法話集

高野山本山布教師 坂田 義章

「鳳仙花燃ゆ」


 散華せし人還れるや歳月の壁の向うに鳳仙花燃ゆ

  (一)

 今年は戦後六十三年目のお盆です。お盆を迎えますと、還らぬ人となった友の事を改めて思い出します。菊水作戦と呼称されていましたが、鹿児島県の串良基地(艦攻)、国分基地(艦爆)に進出の宇佐海軍航空隊八幡護皇隊の隊員が昭和二十年の四月から六月にかけて、沖縄周辺の敵艦船並びに輸送船団に特攻出撃をしていました。そのうち十三期の飛行予備学生は三十一名の特攻戦死者を数えています。筆者が不時着水せず、突入していますと三十二名となるはずでした。

 特攻隊員であり、しかも沖縄に八十番(八百キログラム)を爆装して出撃しながら吐喝喇(
とから)海域に不時着水し、今日まで生を得ています私にとりましては、重い日々が走馬灯のように浮かんでまいります。

  (二)

 生命の始まり、それは何もなかったのであります。荘子(
そうし)、至楽扁には「定かならぬカオス(渾沌)の中から陰陽の気が集って生命が生じ、また死へと帰って行く。生と死とは一つの連続であり、昼と夜の軌道を走り続けている。」と。

 お大師さまは説かれています。
 「迷悟、己れにあり。執なくして到る。」(十住心論序)

 わかりやすく申しますと、
 「いのちは自分のものではない。自分のものという執われを離れよ」と。更にまたその心境を歌に詠まれておられます。

 阿字の子が阿字のふるさとたち出でてまたたち帰る阿字のふるさと

 やっとここに安心を得たのであります。

  (三)

 雙手に送られて暁の基地を滑走路に向かいます。一番機として離陸、基地旋回後、還らぬ征途につきました。鹿児島湾をわたり、九州本土を離れますと、眼下は茫茫たる海面です。二二〇度宜候(
ようそう)、沖縄、慶良間(けらま)までの直進を祈るのみでした。まもなく運命のいたずらがおとずれようとしていることには少しも気付かなかったのであります。

 エンジン不調を操縦員が訴えてきます。高度も下降気味。止むなく九〇度に変針し、奄美諸島伝いに南進を計ろうと考えました。後にはもう引けません。トカラの島々が見えてきました。と同時に不時着水をせざるを得ない状況に追い込まれました。爆弾投下もままならず、爆弾を抱いたままトカラの海域に不時着水をしたのであります。〇七・三〇・航空時計は塩水で止まっていました。

 口の島に漂着し、民家の世話になること一ヶ月、哨戒艇の迎えを受けて串良基地へと帰還しました。

 隊長からの言葉は“いつでも死ねるから心配はない”とのこと。これが死に損ないへの労(
ねぎら)いの言葉でした。死ぬること以外には挫折を撃退する途(みち)は許されなかったのであります。

  (四)

 挙手の礼して笑む友の幻よ鳳仙花咲く生垣(
いけがき)の辺()に

 吉村 昭氏の「行列」という作品に、
 「人間は誰でも死ぬ。死から逃れることはできない。生まれたら赤ちゃんが育ってゆくのは一日一日、死ぬ日に近づいてゆくことになる。死ぬとわかっていてどうして平気で暮らしているのか。人間は死ぬ日に向かって行列している。」
と死の恐怖が描かれています。

 特攻隊員は死を恐れないのではありません。死の行列にはめこまれたからにはと、両親のため、恋人のため、潔く散華していったのであります。

 私は死にませんでした。特攻隊員の一人として飛び立ちながら死にませんでした。死の行列の一員から落伍しました。生死を頒(
)かったのは偶然です。そして六十三年の月日が流れ、晩夏の光をうけて鳳仙花の青い実が淋しく揺れております。

南無大師遍照金剛  合 掌


この文章は2008年8月発行『転法輪』に掲載されました。



《過去掲載分》
○ 2008年9月21日「鳳仙花揺るる」
○ 2008年7月28日「微笑の灰」
○ 2008年2月21日「日はまだ暮れず」
○ 2008年1月2日「見られている」
○ 2007年10月21日「桜池院前官追悼詠草」
○ 2007年9月21日「おかげさまで」
○ 2007年7月21日「到りうべしや」
○ 2007年3月21日「おかげさま」
○ 2007年1月1日「私達の忘れ物」
○ 2006年8月23日「くちなしの花」
○ 2006年7月21日「露の法音」
○ 2006年4月21日「負い目」
○ 2006年1月1日「別事無し」
○ 2005年8月21日「秋風蕭蕭(しょうしょう)」
○ 2005年7月21日「ハスの花」
○ 2005年6月21日「賽の河原の地蔵和讃」
○ 2005年1月1日「一期一会」
○ 2004年9月21日「仏法遙かにあらず」
○ 2004年3月21日「リンゴの気持ち」
○ 2004年2月21日「ふうせんかづら」
○ 2004年1月21日「心の師」
○ 2003年10月21日「百日紅の花」
○ 2003年8月21日「露団団」




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