仏教と現代




キリスト教と仏教と「ダ・ヴィンチ・コード」

 映画「ダ・ヴィンチ・コード」が世界同時公開ということで、書店でもテレビでもダ・ヴィンチ特集が組まれています。また便乗本だけでなく、反証本も売れているようです。この物語の主要テーマであるキリスト教をめぐる論争に、こんなに日本の人が興味を持ったことは、今までなかったのではないでしょうか。

 「ダ・ヴィンチ・コード」の物語は、ルーブル美術館で起こった殺人事件に宗教象徴学者のラングドンが巻き込まれたところから始まります。どうやらこの事件の背景には、キリスト教団の根幹を揺るがしかねない「ある事実」を圧殺しようとする側と、それを死守しようする側との闘いがあるというのです。そして、「最後の晩餐」「モナ・リザ」などのレオナルド・ダ・ヴィンチの絵画に隠された暗号(コード)が、事件解決の鍵を握っている、という設定です。

 小説を読んでいて、私はついついキリスト教と仏教との比較をしてしまいました。職業病というやつでしょうか。しかしいくつか興味深い発見がありましたので、ここで紹介しようと思います。

 まず、恥ずかしながら、私は初めて「キリスト教にも秘密儀礼があるんだ!」と知りました。もちろん物語に出てきた秘密儀礼は、正統派キリスト教ではなく秘密結社「シオン修道会」のものなんですが、それでも仏教版の「異端児」(?)である真言密教とのわずかな共通点を見た気がしました。

 また、同じく私の無知がいけないのですが、聖書は1つだったのではなく、「1つに(意図的に)まとめられた」というのも初めて知りました。新約聖書を構成している「福音書」は、ローマ帝国のコンスタンティヌス帝がキリスト教を国教とする際に編集されたもので、内容は取捨選択されたとのこと。この点も、お経は釈尊が書いたわけではないというのと共通しています。だからどうというものでもありませんが、ときの権力によって事実関係がゆがめられたとしてもおかしくありません。

 一方、キリスト教と仏教徒の違いも、いくつか読み取れます。

 最大の違いは、キリスト教思想の「正統」vs「異端」の争いから見えてきます。現代のキリスト教にとって、「イエスは人間の子である」「ユダは裏切り者ではない」などの考え方は異端とされています。では皆さん、仏教でこのような異端思想って、何があると思いますか? わからなくても無理はありません。仏教にはこのような「異端」がないのですから。

 「異端」がないってことは、「正統」な教えもないってことです。仏教の特徴のひとつは、「唯一絶対に正しいもの」を置かない、という点にあります。また、キリスト教でいう「公会議」のような教義統一の作業を、仏教はやっていません。その結果、何百、何千通りの「正統な」仏教が存在するということになりました。

 以上のほかに、実は共通点とも相違点ともいいかねる点もあります。それは「個人崇拝」に対する考え方です。

 カトリックでは、「イエス・キリストが結婚していたかどうか」という些細なことが(…というと怒られますが)、キリスト教信仰の根幹を揺るがしかねません。イエスが既婚者だろうが未婚者だろうが、彼の考え方や行動が尊いのには違いないはずです。なのに、ヴァチカンは「イエス結婚説」を強烈に非難しているのです。これはキリスト教徒が、キリスト教の「教え」を信仰しているのではなく、「イエス・キリストという個人」を崇拝しているということを示しています。

 では仏教はどうでしょうか。釈尊は「私を崇拝してはいけない。私の舎利(遺骨)を拝んではいけない」と言い、弟子たちに「自灯明・法灯明」を説きました(詳しくは釈尊ファイブ「自灯明・法灯明」)。ですが、実際は弟子たちがこぞって仏舎利を拝み、釈尊以外にも仏がいるとしてさまざまな仏や菩薩を崇拝するに至りました。これは個人崇拝以外の何物でもありません。本来の釈尊の教えは、釈尊の死とともに変質した、と言われても仕方がありません。

 ただ、宗教を信仰するパターンとして、「その思想を理解することで救いを得る」という人は、きわめて少数派でしょう。個人を崇拝することで救いが得られるのであれば、それでもいいのかもしれません。難しいところですが、思想の理解とイエスや釈尊への崇拝には、バランスが必要だと考えます。

 「ダ・ヴィンチ・コード」からここまで考えるとは、もはや私も「ダ・ヴィンチ崇拝」の域に足を踏み入れてしまったかもしれません。あまり気にしないでください。映画や小説を楽しむついでに、宗教に興味を持っていただければ幸いです。

2006年5月21日 坂田光永


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