から「お盆」と呼ぶようになったというのは、少し無理がある気もします。また、このお経はインド伝来ではなく、先祖崇拝のさかんな中国で創作されたものです。どちらかというと、先祖崇拝が先にあって、あとからお経がついてきた、という感じです。
しかし、そうはいっても、どうして収穫祭と先祖崇拝が結びつくのでしょうか。
私はこう考えます。昔の人は、「人は死んだら土に還る」と直観していたのではないか。それはそうですよね。実際、土葬にすると、いつのまにか人間の体は土中で分解され、土に還るわけですから。つまり、大地にはあらゆる先祖が眠っているわけです。その大地から収穫される、米、麦。豊作を願うなら、ご先祖にお祈りをするのは自然な流れです。
日野西先生も、「穀霊」=「祖霊」である、とおっしゃっています。お盆という季節は、母なる大地に感謝する季節でもあるのですね。
2005年7月21日 坂田光永
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