仏 教 と 現 代

天使と悪魔 〜宗教と科学をめぐる旅〜


サンピエトロ大聖堂。カトリックの心臓部。坂田光永撮影 『ダ・ヴィンチ・コード』に続いて、『天使と悪魔』が映画化されるという。いずれもアメリカの作家ダン・ブラウンによる作品だ。

 『天使と悪魔』は『ダ・ヴィンチ・コード』の前作にあたる。『ダ・ヴィンチ・コード』に比べて売り上げは地味な印象だが、私は『天使と悪魔』のほうが作品として面白いと感じた。ストーリーがすっきりしているし、何よりテーマが明確なのだ。

 ガリレオ裁判にさかのぼる宗教と科学との対立の歴史を背景にしながら、コンクラーベ(法王選挙)が行われる宗教都市ローマに、最先端の科学である「反物質」が持ち込まれたところから、物語が始まる。主人公はおなじみ、宗教象徴学者ロバート・ラングドン。で、そのテーマというのが、ずばり「宗教と科学」だ。

 タイトルが『天使と悪魔』というだけあって、著者の意図としては、宗教と科学の、どちらが天使で、どちらが悪魔かを、読者に「審判」させようとしている。

 しかし、おそらく多くの方が、読む前からすでに、どちらが天使でどちらが悪魔かを、自身の中で決着済みだと思う。私の場合、大学時代の友人はほとんどが「宗教=悪魔」派であり、逆に高野山時代の同期生はほとんどが「科学=悪魔」派だった。私はそのつど、「宗教=天使」派になったり、「科学=天使」派になったりと、立場をコロコロ変えて「悪魔の使徒」(議論のためにあえて反論をする役)を買って出た。それだけに、私には「宗教vs科学」というテーマが非常にビビッドに感じられた。

 で、私の立場というのは、簡単である。私は「科学=宗教」派であり、「宗教=科学」派である。

 「科学=宗教」というのは、科学だって所詮は「信じる対象」でしかないということだ。例えば、いまどきテレビを見て「箱の中に小さな人が入っているのか!?」と思う人は少ないだろう。ベルニーニ作「聖テレザの法悦」。天使に射られたテレザが真理を見た瞬間を掘りぬいた傑作だ。坂田光永撮影。では、テレビがなぜ映るか説明できる人はどのぐらいいるだろうか。ラジオもカーナビも携帯電話も、見えない電波でつながっている。飛行機はあんなに機体が重いのに宙に浮くのだ。科学とは論理的なものだが、専門家は別として、その論理を説明できない私たちにとっては、テレビも携帯電話も、それは「信じる対象」でしかない、ということだ。神や奇跡を、論理的には説明できないが「信じている」のと、いったい何が違うというのか。

 また、「宗教=科学」というのは、真言宗に身を置いているとよくわかる。例えば、曼荼羅は宇宙科学の図像だし、空海の『即身成仏義』は科学の教科書である。「すべての物質はゆるやかにつながっており、相互依存的に作用している」と空海は指摘する。そこから空海は、「私たちは物質でできており、私とあなたはつながっている」と証明して見せた。これは科学的に間違っているだろうか。私たちは実際に原子で構成されており、原子レベルでは「私」と「あなた」の境界線は明確ではない。平安時代の空海の言説は、21世紀の科学に通じるのである。

 宗教と科学が対立していると考えるのは、実は誤りである。宗教家と科学者が対立しているだけなのだ。宗教者と科学者は、お互いがお互いの領域を脅かされていると考えている。それが不毛な対立を生んでいる。どうしても相容れない部分はあるだろうが、協力すべき部分は協力すればよい。例えば、医療分野でのホスピスケアのように。

 「悪魔」は人間の中に住んでいたのだ。自分の領域を脅かされることを恐れ、対立へと逃げ込みたくなる人間の心が「悪魔」なのだ。しかし同時に協力を求める「天使」も住んでいる。ありきたりな結論だが、宗教や科学を「天使」にするか「悪魔」にするかは、私たち次第というわけだ。


P.S. 9月末にイタリアに行ってきました。宗教都市ローマを坊主である坂田光永が歩いた「伊太利亜国睡夢譚」を、お正月発行の光明院新聞『遍照』に掲載します。お楽しみに。



2006年10月23日 坂田光永


《バックナンバー》
○ 2006年9月21日「9/11から5年」
○ 2006年8月23日「松長有慶・新座主の紹介」
○ 2006年7月21日「靖国神社と仏教の死生観」
○ 2006年6月21日「捨身ヶ嶽で真魚を見た」
○ 2006年5月21日「キリスト教と仏教と「ダ・ヴィンチ・コード」」
○ 2006年4月21日「最澄と空海」
○ 2005年9月23日「お彼岸といえば…」
○ 2005年7月21日「お盆といえば…」
○ 2005年4月21日「ねがはくは花の下にて春死なん…」
○ 2005年3月21日「ライブドアとフジテレビと仏教思想」
○ 2005年1月21日「…車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように」
○ 2004年8月21日「…私は、知らないから、そのとおりにまた、知らないと思っている」
○ 2004年7月21日「鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。」
○ 2004年6月23日「文殊の利剣は諸戯(しょけ)を絶つ」
○ 2004年5月21日「世界に一つだけの花一人一人違う種を持つ…」(SMAP『世界に一つだけの花』)
○ 2004年4月21日「抱いたはずが突き飛ばして…」(ミスターチルドレン『掌』)
○ 2004年3月23日「縁起を見る者は、法を見る。法を見る者は、縁起を見る」
○ 2004年2月21日「…犀(さい)の角のようにただ独り歩め」
○ 2004年1月21日「現代の世に「釈風」を吹かせたい ―心の相談員養成講習会を受講して―」
○ 2003年12月21日「あたかも、母が己が独り子を命を賭けて護るように…」
○ 2003年11月21日「…蒼生の福を増せ」
○ 2003年10月21日「ありがたや … (同行二人御詠歌)」
○ 2003年9月21日「観自在菩薩 深い般若波羅蜜多を行ずるの時 … 」
○ 2003年8月21日「それ仏法 遙かにあらず … 」



高野山真言宗 遍照山 光明院ホームページへ