仏教と現代




靖国神社と仏教の死生観


 お盆は鎮魂の季節であるとともに、戦争を振り返る季節でもあります。ことに今年は靖国神社の問題が大いに議論になっています。

 先日も、わが光明院の檀家さんであり、戦艦大和の乗組員であった方から「靖国神社の問題は仏教ではどう捉えられているのですか」と尋ねられました。この方は講演のたびに靖国神社についての質問を受けるそうです。

 靖国神社の問題をどう捉えるのか…。これは、霊魂、死や生をどう捉えるのか、ということと密接です。そこから考えてみたいと思います。


 問1 : 仏教では霊魂をどう捉えているのか?

 仏教の創始者である釈尊に、もしこの問いを出したら、釈尊は解答用紙を白紙で提出するでしょう。実は釈尊、霊魂については何も語っていないというのです。撮影:藤井和子さん(光明院檀信徒)はっきり「無い」とは言ってない。ただし否定はしませんでしたが、肯定もしませんでした。「死んだらどうなるなんて、誰にもわからない。それよりも現実に生きている今のことに向き合いなさい」というのが釈尊の思想でした。

 これからすると、靖国神社の問題への仏教の答えも、「無回答」が正解、ということになります。

 ですが、そんなに一筋縄ではいきません。仏教が日本に伝わってきて約1500年。日本仏教は、元来の日本の民俗信仰と融合し、かなり変化してきたのも事実です。


 問2 : 日本の民俗信仰における死生観とは?

 日本の民俗信仰における死生観を調べるには、五来重『日本人の死生観』(角川選書)が適しています。五来先生によると、日本の民衆の間では、死者の霊魂は「荒魂(あらみたま)」と呼ばれ、それが一定期間たつと「和魂(にぎみたま)」に昇華する。荒魂は人間に悪さをするんですが、うまく鎮魂すると和魂となり、人間に恩恵を与える祖霊となるというのです。その鎮魂の儀式が各地に残っているそうです。

 これに後から仏教が乗っかって、下級僧侶である聖(ひじり)たちの活動もあって、徐々に作られてきたのが、仏教の葬送儀礼であり、四十九日などの追善供養なのです。

 荒魂はほっとけば和魂になるわけではありません。特に非業の死を遂げたり、死にたくないのに死んだ人の霊は「怨霊」となってたたると思われました。そこで、特にしっかりまつって、神様になってもらうことにしたのです。全国各地に菅原道真公を祭る天満宮があるのは、無実の罪で流されて死んだ道真公の怨霊を鎮めるためです。これは、遺された人たちが感じる「うしろめたさ」を鎮めることにもなります。戦争で亡くなった人の霊に対しても、ほっとくわけにはいかない、鎮めたい、神様になってもらいたい、というのが、日本の民俗信仰上の自然ななりゆきです。


 問3 : 日本の民俗信仰から靖国問題を捉えるとどうなるか?

 では、五来先生自身は靖国問題をどう考えていたか。決して単純に靖国神社を肯定しているわけではありません。五来先生は、靖国神社のような「国家神道」と、和魂になる前の中間的な霊をまつる「民間神道」は、これは別物だというのです。

 ――国家神道と中間神霊、すなわち怨霊と神の中間を祭る庶民信仰はまったく次元が違うのです。靖国問題もその点の誤解が双方にあると思います。これは庶民信仰のレベルで祭ってあげなければならない問題です。だから村や地域社会で、人々の自由意志でお寺でも神社でも祭る、盆・彼岸に手厚く祭るということがないと、戦死者は鎮まらない。見ず知らずの官僚的神官に祭ってもらわないでもよいのです。(五来重『日本人の死生観』p.106)

 五来先生は、仏教の理論的な面よりも、追善供養など民俗信仰との融合部分のほうに価値を認めています。だから、これは純粋な仏教の見方とは違うのかもしれません。しかし、非常に示唆に富んでいると思います。

 以上で答えとしたいのですが、これらを踏まえた上で、蛇足ながら私の意見も付け加えさせていただこうと思います。


 おまけの問 : 靖国神社の問題を、坂田光永自身はどう捉えているか?

 日本の民俗信仰から言えば、鎮魂とは「うしろめたさ」の克服だったわけです。であれば、兵隊さんの死をいちばんうしろめたいと思っているのは誰なのか。それはまぎれもない「日本という国家」ではないでしょうか。兵隊さんたちを戦争に連れて行き、命を奪ってしまったのは、日本という国家です。靖国神社で、あえて「英霊」と呼んでおまつりしているのも、うしろめたさの裏返しではないでしょうか。だから、五来先生の言うような民間レベルでの鎮魂では、われわれ一般庶民のうしろめたさは克服されたとしても、「日本という国家」が抱えるうしろめたさは克服されないと、私は思います。

 かといって、日本も近代国家である以上、国家機構が主体となって宗教的鎮魂をするわけにはいきません。よって靖国神社にまつったとしても、中途半端にならざるを得ません。残念ながら、国家が奪った命を、国家が鎮めることはできない仕組みなのです。

 けれども、解決の道はあった、と思います。それは、「鎮魂」という道によってうしろめたさを克服するのではなく、これはもう単純に「謝る」という道です。撮影:藤井和子さん(光明院檀信徒)よく謝罪外交と揶揄されますが、諸外国に謝る前に、まず戦死した兵隊さんに「戦争で死なせてしまって申し訳ない」と謝るのです。そうやって、うしろめたさを克服するのです。

 そして、謝るに最もふさわしい人物は、昭和天皇であったと思います。戦争の指導者であった昭和天皇が、できるだけ早い段階で、国家を代表して謝罪し、遺族には「恩給」ではなく「補償金」を交付する。それが唯一の、国家機構としてうしろめたさを克服する手段だったと思います。

 残念ながら、いまやその道は選択できません。昭和天皇は亡くなりました。また、国家が兵隊さんに「謝罪」してしまえば、もう国家のために戦争に行く人はいなくなってしまい、それこそ二度と戦争ができなくなってしまいます。日本が戦争という手段を永久に放棄した国家になるかどうか…。現在、それを望む人は、おそらく少数ではないかと思います(これこそ日本国憲法の精神そのものなのですが…)。

 であれば、このうしろめたさと正面から向き合うしかない、ということになります。私は、それもいいのかな、と思います。日本という国家は、うしろめたさを背負い続けることで、それ以上のうしろめたさを背負わないでおこう、すなわち戦争をしなでおこうとする。そういう道です。現に今まで日本が主体的には戦争をしないできたのは、そのうしろめたさの表出ではないかと思います。

 戦後60年が過ぎても、靖国神社の問題で揺れているのは、靖国神社では鎮魂ができなかったという証でもあります。国家が人の命を奪うということは、それほど「うしろめたい」ことなのだと思います。だからこそ、現在、私たちはできるだけ戦争をしないことが必要です。「現実に生きている今のこと」と向き合う――。これこそ、釈尊の教えにかなう道ではないでしょうか。

2006年7月21日 坂田光永


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