仏 教 と 現 代

仏教的にありえない?


 最近は本の紹介ばかりしている。「またか」と言われるだろう。お気になさらず読んでいただくしかない。

 『ダ・ヴィンチ・コード』以来、私の中の「宗教と科学」ブームはいまだ醒めやらない。光明院檀徒の藤井和子さんが磐窟渓で撮影された「ムクロジ」最近は高度な科学的知識に裏付けられた小説が人気だが、今回はその真骨頂と言える『数学的にありえない』(アダム・ファウアー著/文藝春秋)というサスペンス小説に出会った。

 予知能力に目覚めつつある主人公の数学者が、彼の身柄を狙うCIA工作員や政府系研究機関と戦うという話。あらすじだけでは陳腐なようだが、裏づけとして、確率論や量子物理学の知識が山ほど登場するのが特徴だ。

 この小説を読んでいて、ある部分に出くわして驚いた。量子物理学の解説の続きに突如、仏教の悟りについての話が出てきた箇所である。主人公がなぜ予知能力を持つにいたったかということを、主人公の双子の兄がユングの集合的無意識論や量子物理学を用いて解説する。それに対し、別の登場人物が「そういったことをどうやってまとめたのか?」と問う。その答えとして、次のせりふが書かれている。

 ちょっと長いが、そのまま抜粋するので、ぜひ読んでいただこう。

東洋の宗教や哲学はすべて、宇宙はエネルギーだという考えに基づいています。それが現代の量子物理学によって裏づけられたわけですよ。それに東洋では、宇宙において人間の心は基本的にひとつだと信じられています。これは、ユングの集合的無意識を想起させずにはいません。

 仏教徒は、万物は永遠ではないと信じています。ブッダは、この世界の苦しみはすべて、人間がひとつの考えやモノに執着することから生まれると説きました。人はあらゆる執着を捨て、宇宙は流れ、動き、変化するものだという真理を受け入れるべきだとね。仏教の視点からすると、時空とは意識の状態の反映でしかありません。仏教徒は対象をモノとしてではなく、つねに変化していく宇宙の動きと結びついた動態過程とみなしています。彼らは物質をエネルギーとしてとらえているんですよ。量子物理学と同様にね。
」(『数学的にありえない』下巻)

 ストーリーを無視して抜粋したので意味不明かもしれないが、私はこの説明でほぼ間違いないという気がしている。これをもう少し細分化して、仏教や真言宗の教学理論に基づいて補足してみると、こういうことになる。

 ちょっと説明が悪いかもしれない。「仏教の悟りが科学的に説明可能だ? 仏教的にありえない!」と思うかもしれない。しかし実際は、いや、そんなことはない、というのが、最近の仏教研究の潮流でもあるのだ。

 さて、小説ではここから、主人公がどうして予知能力を得ることができたか、という説明に入る。ざっと要約すると、何かをきっかけに、ユングの言う「集合的無意識」にアクセスできるようになった人物は、時空を超えてすべての意識を感じることができるので、予知能力や千里眼を得たも同然になる、ということだ。

 この説明、なぜブッダやイエスが、奇跡を起こすことができたのかという説明に置き換えても、ぴったりと符合するのだ。あるいは空海も、そういう人物の一人に入れてもいいだろう。密教の修法は、深い瞑想に入り、ユングの言う「集合的無意識」にアクセスし、人知を超えた特殊能力を開花させるための訓練方法ということになる。

 ただし、注意してほしいのは、密教の修法は別に特殊能力を得るために行うものではない、ということだ。基本は、ブッダの言う「縁起」の構造をつぶさに「正見」することで、自分(あるいは他者)を苦しみから救うことが目的である。特殊能力を得ることが目的になってしまうのなら、それは単なるオカルトにすぎない。密教は、あるいはオカルトに陥る危険は大いにある、ということでもある。目的を履き違えてはならない。

2006年11月21日 坂田光永


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