仏教と現代

ナンバンキセルという花です。藤井和子さんが提供してくださいました 秋のお彼岸です。お彼岸といえば、ということで、今回も民俗学者の日野西眞定先生のお話から、お彼岸の意味をお伝えしたいと思います。

 お彼岸というのは、春分の日(3月21日)や秋分の日(9月23日)のそれぞれの前後数日間の時季をさします。

 「彼岸」という言葉は、「此岸」という言葉と対で使われます。此岸というのは私たちの住む世界のこと、彼岸というのはその反対に、仏様の住む世界、悟りの世界ということです。彼岸に到る、「到彼岸」はサンスクリット語で「パーラミター」、漢字に音写すると「波羅蜜多」ということになります。

 「お盆」というと、まだ少し宗教的輪郭がぼやけた感じがしますが、「お彼岸」となると、こんな仏教的な言葉がついているからには、まず間違いなく仏教伝来以降の習慣のような気がします。

 しかし、日野西先生によるとこれも、もともとは日本の民族信仰ではないか、漢字表記も「日願」ではないか、というのです。春分、秋分の日には太陽が真東から昇って真西に沈みます。この太陽にお祈りをする、一種の太陽信仰だというわけです。その名残か、今でも長野では「日天願」という言葉が残っているといいます。

 この「日願」に仏教的意味合いを重ねたのが今の「彼岸」です。たとえば、彼岸の時季は昼夜が同時間となることから、「中道」に通じるところがあります。さらに太陽が真西に沈むということは、阿弥陀如来の西方浄土をまっすぐに拝めるわけです。

 阿弥陀如来をまっすぐに拝み、太陽に次の豊作を祈る。一石二鳥の「ひがん」なのです。

2005年9月23日 坂田光永


《バックナンバー》
○ 2005年7月21日「お盆といえば…」
○ 2005年4月21日「ねがはくは花の下にて春死なん…」
○ 2005年3月21日「ライブドアとフジテレビと仏教思想」
○ 2005年1月21日「…車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように」
○ 2004年8月21日「…私は、知らないから、そのとおりにまた、知らないと思っている」
○ 2004年7月21日「鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。」
○ 2004年6月23日「文殊の利剣は諸戯(しょけ)を絶つ」
○ 2004年5月21日「世界に一つだけの花一人一人違う種を持つ…」(SMAP『世界に一つだけの花』)
○ 2004年4月21日「抱いたはずが突き飛ばして…」(ミスターチルドレン『掌』)
○ 2004年3月23日「縁起を見る者は、法を見る。法を見る者は、縁起を見る」
○ 2004年2月21日「…犀(さい)の角のようにただ独り歩め」
○ 2004年1月21日「現代の世に「釈風」を吹かせたい ―心の相談員養成講習会を受講して―」
○ 2003年12月21日「あたかも、母が己が独り子を命を賭けて護るように…」
○ 2003年11月21日「…蒼生の福を増せ」
○ 2003年10月21日「ありがたや … (同行二人御詠歌)」
○ 2003年9月21日「観自在菩薩 深い般若波羅蜜多を行ずるの時 … 」
○ 2003年8月21日「それ仏法 遙かにあらず … 」



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