仏教と現代

捨身ヶ嶽で
真魚を見た



 6月初旬、先輩僧のお誘いで、讃岐国(香川県)での歩き遍路に行ってまいりました。1泊2日と短い間でしたが、創建千二百年ににぎわう善通寺や、屏風ヶ浦の海岸寺、そして7歳のときに身を投げたという「捨身ヶ嶽」(しゃしんがたけ)もお参りしました。

 弘法大師空海は、讃岐国の豪族の家の生まれです。名は佐伯真魚(まお)。讃岐国・善通寺お誕生日は6月15日ですが、生まれた場所は、善通寺説、海岸寺説などあるようです。小さい頃から利発で、その神童ぶりを発揮していたようです。

 さて、「捨身ヶ嶽」は、現在、出釈迦寺というお寺の奥の院として位置しています。少年真魚がこの地に残した伝説は、あまりにも有名ですので、ご存知の方も多いでしょう。ざっとお話しすると、こういう伝説です。

 ――真魚7歳のとき。彼はこの嶽に上り、ある大誓願を立てた。「我、仏法に入りて一切の衆生を済度せんと欲す。吾が願い成就するものならば釈迦牟尼世尊影現して証明を与え給え。成就せざるものならば一命を捨てて此の身を諸仏に供養し奉る」 …つまり、自分が衆生を救えるのであれば釈迦よ出てきて私を救いなさい、という誓願である。そして真魚は断崖絶壁から身を投げた。よもや谷底へ… とそのとき、にわかに天に釈迦如来と天女が現れ、天女が落ちていく真魚を抱きとめたという――

 のちにこの地を訪れた空海が、嶽から少し下ったところに建立したのが、四国霊場第73番札所・出釈迦寺です。

 さて、ここを私たちも登ったわけでありますが、正直言って、私のような体力のない者は大変です。途中までは何とか行けます。でも、最後はロッククライミングかワンダーフォーゲルかといった感じで、岩を手でつかんでよじ登らなければなりません。登ったら登ったで、降りなくてはいけませんから、これまた恐怖の連続です。

 慣れた大人は簡単に登れるかもしれません。ただ、真魚は当時7歳。いかに思いつめたしても、またいかに将来の弘法大師といえども、7歳の子どもがすでに仏教を信仰し、「自分の存在価値を釈迦に問うために捨身」というのは、ちょっとやりすぎではないか。嶽の上から断崖絶壁を覗き込み、そう思えてなりませんでした。

 そして私は、むしろ「利発な神童」である真魚らしい、別の情景が浮かびました。それは、怖いものなしの7歳の少年です。

 ――体が小さかった真魚は、ある日、同年代の子どもたちへの対抗意識から、「ふん、あんなの怖くないやい」と言って捨身ヶ嶽をよじ登り始めた。下から見上げる子どもたちも、もはや止めようもない。捨身ヶ嶽の掲示板そして見事、頂に立った真魚。しかし… 何かの拍子に体のバランスを崩し、あろうことか断崖絶壁へと落ちてしまった。もはや絶望的か… と思った次の瞬間、真魚は崖の間から生えている木の枝(もしくは根の先)に引っかかり、一命をとりとめた。それ以来、子どもたちの間で、真魚は特別な存在になった。そしてそれは真魚自身にとっても、自分は助かるべくして助かった、と思わせるものだった――

 というのが私の見た真魚の情景です。

 もちろん、これは私の勝手な想像です。もしかしたら、真魚は本当に7歳の時点で仏教に帰依していたのかもしれません。

 ただ、どちらにしても、その後の空海にとってこの事件が持つ意味はきわめて大きかったでしょう。今まで以上に生と死を深いところで考えることになったでしょうし、その答えを探求する強い動機付けになったことは間違いありません。また、どうでもいい話ですが、「過去にトラウマを持つ天才」というの人がよくいますが、あるいは小さい頃の衝撃的体験が脳に特殊な影響を与えるのかも…、などと考えたりもします。

 とにかく、捨身ヶ嶽に登った人は、十人が十人、真魚を見るようです。みなさんも機会があれば、ぜひ。ただし、その名のとおり危険な場所ですから、じゅうぶんに気をつけてくださいね。

2006年6月21日 坂田光永


《バックナンバー》
○ 2006年5月21日「キリスト教と仏教と「ダ・ヴィンチ・コード」」
○ 2006年4月21日「最澄と空海」
○ 2005年9月23日「お彼岸といえば…」
○ 2005年7月21日「お盆といえば…」
○ 2005年4月21日「ねがはくは花の下にて春死なん…」
○ 2005年3月21日「ライブドアとフジテレビと仏教思想」
○ 2005年1月21日「…車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように」
○ 2004年8月21日「…私は、知らないから、そのとおりにまた、知らないと思っている」
○ 2004年7月21日「鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。」
○ 2004年6月23日「文殊の利剣は諸戯(しょけ)を絶つ」
○ 2004年5月21日「世界に一つだけの花一人一人違う種を持つ…」(SMAP『世界に一つだけの花』)
○ 2004年4月21日「抱いたはずが突き飛ばして…」(ミスターチルドレン『掌』)
○ 2004年3月23日「縁起を見る者は、法を見る。法を見る者は、縁起を見る」
○ 2004年2月21日「…犀(さい)の角のようにただ独り歩め」
○ 2004年1月21日「現代の世に「釈風」を吹かせたい ―心の相談員養成講習会を受講して―」
○ 2003年12月21日「あたかも、母が己が独り子を命を賭けて護るように…」
○ 2003年11月21日「…蒼生の福を増せ」
○ 2003年10月21日「ありがたや … (同行二人御詠歌)」
○ 2003年9月21日「観自在菩薩 深い般若波羅蜜多を行ずるの時 … 」
○ 2003年8月21日「それ仏法 遙かにあらず … 」



高野山真言宗 遍照山 光明院ホームページへ