法話集
高野山本山布教師 坂田 義章
「何かが忘れられている」
(一)
通り過ぎる冬の跫音(あしおと)聞いてゐる遅れ咲きの石蕗(つわぶき)の花
川の土手に一握りの土がおりました。その土は自分のようなものにもいつか幸福がやって来るに違いないと信じていたのです。或る日の事、陶器工場から自動車がやって来て運ばれて行きました。そうして小さな枠(わく)の中にはめこまれ、ぞっとするような高熱で焼かれました。これぞ幸福への試練の道と思ってじっと耐えていたのでした。時が経(た)ちまして出された時は粗雑きわまる植木鉢に作られていたのです。彼の中にはかっての同僚であった川の土が盛られ、堆肥(たいひ)、腐葉土(ふようど)でかきまぜられ、何かが埋め込まれました。太陽が毎日訪れます。そして雨や風も時おり訪ねて参りました。挫折(ざせつ)してしまった彼には何も期待できませんでした。或る日の事彼は応接間にピアノがある家に運ばれました。そこで思いがけない事が起きたのです。応接間を訪れた人々が嘆声を洩らすのです。みすぼらしい姿を知っている彼は不思議に思い、ピアノにそっと尋ねました。ピアノは彼に次のように言いました。
「貴方の中には王様が持っていらっしゃる笏(しゃく)のような美しい百合の花を咲かせておいでになるのですよ」と。
その話を聞いた彼は、自分のようなつまらない者でも美しい花の種を宿し、それを育てることが出来たのだなあと神のお恵みに感謝しないではおられなかったのであります。(村岡花子著「母心抄」より)
さて彼の中に埋められた花の種、仏教で申しますと、それは仏のいのち、仏の心、仏性であります。誰でもがみんな持っているのです。「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」であります。唯(ただ)それがあるということに気付かないだけなのです。一日も早く気付く機縁、法縁に恵まれたいものです。
(二)
顔は美しく化粧できても眼の化粧はむずかしいと言われています。
昔の人は、心がきれいであれば自然に容貌にそれが現れると教えています。それが容貌のどこに現れるかといいますと眼であります。もって生まれた顔には、美人もあり、不美人もあります。しかし、美人が必ずしもきれいな人であるとはいえません。美人でありましてもどことなく清潔でない人がよくあります。心が本当にきれいでないと容貌に清潔さが出て来ませんし、眼に澄んだものが見られません。
仏像の要望を見ますと、端正の美、清潔の美がその顔面にただよっています。仏像の目は仏眼(げん)であり、仏眼には肉眼、天眼、慧眼(えげん)、法眼を併せ収めています。人間と同じように眼を具えている点、肉眼をもっているといえるのですが、その肉眼は実は仏眼に外なりません。
仏眼には智と悲との二つの眼ざしが常に輝いています。智は智慧であり、ものを正しく見る眼であり、悲は慈悲であり、ものを慈愛を持って見る眼であります。仏眼としての肉眼は決してものを見誤ることがなく、美しい眼ざしでありますが、そのなかに温かい慈愛の光をたたえています。
五眼(ごげん)を人間の顔面に、実際に具えているとしますと一種の奇形ともいえますが、この五眼があってこそ、人間がただの動物と異なる所以のようにも考えられます。五眼をどのようにして具えるかは人間のあり方にかかっているのです。
お大師さまは「仏道遠からず、廻心(えしん)即ち是れなり」(一切経開題)と言われています。わかりやすく申しますと、唯、心の持ち方、考え方を変えればよいと言うことであります。
枯れてゆくものの寂(しず)けさまもりをり丈(たけ)き茎の石蕗の花
南無大師遍照金剛 合 掌
この文章は2009年1月発行『遍照』に掲載されました。
《過去掲載分》
○ 2008年10月28日「鳳仙花燃ゆ」
○ 2008年9月21日「鳳仙花揺るる」
○ 2008年7月28日「微笑の灰」
○ 2008年2月21日「日はまだ暮れず」
○ 2008年1月2日「見られている」
○ 2007年10月21日「桜池院前官追悼詠草」
○ 2007年9月21日「おかげさまで」
○ 2007年7月21日「到りうべしや」
○ 2007年3月21日「おかげさま」
○ 2007年1月1日「私達の忘れ物」
○ 2006年8月23日「くちなしの花」
○ 2006年7月21日「露の法音」
○ 2006年4月21日「負い目」
○ 2006年1月1日「別事無し」
○ 2005年8月21日「秋風蕭蕭(しょうしょう)」
○ 2005年7月21日「ハスの花」
○ 2005年6月21日「賽の河原の地蔵和讃」
○ 2005年1月1日「一期一会」
○ 2004年9月21日「仏法遙かにあらず」
○ 2004年3月21日「リンゴの気持ち」
○ 2004年2月21日「ふうせんかづら」
○ 2004年1月21日「心の師」
○ 2003年10月21日「百日紅の花」
○ 2003年8月21日「露団団」