仏教現代

よみがえる神話


 むかし、こんな話を聞いたことがある。「かごめかごめ」の歌は、神道が仏教に取り込まれたことを暗喩している、という話だ。例えば、「かごめかごめ かごの中の鳥は」の部分は、「籠目(かごめ)に取り囲まれた鳥居」という意味になるという。籠目がなぜ仏教なのかはよく分からなかったのだが、それ以来、仏教と神道との関係にただならぬ因縁を感じるようになった。

 もちろん、この話は一種の都市伝説のようなものかもしれない。ただ、いずれにしろ、仏教が日本に伝わって以来、仏教と神道とは、ときに習合し、ときに排斥しあう、複雑な関係を持っている。私は仏教僧なので仏教が専門だが、神道についても、多少の知識は必要だ。

 なぜ、そんなことが気になったかというと、先日、先輩の僧侶に連れられて、初めて出雲大社にお参りに行ったからだ。

 出雲は日本の神話のふるさと。よく、他の地域では「神無月」となるところが、出雲では「神在月」となると言われる。これは、日本の神々が出雲の大国主命(おおくにぬしのみこと)のもとに集まるからだ。

 しかし、実は日本の神々は大きく2つの系統に分けられている。「天津神(あまつかみ)」と「国津神(くにつかみ)」である。天津神は天照大神(あまてらすおおみかみ)ら、ヤマト王権が信仰していた神々のことで、彼らの総本社が伊勢神宮である。かたや国津神は、ヤマト王権に支配された勢力が信仰していた神々のことで、大国主命などはこちらにあたる。神無月に出雲に集まるのは、実は国津神系の神々だけなのだそうだ。

 日本では、天津神、つまり伊勢神宮系の神々が、「正統な」神々である。出雲大社など国津神系の神社は傍流だ。

 その痕跡が、例えば神宮の正面に現れている。本殿への入り口が正面をはずしてあるのだ。これは伊勢神宮に遠慮したのだという話だ。また、注連縄(しめなわ)が左右逆に締められているのも、その痕跡の一つかもしれない。

 しかし、最大の痕跡は、神話に残っている。いわゆる、大国主命が天照大神に出雲国を差し出すという、「国譲り」の神話である。これは、強大な出雲地方の王権が、ついにヤマト王権の支配下に入ったことを示している。また、出雲の神々がヤマト王権に取り込まれ、古事記や日本書紀の中に吸収されているのも、そういった支配−被支配の歴史をあらわしている。

 神話は、事実そのものが書き込まれているわけではない。しかし、ひとつひとつの神話は、その民族の「民族たるゆえん」である。民族とは、神話を持っている集団と言ってもいい。20070218中国新聞だから、神話の数だけ民族がある。そして、神話が別の民族の神話に吸収されるということは、それ自体が支配−被支配をあらわしている。

 古事記や日本書紀などは、天皇支配を正統化するために編纂されたものだ。そこから神道が体系化されていくのだが、その記紀にしたって、そもそも「金光明経」などの仏教経典に影響を受けているとも言われている(末木文美士『日本宗教史』)。神話理解というのは、神話の記述を鵜呑みにすることではなく、その形成過程も含めて、広い意味で歴史からのメッセージとして受け止めることが必要だろう。

 ただし、近年、出雲大社のかつての様子が次第に明らかになってきたらしく、言い伝えどおり、かつては地上48メートルの巨大神殿があったのだという(古代出雲大社高層神殿の謎)。神話が事実を書き残すこともある、というわけだ。


PS 2月17日(土)に福山市千田町の宝寿院(薬師寺住職大瀧師が兼務)での護摩供養の様子が、中国新聞に載りました。この日は、表具屋さんが仕事で使われた刷毛をたくさん供養されました。奥で護摩を焚いているのが大瀧師。手前が坂田光永。

2007年2月21日 坂田光永


《バックナンバー》
○ 2007年1月1日「伊太利亜国睡夢譚」
○ 2006年11月21日「仏教的にありえない?」
○ 2006年10月23日「天使と悪魔 〜宗教と科学をめぐる旅〜」
○ 2006年9月21日「9/11から5年」
○ 2006年8月23日「松長有慶・新座主の紹介」
○ 2006年7月21日「靖国神社と仏教の死生観」
○ 2006年6月21日「捨身ヶ嶽で真魚を見た」
○ 2006年5月21日「キリスト教と仏教と「ダ・ヴィンチ・コード」」
○ 2006年4月21日「最澄と空海」
○ 2005年9月23日「お彼岸といえば…」
○ 2005年7月21日「お盆といえば…」
○ 2005年4月21日「ねがはくは花の下にて春死なん…」
○ 2005年3月21日「ライブドアとフジテレビと仏教思想」
○ 2005年1月21日「…車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように」
○ 2004年8月21日「…私は、知らないから、そのとおりにまた、知らないと思っている」
○ 2004年7月21日「鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがって、みんないい。」
○ 2004年6月23日「文殊の利剣は諸戯(しょけ)を絶つ」
○ 2004年5月21日「世界に一つだけの花一人一人違う種を持つ…」(SMAP『世界に一つだけの花』)
○ 2004年4月21日「抱いたはずが突き飛ばして…」(ミスターチルドレン『掌』)
○ 2004年3月23日「縁起を見る者は、法を見る。法を見る者は、縁起を見る」
○ 2004年2月21日「…犀(さい)の角のようにただ独り歩め」
○ 2004年1月21日「現代の世に「釈風」を吹かせたい ―心の相談員養成講習会を受講して―」
○ 2003年12月21日「あたかも、母が己が独り子を命を賭けて護るように…」
○ 2003年11月21日「…蒼生の福を増せ」
○ 2003年10月21日「ありがたや … (同行二人御詠歌)」
○ 2003年9月21日「観自在菩薩 深い般若波羅蜜多を行ずるの時 … 」
○ 2003年8月21日「それ仏法 遙かにあらず … 」



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