法話集

高野山本山布教師 坂田 義章

「仏道遥かに非ず」

  (一)

行って来ますと少年の透る声に白く弾けて咲く梅の花

東赤石山のスミレ(撮影:光明院檀徒・藤井和子さん) 「仏」とは目ざめたものという意味であります。朝が来れば、私達は目を覚まします。目が覚めるだけでさとりは開けません。念ずる心が足りないのでしょう。念じ続けていく人のみ、何かの弾みによって、心の中に静かな開花を持ちます。それが「さとり」であります。念ずれば花開くということです。

 釈尊は、浄飯大王の王子として生まれ、おん年二十九歳まで世間の人と同様に食べたいものを食べ、奥方をもらい、羅喉羅という子供までこしらえた生活をしておられましたが、出家されて三十五歳で菩提樹下でおさとりを開かれ仏になられました。六年間の修行、苦行体験の後、暁の明星、空に光る星そのままが心中に光ったのです。見る我と見られる世界の融合、自己宇宙同化を果たされたのです。

 弘法大師さまが、即身成仏、即ちこの身このままに仏になると言われたのは、仏になられた人間釈尊とその本質において異なるところがないからであります。"我も形は人にあらずや"であります。

 お大師さまの現成開花は偶然に訪れたものではないのであります。お大師さまのお弟子が編まれた「御遺告」によりますと、

 「土佐の室生門崎に寂留す。心に観ずるに明星口に入り、虚空蔵光明照らし来たって、菩薩の威を顕す」

という奇怪な体験が語られています。たゆまない修行の結果があらわれ、虚空蔵菩薩の化身である明星が動いたのです。この超事実体験が遍照金剛の出発点、導火線になったのであります。

 私達も、いのちという素材を与えられております。いのちを育成し、豊饒にすることこそお大師さまへの報恩謝徳の行であります。御宝号を念誦し、おのれのいのちは仏のいのち、おのれの心は仏の心、おのれの体は仏の体とみんなで唱和し、遅れてくる者を待って力になりあい、遍照金剛の道をのぼってゆきたいものです。日々の下塗り是れ仏道です。

 杖言葉として次のことばをさしあげましょう。

手を掌せては仏を念い、目を閉じては己を省みる

南無大師遍照金剛  合 掌


この文章は2009年6月発行『遍照』に掲載されました。



《過去掲載分》
○ 2009年1月1日「何かが忘れられている」
○ 2008年10月28日「鳳仙花燃ゆ」
○ 2008年9月21日「鳳仙花揺るる」
○ 2008年7月28日「微笑の灰」
○ 2008年2月21日「日はまだ暮れず」
○ 2008年1月2日「見られている」
○ 2007年10月21日「桜池院前官追悼詠草」
○ 2007年9月21日「おかげさまで」
○ 2007年7月21日「到りうべしや」
○ 2007年3月21日「おかげさま」
○ 2007年1月1日「私達の忘れ物」
○ 2006年8月23日「くちなしの花」
○ 2006年7月21日「露の法音」
○ 2006年4月21日「負い目」
○ 2006年1月1日「別事無し」
○ 2005年8月21日「秋風蕭蕭(しょうしょう)」
○ 2005年7月21日「ハスの花」
○ 2005年6月21日「賽の河原の地蔵和讃」
○ 2005年1月1日「一期一会」
○ 2004年9月21日「仏法遙かにあらず」
○ 2004年3月21日「リンゴの気持ち」
○ 2004年2月21日「ふうせんかづら」
○ 2004年1月21日「心の師」
○ 2003年10月21日「百日紅の花」
○ 2003年8月21日「露団団」




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