法話集

高野山本山布教師 坂田 義章

 私の叔父、桜池院、畭野光義(あらたの・こうぎ)前官は、平成拾九年十月二日、百三才での大往生でした。八宗の祖と言われる龍樹和尚は「智目行足清涼池にいたる」との言葉を残しておられます。智目は「教」、行足は「観」、教観双修、智と行が兼ね具わってはじめてさとりに達すると言うのです。前官はその域に達していたのでは…。

 追悼詠草


手を執()りて吾が名告ぐるに阿字の故郷(さと)まだまだ遠いと眼(まなこ)もの言ふ

故郷(ふるさと)はありがたきかなと口ずさみ涙うかべゐし高野の聖(ひじり

叔父の訃報うけとりし朝の曼珠沙華一むら炎えて蝉法師鳴く

清涼池に到りたるにや夜明けの縁(ふち)歩む清僧智目行足の人

小さい秋小さい秋みつけたと風の声水引草の揺れの止まざる
光明院檀信徒・藤井和子さんの撮影されたセンブリ(比婆山 池の段にて)

南無大師遍照金剛  合 掌 

 ※ 畭野前官の「畭」は、正式には「余」の下に「田」を書きます。
 ※ 「前官」(ぜんがん)とは、弘法大師の現在の名代である「法印」のお役を修し終えた方の尊称です。




《過去掲載分》
○ 2007年9月21日「おかげさまで」
○ 2007年7月21日「到りうべしや」
○ 2007年3月21日「おかげさま」
○ 2007年1月1日「私達の忘れ物」
○ 2006年8月23日「くちなしの花」
○ 2006年7月21日「露の法音」
○ 2006年4月21日「負い目」
○ 2006年1月1日「別事無し」
○ 2005年8月21日「秋風蕭蕭(しょうしょう)」
○ 2005年7月21日「ハスの花」
○ 2005年6月21日「賽の河原の地蔵和讃」
○ 2005年1月1日「一期一会」
○ 2004年9月21日「仏法遙かにあらず」
○ 2004年3月21日「リンゴの気持ち」
○ 2004年2月21日「ふうせんかづら」
○ 2004年1月21日「心の師」
○ 2003年10月21日「百日紅の花」
○ 2003年8月21日「露団団」




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